日系1世 26年行方不明の息子に会いたい!63年ぶりにブラジルから故郷へ:世界!ニッポン行きたい人応援団
イチオシスト
ニッポンに行きたくてたまらない外国人を世界で大捜索! ニッポン愛がスゴすぎる外国人をご招待する「世界!ニッポン行きたい人応援団」(月曜夜8時)。毎回ニッポンを愛する外国人たちの熱い想いを紹介し、感動を巻き起こしています。
今回は、祖国ニッポンに熱い想いを持った方の夢を叶える「遠く離れた家族の絆をつなげたい! ニッポン里帰り応援団」をお送りします。
三重県津市で暮らす長女のもとへ!20年ぶりの再会に涙!
紹介するのは、ブラジル・トメアスに住む日系1世・大串あき子さんと、ブラジルで生まれた娘で日系2世のスザナさん。

トメアスは、約100年前にニッポンからの移民によって開拓された、アマゾン地域最大の日系人街。あき子さんは両親に連れられ、9歳でブラジルに移民して以来、63年間一度もニッポンに帰れていません。
6人兄妹で唯一の女の子だったあき子さんは、北海道・別海町で牧場を営んでいた両親とともに、一家で1カ月の航海を経てブラジルへ。当時はまだ船の医療設備が十分でなかったこともあり、病気にかかった一番下の弟は船の中で他界。あき子さん一家は、まさに命懸けでブラジルへと渡ったのです。
胡椒作りをしていた両親を助けるため、学業は小学校4年生まで。青春時代は猛獣が潜むジャングルの開墾と弟たちの世話に明け暮れ、トメアス出身の輝雄さんと結婚。7人の子宝に恵まれ、畑仕事と育児に追われる毎日を送りました。
片時も休まらない暮らしの中で、常に大事にしてきたのが「一生懸命頑張る」という父の教え。「日本人の誇りを持って、自分も一生懸命頑張っています」と語ります。
故郷ニッポンを大事にしてほしいと、学校とは別に、7人の子ども全員を日本語学校や相撲教室に通わせてきたあき子さん。日々の生活に精一杯で、古くなった家を直す余裕もありませんでしたが、子どもたちがお金を出し合い、家を建ててくれました。
そして2年前、夫の輝雄さんが他界。独りになり、ますます故郷への想いが増していきますが、家業の胡椒作りは廃業し、現在の年金は月7万円ほど。家庭菜園で自給自足の生活をしており、ニッポンに行くことは難しい状況です。

普段の食事は亡き母から教わったきんぴらごぼうや筍と昆布の煮染めなど、ニッポンの味が中心。北海道で食べた干物の味を思いながら、世界最大の淡水魚・ピラルクの干物を作ることも。
いつかニッポンに行くための足しになればと、家庭菜園でとれた小豆を使い、こしあんの饅頭を作ってスーパーで販売しています。お客さんの評判は上々ですが、儲けはほとんど出ないそう。
実は、あき子さんには故郷ニッポンにどうしても行きたい理由がありました。1歳下で姉妹のように仲が良かったという従姉妹のキド カズコさんに会いたいのです。移民後も何度か手紙を出そうとしましたが、仕事が忙しく、63年間連絡が取れていません。
昔、あき子さんの姪が出稼ぎでニッポンに訪れた際にカズコさんと会い、その時にもらった30年前の本人の写真と、住所が書かれた写真が唯一の手がかりです。

さらにもう一人、息子のハミルトンさんとの再会も願っています。あき子さんの子どものうち、今も出稼ぎでニッポンにいるのが長女のエレナさんと三男のハミルトンさん。連絡はあるものの、エレナさんとは20年顔を合わせておらず、ハミルトンさんは17歳でニッポンに行って以来、26年間一度も連絡がない上に、どこにいるかもわからないのです。
「63年ぶりにニッポンに行きたいです。子どもたちにも会いたいです」と願うあき子さん。そんなあき子さんを、ニッポンにご招待! 63年ぶりに故郷ニッポンへやって来ました。高齢の母に付き添うため、スザナさんも26年ぶりに来日!
63年間、ジャングルからほとんど出たことがなかったというあき子さん。まずは東京タワーへ。ブラジルに渡る3年前に完成した東京タワーを、いつか自分の目で見たいと思っていました。長年憧れていた展望台で眺望を楽しみ、スザナさんは東京タワーTシャツを購入。なんとそのTシャツを、「チームだから」とスタッフに配り始めました。

