尾崎将司さんの全盛期を支えた元キャディの佐野木計至氏 「向こうで練習しとって、また担ぐから」最後に交わした“握手”
イチオシスト
昨年12月23日にS状結腸がんのため死去したジャンボこと尾崎将司(本名:尾崎正司)さんのお別れ会が16日、都内のホテルで開かれた。式典には発起人代表の青木功ら約1000人が参列。幼少期から共に過ごし、尾崎さんの伝説的な活躍をキャディとして支えた佐野木計至氏は弔辞も読み上げ、お別れ会終了後には取材に応じた。
徳島県宍喰町(現・海陽町)出身の2人。お互いの実家が100ヤード以内で小中高の学校だけでなく、産婆さんや保育園まで同じという幼なじみ。海南高校野球部時代は春の選抜大会で甲子園優勝をつかみ取った。佐野木氏が1歳年下で「ジャン兄」と呼んでいる。
「現役を引退してからジャンボと会うこともなかったし、たまに田舎に帰る時に『おい、帰るぞ』って電話きたり、年に1、2回会うぐらい。ジャン兄がいない感じはしない。だって家に帰っても写真はいっぱいあるし、自分の部屋にもある。栄光の写真ばかり。これから田舎に帰ったら、朝昼晩とたばこと焼酎を持って会いに行けるし。だから寂しいっちゃ寂しいけど、まだピンとこないね」と胸の内を明かす。
栄光の思い出の中で特に色濃く残っているのが1995年の「ダンロップフェニックス」での優勝だ。1打差で迎えた最終18番パー5でイーグルを奪っての鮮やかな逆転Vだ。「あの逆転優勝ね。最後の18番の。あれはやっぱり今までの日本ゴルフ界の中でも一番のシーンじゃなかったかな」と当時の興奮は今でも鮮明に覚えている。
プロ113勝を挙げた尾崎さんの強さのヒミツをあらためて語る。「やっぱり、よくばり。一途なよくばり。もうとにかく勝ちたい、人よりうまくなりたい。ゴルフ以外でも歌も上手くなりたいとか。なんでもトップに立たないと気が済まない性格だから」。常にうまくなるために追求する性格が最強のゴルファーをつくったという。
最後に会ったのはジャンボ邸に足を運んだ昨年12月。「『ジャンボさんが会いたがっていますよ』ってマネージャーから電話があって。こんにちはって入っていってもよそよそしいから『ジャン兄、ダイエット成功しとるね』って言ったんだよね。もうかなり痩せてたから。おそらく70キロちょっとかな」。初日は田舎の話しなど会話をする時間も多かったが、2日目になると声がかすれて話す時間も短かったという。「ちょっと話しが途切れたら目をつぶっていくんだよね。2人の間で空白の時間ってあんまりないんだよね。あの時間の1分や2分の空白がものすごく長く感じた」と最後の会話のシーンを思い浮かべる。
「最後の別れの時に、ジャン兄は『俺みたいないい人生なかろう。やりたいことやって、勝ちたいことやって。何の悔いもない』と言っていた。『ジャン兄、向こう行ってもすぐ練習しとって、また担ぐからね』って言ったら手を出してきて、握手して。涙ながらにじゃあねって。試合で勝ってもハイタッチだけ。今までジャンボと握手なんかしたことなかったから。あの時はつらかった」と悲痛な表情で話した。
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