元明天皇が藤原京を離れ、平城遷都をした本当の理由とは?【日本史】
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元明天皇が藤原京を離れ、平城遷都をした本当の理由
和銅元年(七○八) 正月のこと。
武蔵国から献上された和銅を記念して年号を改めた元明天皇は、住み慣れた藤原京を離れ、大和盆地北端に移転する決定を下します。いわゆる平城遷都です。
理由は色々挙げられますが、本当の理由は一つ。二十年ぶりに帰国した遣唐執節使粟田真人(あわたのまひと)が唐の文化、国力、首都長安の威容をつぶさに報告し、朝廷を刺激したからです。
その結果、出現したのが「あをによし 奈良の都は咲く花の にほふがごとく いま盛りなり」(万葉集)と詠まれた通り、碁盤目に区画された街並みに白い築地塀、朱色の柱、緑色の屋根が建ち並ぶ都市空間でした。
注目されるのは、掘立柱に板敷の高床、檜皮葺(ひわだぶき)の屋根という和風建築も混在する和唐折衷主義の都になっていたことです。律令国家建設も同じく和唐折衷になることを予告していたのです。
出典:『図解 眠れなくなるほど面白い 日本史』著:鈴木旭
記事提供元:ラブすぽ
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