ありがとう!田宮会長…「タミヤ」を愛する外国人から感謝のメッセージ:世界!ニッポン行きたい人応援団
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ニッポンに行きたくてたまらない外国人を世界で大捜索! ニッポン愛がスゴすぎる外国人をご招待する「世界!ニッポン行きたい人応援団」(毎週月曜 夜8時54分 ※12月22日は夜6時25分)。
今回は、「タミヤ」を愛する外国人の初来日の様子をお届けします。
【動画】ありがとう!田宮会長…「タミヤ」を愛する外国人から感謝のメッセージ
紹介するのは、アルゼンチン在住の「タミヤ」を愛するディエゴさん。

ニッポンを代表する模型メーカー「タミヤ」は、戦後間もなく創業。1960年にプラモデルの製造を開始しました。
実物を縮小して再現することにこだわり、徹底した取材で細部までリアリティーを追求。精巧で組み立てやすいキットで評判に。会長の田宮俊作さんは、「タミヤ」を世界のトップメーカーへ押し上げたレジェンド的存在です。
今年7月、そんな田宮会長が90歳で逝去。当番組で、田宮会長とかけがえのない絆を築いたのが、7年前にご招待したディエゴさんです。
田宮会長を“神様”と尊敬するディエゴさんと「タミヤ」のプラモデルとの出会いは6歳の時。祖父に買ってもらい、その虜に。
将来、「タミヤ」で働きたいと工業系の専門学校に進学しましたが、父親が病に倒れ、多額の借金が発覚。ディエゴさんは学校を中退し、弟たちの学費や生活費を工面するため、家業を継いで働きづめの毎日に。
そんな生活を20年近く続け、ようやく借金完済の目処が。ディエゴさんのお母さんは「ディエゴのニッポン行きは私たち家族全員の夢でもある」と話します。
そこで、ディエゴさんをニッポンにご招待! 30年来の夢が叶い、初来日を果たしました。
向かったのは、東京・新橋にある「タミヤ」のオフィシャルショップ「タミヤプラモデルファクトリー新橋店」。プラモデルや工作キットなど6000点のアイテムが揃う、模型ファンの聖地です。憧れの店舗を前にしたディエゴさんの目には、感動の涙が…。

店内で「初めて完成品を見ました」とディエゴさん。実は、30年以上かけて「タミヤ」のプラモデルを集めてきましたが、その9割は未開封。「未熟な自分が作ることで、「タミヤ」が完璧でなくなってしまう」と気づき、ニッポンで学んでから組み立てると決めていました。
「タミヤ」社員の岡本真一さんによると、田宮会長が年始の挨拶でディエゴさんのことを話したそうで、「信じられません。エベレストに登頂した気分です」と大感動!

この日が誕生日だったディエゴさん。名前入りのオリジナルエプロンと、ずっと欲しかったという「ダックス ホンダ」の完成品をいただき、「最高のプレゼントです!」と喜びを伝えました。
「タミヤプラモデルファクトリー」の皆さん、本当にありがとうございました!
翌日は、いよいよ静岡市にある「タミヤ」本社へ。敬意を表するため、スーツ姿で向かいます。
「タミヤ」の社内はインターネットで見ることができますが、ニッポンに行って直接見たいからと、一度も見ていなかったそう。「タミヤ」と出会って37年…ディエゴさん、初めて目にする本社にまたまた感動の涙が。
出迎えてくださったのは、国際部の羽根広宣さん。23年前、「タミヤ」への想いが抑えきれずに手紙を送った時、返事をくださった方です。

その後も、プラモデル化してほしい車種のリクエストや細かな質問まで、やり取りは20通以上。羽根さんの誠実な対応に、「タミヤ」への愛がさらに深まったそう。
ディエゴさんが、これまで送った手紙を保管していてくれたことに「感謝しかありません」と羽根さん。
続いて、歴代のプラモデルなど1200点が展示されている「タミヤ」歴史館へ。
目に留まったのは、「ホンダ モンキー」のプラモデル。大好きだった祖父の愛車で、形見として譲り受け、今も大切にしています。外箱に使われた手描きイラストも、特別に見せていただきました。
そして、ディエゴさんがどうしても見たかったという、プラモデルのパーツの金型の工場へ。世界最高峰の精度といわれる「タミヤ」の金型は、一つの製品で開発に数千万円以上かかることも。金型の表面をツルツルに仕上げるのは、全て職人の手仕事。

ここで、ディエゴさんが取り出したのは、37年前に初めて作ったプラモデルの部品を外した後の枠。「皆さんの情熱が詰まっているので大切にしてきました」と話すディエゴさんに、「非常に嬉しく思います」(金型部 大村省吾さん)。
こうして、憧れの「タミヤ」本社を大満喫したディエゴさんにウェルカムサプライズ!
なんと、人生で誰よりも会いたかった田宮会長にお会いできることに。ディエゴさん、感激のあまり言葉が出てきません。そこで、去年の会長の誕生日に書いた手紙を読ませていただきます。

