医師を辞め、旧ソ連・モルドバで「おにぎり店」開店!その意外な理由:世界の秘境で大発見!日本食堂
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2月26日(木)に放送した、「世界の秘境で大発見! 日本食堂」 【MC:名倉潤(ネプチューン)、ゲスト:長嶋一茂、井森美幸、大西流星(なにわ男子)、河井ゆずる(アインシュタイン)、進行:今井美桜】
「テレ東プラス」は、「旧ソ連モルドバ…医師の職を投げ打ち…ナゼかおにぎり店開店」の内容を紹介する。
【動画】医師を辞め、旧ソ連・モルドバで「おにぎり店」開店! その意外な理由

東ヨーロッパの旧ソ連加盟国・モルドバ共和国。日本から約8000km離れ、ヨーロッパ最貧国の一つに数えられる国だ。
そんな地で医師の職を手放し、おにぎり店を営む日本人がいる。現在40歳の長嶋友希さんだ。
モルドバは九州ほどの面積に約250万人が暮らし、平均年収は約160万円と日本の半分以下。2022年に始まったロシアによるウクライナ侵攻の影響を色濃く受ける隣国で、国境付近は厳戒態勢が続く。一方、首都キシナウの街には美しいイルミネーションが輝き、戦火の隣とは思えない日常が広がっている。

そんなモルドバで今、ブームになっているのがおにぎりだ。街では、パンをかじるような感覚でおにぎりを頬張る人の姿が見られる。

長嶋さんが営む日本食堂「Onigiri(おにぎり)」は、日本の輸入商品店の一角を借りて営業中。オープンからわずか3カ月だが、店内は連日大混雑。
今や寿司店は海外でもよく見かけるが、おにぎり店は珍しい。聞けば、この店のおかげでおにぎりがモルドバでブームになっているという。

全6種類の中で一番人気は、現地の寿司店の具材をヒントにした「サーモンクリームチーズおにぎり」。ほかに、エビとクリームチーズを合わせたものや、チーズを巻いた「ハム&チーズ」、日本でもおなじみの「ツナマヨ」「枝豆」などが並ぶ。
興味深いのが、日本でもおなじみの「ゆかりおにぎり」。
当初は本物の梅干しを使ったが、「スタッフに吐き出された」ほど現地の人に不評。そこで、モルドバで伝統的に食べられているプラムのピクルスに変更。あらゆる食材をピクルスにする“ピクルス大国”の味覚に親しみやすい一品へと進化させた。

長嶋さんが寿司ではなくおにぎりを選んだ理由は、寿司のような長い下積みが不要だから。
「おにぎりは職人の世界ではなく、大衆の食べ物。料理人ではない僕が挑戦するには最適」と話す。
店を運営する上での苦労は絶えない。
猛烈な寒さで突然ブレーカーが落ち、調理がストップすることも。また、おにぎりを三角形に握る技術は日本人特有の技能であり、現地のスタッフには至難の業。そのため、型を使って形を整えている。
言語の壁も厚い。モルドバの公用語はルーマニア語で、英語が通じない客も多い。英語が使えない時は、現地スタッフが接客を担うという。

さらに物価高も直撃。食品の多くをウクライナやロシアに頼るモルドバでは、戦争の影響で価格が高騰。主力具材のサーモンは、開店当初から仕入れ値が約1.5倍に上がった。
こんな苦労があるにも関わらず、長嶋さんはなぜ医師を辞めてまでモルドバでおにぎり店を始めたのか?
1985年、千葉県館山市で生まれた長嶋さん。高校卒業後、進学したのは国立筑波大学の体育専門学部。バスケットボールに明け暮れる青年だった。

転機は大学卒業後、アフリカ・ガーナでのNGO活動。HIV予防啓発に携わる中、「人のためになるには資格が必要」と痛感し、20代半ばで医師を志す。
小学校の算数から学び直し、29歳で国立高知大学医学部へ編入。34歳で卒業後、千葉県の亀田総合病院で研修医として働き始めた。