今回の来日で果たしたいのは、生き別れの従姉妹・カズコさんと、20年顔を合わせていない娘のエレナさん、26年行方がわからない息子のハミルトンさんとの再会。手がかりが少なく、日数も限られる中、一丸となって探すため、お揃いのTシャツで結束を固めます。
翌日、あき子さんとスザナさんは三重県津市へ。連絡はあるものの、20年会っていないエレナさんの元を、サプライズで訪問することに。以前聞いていた住所を頼りに訪れると、最初は突然のことに「母さん? 嘘でしょ……」と動揺している様子でしたが、「会えて嬉しい!」と喜んでくれました。

三重県のアルミ工場で働くエレナさん。ブラジルにいた頃に日系2世の須永健二さんと結婚し、2人のお子さんを設け、家族でニッポンへ出稼ぎに。
20年ぶりに顔を合わせたあき子さんは「嬉しいですよ」と喜び、娘たちと抱き合って涙を流します。
再会を祝して、エレナさんのお子さんたちも一緒に、地元の名物が食べられるお店「三重の食彩酒場 みえやに」へ。大きな揚げ餃子「津餃子」をいただきながら、昔話に花を咲かせます。
ここで、エレナさんに三男のハミルトンさんの消息を聞くと、連絡を取っておらず、居場所はわからないそう。ただ、異母兄弟のセルソさんなら知っているかもしれないと教えてくれました。
セルソさんは、あき子さんの夫・輝雄さんと前の奥さんとの間に生まれました。約30年前からニッポンで暮らしており、出稼ぎに来た兄弟たちの面倒も見てくれたとか。そこでひとまずセルソさんにメールを送り、連絡を取ってもらうことに。
翌日、向かったのは中部国際空港。ニッポンにいられるのは残り8日ということで、セルソさんからの連絡を待つ間、もう一つの夢を叶えるために北海道へ。あき子さんが9歳まで暮らした別海町で、姉妹同然に育った1歳年下の従姉妹、カズコさんを探します。

9歳まで暮らしていた故郷・北海道別海町へ!仲良しだった従姉妹に会いたい!
北へ向かったあき子さんとスザナさん。世界遺産の知床に近い、根室中標津空港で手に入れた北海道Tシャツに着替え、姉妹同然の従姉妹・カズコさんを探しに別海町へ。
9歳でブラジルに移民して以来、63年ぶりに戻った別海町。町とはいうものの、その広さは東京23区の約2倍。手がかりは、45年前の住所が記された牧場の写真しかありません。この写真をタクシーの運転手・近野さんに渡し、連れて行っていただくことに。
途中、カズコさんの家に行く時によく利用していた標津線の西春別駅に寄り道も。廃線となった後は、別海町鉄道記念公園として町民の憩いの場になっています。展示された列車を眺め、故郷の思い出を辿ったところで、写真の住所へ。
いよいよ、63年ぶりにカズコさんのお宅へ向かいます。もちろんカズコさんは、あき子さんが来ていることを全く知りません。
ところが、すぐに引き返してきたあき子さん。写真の牧場はすでに廃業。今は全く別の方が住んでおり、カズコさんのことも知らないそう。広い別海町で、45年前の住人が今どこにいるのかを探すのは容易ではありません。
気を取り直して向かったのは、地元のお年寄りでいつも賑わっているパークゴルフ場。近野さんによると、カズコさんと同じくらいの年齢の方々がたくさんいるとのこと。生まれも育ちも別海町という近野さん、カズコさんが見つかるまで、とことん付き合ってくださることに!
パークゴルフ場で出会った方にカズコさんについて聞いてみると、同じ地区に住んでいたイセキさんという方が知っているかもしれないとのこと。さらに、イセキさんの連絡先を調べて、後で電話をくださるそう。
折り返しを待つ間、北海道に着いてから何も食べていない2人は、近野さんオススメのお店「食事処 ともだち」で腹ごしらえ。別海町名物「カツラーメン」をいただきました。
その後も、年配の方が集まりそうな場所で聞き込みを続けますが、なかなか有力な情報がつかめません。とここで、スタッフに、パークゴルフ場で出会った方から電話が。別海町出身でカズコさんと同年代だという、イセキさんと会えることに!
井関光枝さんは、カズコさんの同級生で小学校からの幼馴染み。「今、ここから7〜8キロのところにいる」と、カズコさんの住まいまで教えてくださいました。
早速、カズコさんのご自宅へ。外で作業中だった旦那さんに案内していただき、いよいよ63年の時を越えて再会! あき子さんと顔を合わせても、すぐには思い出せなかったカズコさんでしたが、あき子さんの旧姓を聞き「えー!! ブラジルから来たの?」とびっくり! 突然の再会に、頭の整理が追いつかない様子です。
従姉妹の纐纈(旧姓・木戸)和子さんは、20歳の時に牧場を営む成喜さんと結婚。3人のお子さんを育て上げ、現在は夫婦でセカンドライフを満喫中。「もっと昔に会いたかったね。(あき子さんと)よく手紙のやり取りをしていた」と話します。
あき子さんの父の妹・キヌ子さんの長女・和子さんにとって、あき子さんは妹のような存在。当時は同じ町内でも離れた地区に住んでおり、毎日のように文通をして仲を深めたそう。