「私は小さい頃から『タミヤ』が大好きでした。工業デザインを学び、将来は『タミヤ』で働くことを夢見てきました。しかし家族を支えるために家業を手伝うことになり、夢を叶えることは出来ませんでした。俊作さんは私にとって生きる活力、エンジンのような存在です。これからも、たくさんの人に夢と希望を与え続けてください」。

田宮会長は「こんなに熱烈な手紙をもらったのは初めてです。(ディエゴさんは)タミヤファミリーです」と。さらに、「いろいろ新製品を送るので、作ってもらいたい。感想や意見も欲しいです」と嬉しいお言葉も。
田宮会長、本当にありがとうございました!
この日、仕事終わりの羽根さんたちが歓迎会を開いてくださいました。すると、羽根さんから「タミヤ」の社員しか付けられないツインスターの社章が! なんと、田宮会長からのプレゼントだそう。皆さんともすっかり打ち解け、名物の静岡おでんや海の幸を楽しみました。
そしてディエゴさんには、もう一つ、ニッポンで叶えたい夢がありました。
「プラモデルの作り方を教わりたい」という願いを叶えるため、横浜にある「タミヤ」のオフィシャルショップ「タミヤプラモデルファクトリートレッサ横浜店」へ。こちらには、誰でも模型作りが楽しめるアトリエがあります。
教えてくださるのは、講師を務める長谷川伸二さん。ネット番組で指導も行うプロモデラーです。今回は、祖父の愛車「ホンダ モンキー」を作ることに。

道具の使い方などを一から教えていただいたディエゴさんは、ほぼ7時間、作業に没頭。「ここに来る時間があるならば、一緒にやってもかまわないです」ということで、翌日も長谷川さんのもとで、朝10時から夜9時まで作業を続けることに。
近くにホテルを押さえ、毎日バスで通うディエゴさん。楽しみにしていた京都観光もキャンセルし、ひたすら作り続けます。徐々にこだわりが出始め、キットにない部品まで手作り。10日も通うと、常連さんともすっかり顔なじみに。

田宮会長にプラモデル作りを勧められ、熱中すること2週間…ついに完成!
実はこれ、祖父から譲り受けたバイクを再現したもので、色々なアングルの写真を撮り、破れたシートやタンクのへこみまで作り込んでいます。
早速、完成したモンキーを羽根さんたちにお披露目すると、あまりの出来の良さに、皆さん絶句! 田宮会長にも見ていただき、「会長にプレゼントします」と伝えたところ、なんと、歴史館に飾ってくださることに。
「数年前、会社の業績が悪化して、自分は何のために働いてるんだろう、生きてる意味がないんじゃないかと落ち込んだことがありました。そのとき『タミヤ』のプラモデルを見て、“絶対ニッポンに行くんだ”と踏ん張りました」(ディエゴさん)。
すると田宮会長は「世界一『タミヤ』の模型に情熱を持っている、一番のファンですよ」と。

最後にハグを交わし、ディエゴさんは「頑張ってよ!」と激励の言葉をいただきました。
そして、今年11月。「タミヤ」本社では田宮会長のお別れの会が開かれ、世界中から多くの関係者とファンが参列しました。田宮会長が飾ると言ってくださったディエゴさんの作品は、7年経った今も大切に展示されています。

ディエゴさんからも、メッセージが届きました。
「私は幼い頃から会長にお会いするのが夢でした。番組のおかげで夢が現実となり、あまりの神々しさと緊張で、ずっと見とれてしまいました。あの瞬間は一生忘れることはできません。私を家族のように受け入れてくれて、優しく接してくださって、ますます会長、そして『タミヤ』のことが大好きになりました」。
そして最後に、「また必ずニッポンに行くので、会長のお墓参りをさせてください。全世界の『タミヤ』ファンを代表して感謝を申し上げます」と締めくくりました。
番組にご協力いただいた田宮俊作会長、本当にありがとうございました。謹んでお悔やみ申し上げます。
月曜夜6時25分からは「世界!ニッポン行きたい人応援団」【お正月直前!ドドーンと3人ご招待しちゃったSP】を放送!
▼5年前にインターネットでおせちを知って以来、毎年自作のおせちで正月を迎えているというカナダ人のマットさん。栗きんとんがきれいな黄金色に仕上がらないことが悩みで、本場ニッポンの職人からおせち作りの秘訣を習いたいと願っていた。
▼超一流の現代の名工、黄綬褒章受章の日本を代表する料理人のもとで、究極のレシピを伝授してもらうことに!煮しめ、伊達巻、昆布巻き、最後はおせち料理で一番人気といわれる栗きんとんの製法を学ぶ。
▼アメリカ北西部で暮らすケイトさんは、父と一緒に100年続くりんご農園で「ふじ」を栽培している。経営危機も経験した農園を救うべく、ケイトさんが「ふじ」の生まれ故郷ニッポンで栽培方法を学ぶ。
▼りんごの生産量で全国シェア60%を誇る青森県へ!なぜ日本のりんごには蜜がたくさん詰まっているのか?その裏には農家の方の並々ならぬ努力が隠されていた。
▼20年前にイタリアで開かれたイベントで日本の凧を見て、一目ぼれをしたというフランコさん。伝統の凧作りの技を学び、日本の空で飛ばしたいという夢があるという。
▼新潟県にある凧の博物館に訪れると、日本中の凧が勢ぞろい。フランコさんの凧の知識量には館長も驚きを隠せない様子。凧絵師さんから描き方を教えてもらい大感動。そして、尊敬する名古屋の凧作りの名人のもとへ!作り方が激ムズの「福助」とは?
今回は、「タミヤ」を愛する外国人の初来日の様子をお届けします。
【動画】ありがとう!田宮会長…「タミヤ」を愛する外国人から感謝のメッセージ
「タミヤ」本社で憧れの田宮会長と交流
紹介するのは、アルゼンチン在住の「タミヤ」を愛するディエゴさん。