順調に医師としてのキャリアを歩んでいたが、運命を激変させる出来事が。
それが、2022年2月のロシアによるウクライナ侵攻。
歴史的な事件を前に「何らかの役割を果たさなければ、ここまでキャリアを進めた意味がない」と考えた長嶋さんは、侵攻開始からわずか2日後には各機関に連絡を取り、迷うことなく避難所のあるモルドバへ。約2年間、ウクライナ避難民の治療や、爆撃を受けた病院の再建に尽力した。
しかし、人道支援医療には限界があった。国際的な特例措置の終了により、日本の医師免許のまま医療行為を続けることが困難になったのだ。

医師としての人道支援が厳しくなった中で、思いついたのがおにぎり店だった。
ヨーロッパで高まるおにぎり人気に着目し、「いずれモルドバにも波が来る」と予測。2025年9月、専門店をオープンした。
「先行きが不透明な方がやりがいがある。10年後が見えてしまう人生は、自分の原動力にならなかった。来年潰れるかもしれない、3年先も分からない今のほうが燃える」
そこには、現地の人々やウクライナ避難民を雇用し、モルドバ経済に直接貢献したいという、医師時代と変わらぬ信念があった。

独身で恋人もおらず、休みなく朝から晩までおにぎりを握る日々。
オープンから約100日で大繁盛となった一方、新たな問題も発生した。長嶋さんのブームにのっかり、他の日本料理店でもおにぎりを出す店が続出。長嶋さんの店からわずか200m先にも、おにぎりをメニューに加えた店が出現した。
しかし、長嶋さんは「この国では、一つ成功すると皆がまねをする。最初から想定していた」と冷静だ。
店名をあえて一般名詞の「Onigiri」にしたのも戦略の一つ。モルドバでおにぎりが広まるほど、「おにぎり モルドバ」と検索される機会が増える。検索上位に自店が表示されるよう計算していたのだ。

そんな長嶋さんは、いずれ会社のオーナーシップを現地の人に譲渡したいと話す。一体なぜ? 続きは「TVer」、「ネットもテレ東」で! 便利なお気に入り登録もお忘れなく!
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【動画】医師を辞め、旧ソ連・モルドバで「おにぎり店」開店! その意外な理由

東ヨーロッパの旧ソ連加盟国・モルドバ共和国。日本から約8000km離れ、ヨーロッパ最貧国の一つに数えられる国だ。
そんな地で医師の職を手放し、おにぎり店を営む日本人がいる。現在40歳の長嶋友希さんだ。
モルドバは九州ほどの面積に約250万人が暮らし、平均年収は約160万円と日本の半分以下。2022年に始まったロシアによるウクライナ侵攻の影響を色濃く受ける隣国で、国境付近は厳戒態勢が続く。一方、首都キシナウの街には美しいイルミネーションが輝き、戦火の隣とは思えない日常が広がっている。

そんなモルドバで今、ブームになっているのがおにぎりだ。街では、パンをかじるような感覚でおにぎりを頬張る人の姿が見られる。

長嶋さんが営む日本食堂「Onigiri(おにぎり)」は、日本の輸入商品店の一角を借りて営業中。オープンからわずか3カ月だが、店内は連日大混雑。
今や寿司店は海外でもよく見かけるが、おにぎり店は珍しい。聞けば、この店のおかげでおにぎりがモルドバでブームになっているという。

全6種類の中で一番人気は、現地の寿司店の具材をヒントにした「サーモンクリームチーズおにぎり」。ほかに、エビとクリームチーズを合わせたものや、チーズを巻いた「ハム&チーズ」、日本でもおなじみの「ツナマヨ」「枝豆」などが並ぶ。
興味深いのが、日本でもおなじみの「ゆかりおにぎり」。
当初は本物の梅干しを使ったが、「スタッフに吐き出された」ほど現地の人に不評。そこで、モルドバで伝統的に食べられているプラムのピクルスに変更。あらゆる食材をピクルスにする“ピクルス大国”の味覚に親しみやすい一品へと進化させた。