あき子さんと言葉を交わすうちに「亡くなったうちの母に似ている」と和子さん。母・キヌ子さんの面影が重なり、一気に実感が湧いてきたようで、涙ながらに再会を喜びます。その後、キヌ子さんの写真を囲み「あんまり似ていないわ」「あれま!」と笑い合う場面も。すっかり距離が縮まりました。
無事再会できたことを近野さんにも報告すると、「顔が明るくなって、いい顔しているわ」と喜んでくださいました。
近野さん、本当にありがとうございました!
63年の空白を埋めるべく、和子さんが連れて行ってくれたのは納沙布岬で有名な根室市。いつか北海道に帰れたらカニを食べるのが夢だったというあき子さんのために、北海道を代表するカニの町・根室にある「マルショウ水産」にやって来ました。
中に入ると、大きな水槽の中にタラバガニがいっぱい! こちらは、水槽から買いたいカニを自分で獲るシステム。大物に狙いを定めたあき子さんは見事に釣り上げ、「獲ったぞ〜!」と大喜び。さらにお店のご厚意で、ブラジルからはるばる来てくれたからと、その場で特別に茹でたてを試食させてくださいました。

水揚げされたばかりのカニは、食感や旨みも段違いで身もぎっしり! 念願のカニを堪能し、大満足のあき子さんでした。
「マルショウ水産」の皆さん、本当にありがとうございました!
そして、あき子さんが63年前まで暮らしていた上春別地区へ。和子さんの夫・成喜さんが、当時の住所を頼りに案内してくださいました。
9歳まで、両親や兄弟と過ごした我が家。約20年前までは建物も残っていましたが、現在は広大な牧草地に。家族と過ごした日々の思い出が込み上げてきます。
すると、「ひょっとしたら富士山が見えるかもしれない」と、成喜さん。あき子さんはブラジルで、「富士山が故郷から見えた」と話すと、みんなに「嘘だ!」と言われていたそうですが……旦那さんによると、富士山に見える山があるとのこと。
別海町で富士山のように慕われているのは、阿寒湖近くにある雄阿寒岳。あき子さんは、幼心にこれが富士山だと思い込んでいたようです。
残念ながら、この日は雄阿寒岳が見えませんでしたが、和子さんの家に戻ると、庭に野生の鶴が! 国の天然記念物・タンチョウは、北海道でも1800羽ほどしか生息しておらず、民家の軒先に現れるのは非常に稀。
故郷の縁起物を見ることができたあき子さん。その後も63年の空白を埋めるように、和子さんと楽しい時間を過ごします。
今度は、和子さんがそばを打ってくださることに。実は和子さん、そば打ち2段の資格を持っており、先生として教えられるレベルの腕前なのです。
あき子さんは、そばの生地をこねる鉢に興味津々。饅頭を作る時、普通の鉢だと生地がくっついてしまうため、和子さんのそば鉢が羨ましい様子。初めてのそば切りに挑戦させてもらうと、かなり太めの豪快な仕上がりになりました。
北海道に滞在中、和子さんの7つ下の妹、美枝子さんも来てくれました。あき子さんがいることは内緒にし、釧路から呼んだそう。美枝子さんが1歳の時にあき子さんはブラジルへ渡ったため、実際に会うのは初めて。和子さんから従姉妹の存在をよく聞かされていたとか。
そこに成喜さんも加わり、あき子さんとスザナさんの歓迎会を開いてくださることに。
料理は和子さんの手作り。先ほど打った出来立てのそばの他、根室など限られた地域でしか獲れない花咲蟹を入れた「てっぽう汁」、別海町名物のジャンボほたてなどが並びます。
愛情たっぷりの故郷の味を堪能し、楽しい時間を過ごしたあき子さんとスザナさん。実は、北海道にいるのは今日まで。昨晩エレナさんから、セルソさんがハミルトンさんの居場所を知っているとの連絡があり、セルソさんに話を聞きに行くことになったのです。明日には北海道を離れるあき子さんに、和子さんは「ありがとうね、探してくれて」と伝えました。

