ひろゆき、篠田謙一(国立科学博物館長)に人類の歴史を学ぶ⑨「われわれ日本人は、どこから来たのですか?」【この件について】
イチオシスト

「現代日本人のDNAの8割から9割は渡来系。縄文人由来のものは1割から2割」と語る篠田謙一氏
ひろゆきがゲストとディープ討論する『週刊プレイボーイ』の連載「この件について」。分子人類学者で国立科学博物館長の篠田謙一先生をお迎えしての第9回です。
今回からのテーマは「日本人のルーツ」。われわれの祖先は、どうやって日本にやって来て、どんなふうに生きてきたのか? 日本列島では4万年前の人間の活動跡が出ているそうです。
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ひろゆき(以下、ひろ) 今回は日本人のルーツについて教えてください。われわれの祖先はどこからやってきたんですか?
篠田謙一(以下、篠田) われわれホモ・サピエンスは約30万年前にアフリカで誕生し、そこから本格的に世界展開を始めたのが約6万年前です。では、日本列島にはいつ頃たどり着いたのか。考古学的な証拠で見ると、4万年前ぐらいに一番古い石器などの人間の活動跡が出てきます。
ひろ じゃあ4万年前には日本にホモ・サピエンスが住んでいたと。
篠田 ところが、ここが微妙なんです。当時アジアにはデニソワ人という、ホモ・サピエンスとは異なる旧人類が広く住んでいたことがわかってきています。
ひろ ということは、4万年前に日本にいたのが、今の僕らの先祖であるホモ・サピエンスだったのか、それともデニソワ人だったのか、はっきりわかっていないってことですか?
篠田 そうなんです。それを証明するには人骨が出てこなければいけないのですが、日本は酸性土壌のため古い人骨がなかなか残らない。多くの研究者は「4万年前に入ってきたのはホモ・サピエンスだろう」と考えていますが、確実な証拠はないんです。
ひろ その人たちは、どうやって日本にやって来たんですかね?
篠田 6万年前から1万年ほど前まで地球は氷河期でした。寒い時期には海面が下がって陸地が広がります。当時の日本は本州・四国・九州は地続きでひとつの大きな島でしたが、朝鮮半島とは海で切り離されていたんです。一方、北海道はサハリンと陸続きで、そのサハリンもシベリアとつながっていた。つまり、北海道は大陸の〝半島〟のような状態でした。
ひろ 北海道と本州の間は、つながっていなかったんですか?
篠田 地続きではありませんでした。ただ、冬季には流氷の影響もあって渡りやすい状況が生まれていたという説もあります。人間にとって移動の障壁にはならなかったでしょう。そして、このほかの陸地とつながっていなかった日本列島も4万年前になると石器などが出てくるのです。ですから、誰かが海を越えて入ってきたこと自体は間違いありませんが、その〝最初の人たち〟が誰だったのかは、残念ながらまだよくわかっていないんです。
ひろ じゃあ、今の僕らに確実につながっているのは誰なんですか?
篠田 それが〝縄文人〟と呼ばれる人たちです。彼らの遺伝子を調べると約6割は南方系、つまり東南アジアから北上してきた系統と共通性があることがわかっています。残りの4割は朝鮮半島やシベリアを経由して入ってきた北方系のゲノムです。約5万年前に東南アジアへ到達し、そこから1万年ほどかけて北上してきた南方系。それとは別に大陸の内部を北へ進み、朝鮮半島などを経由して日本に入ってきた北方系。このふたつの流れが日本列島で出会い、混ざり合うことで縄文人のベースが出来上がったと予想しています。
ひろ よくいわれる「弥生人は朝鮮半島からの渡来人で、縄文人はもともと日本にいた先住民」みたいな単純な二項対立とはだいぶイメージが違いますね。
篠田 縄文時代以降の大きな流れとしてとらえるぶんには、その理解で間違いではないのですが、少し注意が必要なのは言葉の定義です。縄文人というのは、あくまで「縄文時代に日本列島に住んでいた人」を指す言葉で、人種や民族のカテゴリーではありません。弥生人も弥生時代に住んでいた人たち。よく「縄文人と弥生人は戦ったんですか?」という質問を受けますが、そもそも時代が違っているので戦いようがないんです。
ひろ 「平成時代の人と令和時代の人は戦争をしましたか?」って聞かれても困りますよね(笑)。
篠田 そのとおりです。ちなみに縄文時代の定義は「縄文土器」の存在です。20世紀の終わり頃は「1万2000年前に縄文時代が始まった」と教えていましたが、今は1万6000年前までさかのぼりました。青森県の大平山元遺跡などで、より古い時代の土器の断片が見つかったからです。
ひろ ところで、その縄文人の先祖が日本に来たのは、具体的にいつ頃なんですか?
