【サッカー日本代表 板倉 滉の「やるよ、俺は!」】第52回 板倉 滉が初めて日の丸を背負った日
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板倉 滉が初めて日の丸を背負った日
日本の主軸DFとして、今年の北中米W杯にも期待がかかる板倉 滉。だが、世代別代表に初めて招集されたのは18歳と遅咲き。日本代表としてデビューを果たしたときのほろ苦い記憶、今もA代表で共に戦う仲間や影響を受けた盟友との出会いを語る。
【U-18の初招集で小川航基がまさかの】今、僕が所属しているアヤックスには10代ながら立派に活躍している選手がかなりいる。17歳のDFモキオや18歳のDFバウマン、MFステュアらがそうだ。いずれも近い将来、自国の代表選手としても期待がかかっている。
自分が10代の頃はどうだったのかというと、川崎フロンターレのトップチームに入ったものの、たまにカップ戦などに出場する程度だった。一方で、同期の三好康児はエリートコースを突っ走っていた。世代別代表(以下、アンダー)でも、三好は2013年に開催されたU-17W杯で3試合に先発、ベスト16入りに貢献した。
僕が初めて招集されたのはU-18のロシア遠征。14年の大晦日に集まり、15年1月13日までサンクトペテルブルクで国際ユーストーナメントに参加することになった。ずいぶん遅くなってしまったけど、〝人生初〟の代表入りは純粋にうれしかった。
今でこそ、A代表では自宅から空港までの送迎があり、飛行機もチャーター便、滞在先でも自分のペースで快適に過ごせているが、アンダーでは当然ながらかなりの違いがある。例えば、大会開催地での市内観光。これはA代表ではまずありえない。そもそも滞在先近辺の散歩以外、街へ出るということもしない。
でも、アンダーならば顔バレはほぼないし、文化を吸収するという目的もあって外に出る機会が用意されている。1月のロシアはとにかく極寒だったけど、街中にある韓国料理店に行って食べたキムチ鍋が冷えた体にじわっと染みたのを覚えている。
ちなみに、アンダーの慣習に〝一発芸〟がある。遅刻や忘れ物をしてしまった人、あるいは誕生日を迎える人がみんなの前で芸を披露する。このときは元日生まれの久保田和音(当時、大阪桐蔭高校)が見せてくれた。どういう芸だったかは覚えていない(笑)。
もうひとつ、このロシア遠征では忘れられない思い出がある。僕と同じく初招集となった(FW小川)航基(当時、桐光学園高校)のことだ。
アンダーでは、日本を出発する際、自分が持ってきたスーツケースの中身を、空港で協会側が用意してくれた大型バッグに詰め替えてから出発する。マイスーツケースは日本に置いていかなければならないのだ。僕は事前に三好から教わっていたので問題なかったが、航基はそれを知らなかった。
ロシアでの練習初日、ピッチに入ってきた航基の姿を見てみんながザワついた。なんと航基がスポーツ用ゴーグルではなく普段使いの眼鏡姿でボール回しを始めたからだ。愛用しているコンタクトレンズをスーツケースに入れっぱなしにしていたため、ロシアには届かず急場しのぎとなった。みんなが大爆笑したのは言うまでもない。
なお、僕は練習2日目に足を捻挫してしまい、3日目以降はホテルでひたすらアイシングの日々。試合に出られたのは1月12日、ブルガリアとの7位・8位決定戦だった。
足首にしっかりテーピングをして、右CB(センターバック)として先発出場。78分に交代するまでプレーした。結果は3-0。ケガでみんなに迷惑をかけてしまったが、初めての代表での試合を勝利で飾ることができたのは何よりだった。
【大会で出会った17歳のキレキレボーイ】だが、そこからレギュラーとはならなかった。次に呼ばれたのは15年8月に静岡で開催されたSBSカップ国際ユースサッカーという大会。追加招集という形だった。
このとき、僕はガンバ大阪ユースからやって来た〝勝ち気でドリブルがキレキレの17歳〟と出会う。それがMF堂安律だ。普段はめちゃめちゃかわいい弟キャラだったが、鼻っ柱が強く、ボールの持ち方だったり、ドリブルに加えて豪快なシュートといった才能はこの頃から抜群だった。
僕はロシア遠征に続き、内山篤監督からは「板倉ァ〜ッ!!」と、事あるごとに怒鳴られっぱなし。出た試合にも負け、いいとこなしだった。
三好はこの大会でも相変わらず輝いていた。そしてDFでは、ロシア遠征でのブルガリア戦で一緒にCBを組んだ同い年の中山雄太が圧倒的な存在感を示した。ひとつひとつの練習、試合に対して真摯に取り組んでいた姿が印象的だった。
それに比べ、あの頃の僕はサッカーと向き合えていなかった。どこかフワフワとしていた。だからこそ、柏のU-18からトップチームに内定していた雄太の意識の高さを見て衝撃を覚えた。
雄太とは22年のW杯カタール大会で一緒に戦いたかった。残念ながら雄太は大ケガをしてしまい、出場はかなわなかったけど、その後、FC町田ゼルビアに移籍し、昨年11月に行なわれた天皇杯決勝でのチームにタイトルをもたらす活躍はもちろん知っている。
僕は自分のことのようにうれしかった。プレーヤーとして、同い年のひとりの人間として、雄太のことは今も心からリスペクトしている。再び代表で一緒に戦う日を待ち望んでいる。

板倉 滉
構成・文/高橋史門 写真/アフロ
記事提供元:週プレNEWS
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