別れの時。和子さんの「もうお別れなんだね、ずっと元気でいて」との言葉に、「ありがとう」とあき子さん。スザナさんも「温かく迎えてくれてありがとう」と感謝を伝えます。
すると和子さんから、饅頭作りに役立つならと、10年愛用しているそば鉢のプレゼントが。大感激のあき子さんは、最後にハグを交わして再会を約束。63年ぶりの故郷で、姉妹同然の従姉妹・和子さんと再び絆を結ぶことができました。
26年一度もブラジルへ帰らず、顔を合わせていない息子と涙の再会!
北海道を離れ、向かったのは神奈川県川崎市。ニッポンへ出稼ぎに出て26年、どこで何をしているのかわからない、三男・ハミルトンさんの手がかりを追ってやって来ました。

川崎で待っていたのは、2年前に亡くなった夫・輝雄さんと前の奥さんとの間に生まれたセルソさん。あき子さんの子どもたちの良きお兄さんでもありました。顔を合わせるのは、約30年ぶりです。
電気工事の仕事で全国を飛び回っているセルソさんは、静岡のマイホームに家族を置いて、川崎で単身赴任中。久しぶりの再会でブラジルでは食べられないものをと、しゃぶしゃぶとすき焼きのお店を予約してくれました。
人生初のしゃぶしゃぶに「美味しい!」と大満足のあき子さんでしたが、ここで急展開が。電話が鳴り、慌てて席を立ったセルソさんは「待っているよ、着いたら電話して」と。
なんと、あき子さんのことを内緒にして、ハミルトンさんを呼び出してくれたのです。あき子さんはもちろん、まだ何も知りません。

働き詰めの母を楽にさせたいと、高校生の時、ニッポンに出稼ぎに行ったハミルトンさん。便りがない中、ブラジルで26年待ちわびていたあき子さんと、いよいよサプライズで再会! 母の姿を目にしたハミルトンさんは、すぐに駆け寄って抱きしめます。43歳になった息子に、「帰ってこないから来たんだよ」とあき子さん。
7人兄弟の中でも一番甘えん坊だったハミルトンさん。出稼ぎに来た当初は仕事に慣れず、職を転々としたことも。母の声を聞いたら弱音を吐いてしまうかもしれない、そんな思いで近況を伝えず、26年がむしゃらに働いたそう。
現在は川崎で一人暮らし。電気設備の会社で働くことで生活は落ち着いたものの、他の兄弟が幸せな家庭を築いていることにどこか引け目を感じ、連絡を取るきっかけを見失っていたとか。「申し訳ない」と詫びるハミルトンさん。あき子さんは「無事で良かったよ」と26年ぶりの再会を喜びました。