篠田 縄文人の先祖の痕跡をゲノムでたどると、だいたい3万年前あたりで日本に入ってきたという結果になります。そうなると、4万年前の石器を使っていた「最初の人たち」は、もしかすると現代の私たちにDNAを一切残さずに絶滅してしまったか、別の場所に去ってしまった可能性があります。
ひろ となると、今の僕らは誰の子孫になるんですか?
篠田 実は、現代日本人の「メインストリーム」は別にあります。今から約5000年前、朝鮮半島のさらに北にある遼河周辺に、雑穀農耕を行なう農民たちが住み始めました。彼らの遺伝子が現代の私たちに一番近いんです。5000年前にその辺りで雑穀を作っていた人たちが、4000年前に朝鮮半島に入り、3000年前に稲作を携えて日本列島に流入しました。彼らが日本に入ってきた後、もともといた縄文系の人たちを吸収しながら急激に勢力を広げた。その結果、現代日本人のDNAの8割から9割は、彼ら〝渡来系〟に由来し、縄文人由来のものは1割から2割程度になったんです。
ひろ 縄文系の人たちは日本に3万年も住んでいたのに、たった3000年前に来た人たちに主役を奪われちゃったわけですか。
篠田 そうなんです。縄文人は狩猟採集社会を維持して暮らしていました。数十人規模の家族集団が村をつくり、ゆるやかに交流するような形です。狩猟採集社会は自然の恵みに依存するため、ひとり当たりに必要なテリトリーが大きく、人口密度を上げられない。ところが農耕が始まると、狭い土地で大量の食料が得られるため、農耕民の人口爆発が起きる。そして、圧倒的な数で周りに拡散していったと考えられます。
ひろ 縄文系は攻め滅ぼされたとかじゃないんですか?
篠田 吸収でしょうね。組織的な戦いの跡が見られるようになるのは、基本的には弥生時代以降です。一般に狩猟採集民は、衝突が起きそうになると別の場所へ移動すればいいというメンタリティを持っています。ですから大規模な戦争になりにくい。ところが農耕民は土地に縛られるから、力ずくでも土地を守る、あるいは奪うという論理で戦いが始まるんです。
ひろ 「嫌なら逃げる」という人たちは絶滅して、「死ぬまで土地を守って戦う」という連中の血が現代まで残ったってことですね。
篠田 まあ、言い方は別にして、そういう側面はあるかもしれません。ただ、縄文の痕跡が完全に消えたわけではありません。現代人の中にも1、2割はゲノムが残っていますし、アイヌの人々には約7割、沖縄の人々には約3割、縄文的な遺伝子が受け継がれていると考えられています。
ひろ なるほど。つまり日本人のルーツって、思っていたよりずっと複雑で、単純に「縄文か弥生か」という話じゃないんですね。
篠田 そのとおりです。
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■西村博之(Hiroyuki NISHIMURA)
元『2ちゃんねる』管理人。近著に『生か、死か、お金か』(共著、集英社インターナショナル)など
■篠田謙一(Kenichi SHINODA)
1955年生まれ。分子人類学者。国立科学博物館長。主な著書に『人類の起源』(中公新書)、『日本人になった祖先たち』(NHKブックス)など。2026年2月23日まで、東京・上野の国立科学博物館では特別展「大絶滅展」が開催中
構成/加藤純平(ミドルマン) 撮影/村上庄吾
記事提供元:週プレNEWS
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