長嶋さんが寿司ではなくおにぎりを選んだ理由は、寿司のような長い下積みが不要だから。
「おにぎりは職人の世界ではなく、大衆の食べ物。料理人ではない僕が挑戦するには最適」と話す。
店を運営する上での苦労は絶えない。
猛烈な寒さで突然ブレーカーが落ち、調理がストップすることも。また、おにぎりを三角形に握る技術は日本人特有の技能であり、現地のスタッフには至難の業。そのため、型を使って形を整えている。
言語の壁も厚い。モルドバの公用語はルーマニア語で、英語が通じない客も多い。英語が使えない時は、現地スタッフが接客を担うという。

さらに物価高も直撃。食品の多くをウクライナやロシアに頼るモルドバでは、戦争の影響で価格が高騰。主力具材のサーモンは、開店当初から仕入れ値が約1.5倍に上がった。
こんな苦労があるにも関わらず、長嶋さんはなぜ医師を辞めてまでモルドバでおにぎり店を始めたのか?
1985年、千葉県館山市で生まれた長嶋さん。高校卒業後、進学したのは国立筑波大学の体育専門学部。バスケットボールに明け暮れる青年だった。

転機は大学卒業後、アフリカ・ガーナでのNGO活動。HIV予防啓発に携わる中、「人のためになるには資格が必要」と痛感し、20代半ばで医師を志す。
小学校の算数から学び直し、29歳で国立高知大学医学部へ編入。34歳で卒業後、千葉県の亀田総合病院で研修医として働き始めた。

順調に医師としてのキャリアを歩んでいたが、運命を激変させる出来事が。
それが、2022年2月のロシアによるウクライナ侵攻。
歴史的な事件を前に「何らかの役割を果たさなければ、ここまでキャリアを進めた意味がない」と考えた長嶋さんは、侵攻開始からわずか2日後には各機関に連絡を取り、迷うことなく避難所のあるモルドバへ。約2年間、ウクライナ避難民の治療や、爆撃を受けた病院の再建に尽力した。
しかし、人道支援医療には限界があった。国際的な特例措置の終了により、日本の医師免許のまま医療行為を続けることが困難になったのだ。

医師としての人道支援が厳しくなった中で、思いついたのがおにぎり店だった。
ヨーロッパで高まるおにぎり人気に着目し、「いずれモルドバにも波が来る」と予測。2025年9月、専門店をオープンした。
「先行きが不透明な方がやりがいがある。10年後が見えてしまう人生は、自分の原動力にならなかった。来年潰れるかもしれない、3年先も分からない今のほうが燃える」
そこには、現地の人々やウクライナ避難民を雇用し、モルドバ経済に直接貢献したいという、医師時代と変わらぬ信念があった。

独身で恋人もおらず、休みなく朝から晩までおにぎりを握る日々。
オープンから約100日で大繁盛となった一方、新たな問題も発生した。長嶋さんのブームにのっかり、他の日本料理店でもおにぎりを出す店が続出。長嶋さんの店からわずか200m先にも、おにぎりをメニューに加えた店が出現した。
しかし、長嶋さんは「この国では、一つ成功すると皆がまねをする。最初から想定していた」と冷静だ。
店名をあえて一般名詞の「Onigiri」にしたのも戦略の一つ。モルドバでおにぎりが広まるほど、「おにぎり モルドバ」と検索される機会が増える。検索上位に自店が表示されるよう計算していたのだ。

そんな長嶋さんは、いずれ会社のオーナーシップを現地の人に譲渡したいと話す。一体なぜ? 続きは「TVer」、「ネットもテレ東」で! 便利なお気に入り登録もお忘れなく!
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