ニッポンを代表する模型メーカー「タミヤ」は、戦後間もなく創業。1960年にプラモデルの製造を開始しました。
実物を縮小して再現することにこだわり、徹底した取材で細部までリアリティーを追求。精巧で組み立てやすいキットで評判に。会長の田宮俊作さんは、「タミヤ」を世界のトップメーカーへ押し上げたレジェンド的存在です。
今年7月、そんな田宮会長が90歳で逝去。当番組で、田宮会長とかけがえのない絆を築いたのが、7年前にご招待したディエゴさんです。
田宮会長を“神様”と尊敬するディエゴさんと「タミヤ」のプラモデルとの出会いは6歳の時。祖父に買ってもらい、その虜に。
将来、「タミヤ」で働きたいと工業系の専門学校に進学しましたが、父親が病に倒れ、多額の借金が発覚。ディエゴさんは学校を中退し、弟たちの学費や生活費を工面するため、家業を継いで働きづめの毎日に。
そんな生活を20年近く続け、ようやく借金完済の目処が。ディエゴさんのお母さんは「ディエゴのニッポン行きは私たち家族全員の夢でもある」と話します。
そこで、ディエゴさんをニッポンにご招待! 30年来の夢が叶い、初来日を果たしました。
向かったのは、東京・新橋にある「タミヤ」のオフィシャルショップ「タミヤプラモデルファクトリー新橋店」。プラモデルや工作キットなど6000点のアイテムが揃う、模型ファンの聖地です。憧れの店舗を前にしたディエゴさんの目には、感動の涙が…。

店内で「初めて完成品を見ました」とディエゴさん。実は、30年以上かけて「タミヤ」のプラモデルを集めてきましたが、その9割は未開封。「未熟な自分が作ることで、「タミヤ」が完璧でなくなってしまう」と気づき、ニッポンで学んでから組み立てると決めていました。
「タミヤ」社員の岡本真一さんによると、田宮会長が年始の挨拶でディエゴさんのことを話したそうで、「信じられません。エベレストに登頂した気分です」と大感動!

この日が誕生日だったディエゴさん。名前入りのオリジナルエプロンと、ずっと欲しかったという「ダックス ホンダ」の完成品をいただき、「最高のプレゼントです!」と喜びを伝えました。
「タミヤプラモデルファクトリー」の皆さん、本当にありがとうございました!
翌日は、いよいよ静岡市にある「タミヤ」本社へ。敬意を表するため、スーツ姿で向かいます。
「タミヤ」の社内はインターネットで見ることができますが、ニッポンに行って直接見たいからと、一度も見ていなかったそう。「タミヤ」と出会って37年…ディエゴさん、初めて目にする本社にまたまた感動の涙が。
出迎えてくださったのは、国際部の羽根広宣さん。23年前、「タミヤ」への想いが抑えきれずに手紙を送った時、返事をくださった方です。

その後も、プラモデル化してほしい車種のリクエストや細かな質問まで、やり取りは20通以上。羽根さんの誠実な対応に、「タミヤ」への愛がさらに深まったそう。
ディエゴさんが、これまで送った手紙を保管していてくれたことに「感謝しかありません」と羽根さん。
続いて、歴代のプラモデルなど1200点が展示されている「タミヤ」歴史館へ。
目に留まったのは、「ホンダ モンキー」のプラモデル。大好きだった祖父の愛車で、形見として譲り受け、今も大切にしています。外箱に使われた手描きイラストも、特別に見せていただきました。
そして、ディエゴさんがどうしても見たかったという、プラモデルのパーツの金型の工場へ。世界最高峰の精度といわれる「タミヤ」の金型は、一つの製品で開発に数千万円以上かかることも。金型の表面をツルツルに仕上げるのは、全て職人の手仕事。