翌日は、息子に手料理を作ってあげるため、ハミルトンさんのマンションへ。作るのは、ニッポンでも手に入るブラジルの香辛料を使った牛肉の煮込み。ニッポンでいう肉じゃがのようなお袋の味です。
「この味だね、変わらない」と、手料理を美味しそうに頬張る息子を眺め、「元気なだけで、本当に安心しました」と話すあき子さん。
その後、ハミルトンさんは母に本物の富士山を見せてあげたいと、セルソさんも一緒に静岡県の観光牧場「ハートランド・朝霧」へ。晴れていれば目の前に富士山が見えるはずでしたが、残念ながらこの時は雲に隠れて全く見えず……。
と、そこへ、セルソさんの長男・グレイジソンさん一家が登場! ハミルトンさんと年が近いこともあり、ブラジルにいた頃は兄弟のようにいつも遊んでいました。
ニッポンの家族が揃ったところで、あき子さんから最愛の息子にサプライズが! ハミルトンさんの誕生日が近いということで、帰国前に家族で祝い、もう一度絆を深めたいと準備していたのです。

家族揃って牧場内のコテージで食事をしていると、スザナさんがバースデーケーキを持って登場。26年ぶりに息子の誕生日を祝うことができました。「良かったね、ハミルトン。みんなに祝ってもらって」とあき子さん。「心に刺さった。良かった…」と感動するハミルトンさんでした。
そして別れの時。母への想いを手紙にしたハミルトンさんは、「一緒にいられたのはたった3日間でしたが、お母さんの料理を食べられて嬉しかった」「別れは辛いけど、いつも心に母さんはいます」と読み上げます。
あき子さんも、ニッポンの家族への想いを、日本語で一生懸命綴っていました。涙が止まらないあき子さんに代わり、スザナさんが読み上げます。セルソさん、ハミルトンさん、エレナさんとの再会については「大変嬉しく、これも皆さんのおかげです」と感謝を。さらにハミルトンさんに向けて、「お前も身体に気をつけて。再会を指折り数えて私は待っとくよ」と……。

26年の空白を埋め、絆を再確認した母と息子。最後にハミルトンさんは、住んでいる場所を覚えていてほしいと、川崎Tシャツをプレゼント。「身体に気をつけてね。電話するから」と伝え、ハグを交わして別れを惜しみました。
夢のように過ぎた、63年ぶりの故郷・ニッポンへの里帰り。帰国を前にあき子さんは、
「63年ぶりに故郷に帰ってきて大変嬉しかったです。また何年か先に、従姉妹(和子さん)とハミルトンに会いにいきます」と語ってくれました。
スザナさんは「ブラジルの家族にも報告できます。良かったです、ありがとうございました」と感謝を伝え、最後に「Tシャツ回収しますから」と驚きの発言を! ブラジルの家族へのお土産にしたいそう。
あき子さん、スザナさん、またの来日をお待ちしています!
月曜夜8時からは、月曜プレミア8「世界!ニッポン行きたい人応援団」を放送!
▼“日本伝統の泳法”を学び劇的進化!
400年の歴史☆日本古来の“伝統泳法”でおそらく海外では初!?のチームを結成するポーランドのピョートルさんとパヴェウさん。現在でも13の流派があり、神伝流一水会の合宿に参加!海での実際の泳ぎを体感する。
そして、慶應義塾大学体育会水泳部葉山部門で特訓を受け、年に一度の日本泳法大会で行われる資格審査に挑戦!あれから7年…ピョートルさんとパヴェウさんが驚きの進化を!
▼伝統和菓子“ようかん”作るハンガリー人
鎌倉時代から原型が食べられていたという和菓子“ようかん”を作るハンガリーのマリアンさん。福島県二本松市で江戸時代からの製法を守る「玉嶋屋」で“外はシャリ、中はなめらか”昔ながらの本練ようかんの作り方を学ぶ。
続いて、島根県松江市の「彩雲堂」で寒天と砂糖でつくる和菓子“錦玉羹”作りを学ぶ!あれから4年…マリアンさんと「玉嶋屋」「彩雲堂」の皆さんが近況報告を!
記事提供元:テレ東プラス
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