ここで、ディエゴさんが取り出したのは、37年前に初めて作ったプラモデルの部品を外した後の枠。「皆さんの情熱が詰まっているので大切にしてきました」と話すディエゴさんに、「非常に嬉しく思います」(金型部 大村省吾さん)。
こうして、憧れの「タミヤ」本社を大満喫したディエゴさんにウェルカムサプライズ!
なんと、人生で誰よりも会いたかった田宮会長にお会いできることに。ディエゴさん、感激のあまり言葉が出てきません。そこで、去年の会長の誕生日に書いた手紙を読ませていただきます。

「私は小さい頃から『タミヤ』が大好きでした。工業デザインを学び、将来は『タミヤ』で働くことを夢見てきました。しかし家族を支えるために家業を手伝うことになり、夢を叶えることは出来ませんでした。俊作さんは私にとって生きる活力、エンジンのような存在です。これからも、たくさんの人に夢と希望を与え続けてください」。

田宮会長は「こんなに熱烈な手紙をもらったのは初めてです。(ディエゴさんは)タミヤファミリーです」と。さらに、「いろいろ新製品を送るので、作ってもらいたい。感想や意見も欲しいです」と嬉しいお言葉も。
田宮会長、本当にありがとうございました!
この日、仕事終わりの羽根さんたちが歓迎会を開いてくださいました。すると、羽根さんから「タミヤ」の社員しか付けられないツインスターの社章が! なんと、田宮会長からのプレゼントだそう。皆さんともすっかり打ち解け、名物の静岡おでんや海の幸を楽しみました。
そしてディエゴさんには、もう一つ、ニッポンで叶えたい夢がありました。
「プラモデルの作り方を教わりたい」という願いを叶えるため、横浜にある「タミヤ」のオフィシャルショップ「タミヤプラモデルファクトリートレッサ横浜店」へ。こちらには、誰でも模型作りが楽しめるアトリエがあります。
教えてくださるのは、講師を務める長谷川伸二さん。ネット番組で指導も行うプロモデラーです。今回は、祖父の愛車「ホンダ モンキー」を作ることに。

道具の使い方などを一から教えていただいたディエゴさんは、ほぼ7時間、作業に没頭。「ここに来る時間があるならば、一緒にやってもかまわないです」ということで、翌日も長谷川さんのもとで、朝10時から夜9時まで作業を続けることに。
近くにホテルを押さえ、毎日バスで通うディエゴさん。楽しみにしていた京都観光もキャンセルし、ひたすら作り続けます。徐々にこだわりが出始め、キットにない部品まで手作り。10日も通うと、常連さんともすっかり顔なじみに。

田宮会長にプラモデル作りを勧められ、熱中すること2週間…ついに完成!
実はこれ、祖父から譲り受けたバイクを再現したもので、色々なアングルの写真を撮り、破れたシートやタンクのへこみまで作り込んでいます。
早速、完成したモンキーを羽根さんたちにお披露目すると、あまりの出来の良さに、皆さん絶句! 田宮会長にも見ていただき、「会長にプレゼントします」と伝えたところ、なんと、歴史館に飾ってくださることに。
「数年前、会社の業績が悪化して、自分は何のために働いてるんだろう、生きてる意味がないんじゃないかと落ち込んだことがありました。そのとき『タミヤ』のプラモデルを見て、“絶対ニッポンに行くんだ”と踏ん張りました」(ディエゴさん)。
すると田宮会長は「世界一『タミヤ』の模型に情熱を持っている、一番のファンですよ」と。

最後にハグを交わし、ディエゴさんは「頑張ってよ!」と激励の言葉をいただきました。
そして、今年11月。「タミヤ」本社では田宮会長のお別れの会が開かれ、世界中から多くの関係者とファンが参列しました。田宮会長が飾ると言ってくださったディエゴさんの作品は、7年経った今も大切に展示されています。

ディエゴさんからも、メッセージが届きました。
「私は幼い頃から会長にお会いするのが夢でした。番組のおかげで夢が現実となり、あまりの神々しさと緊張で、ずっと見とれてしまいました。あの瞬間は一生忘れることはできません。私を家族のように受け入れてくれて、優しく接してくださって、ますます会長、そして『タミヤ』のことが大好きになりました」。
そして最後に、「また必ずニッポンに行くので、会長のお墓参りをさせてください。全世界の『タミヤ』ファンを代表して感謝を申し上げます」と締めくくりました。
番組にご協力いただいた田宮俊作会長、本当にありがとうございました。謹んでお悔やみ申し上げます。
月曜夜6時25分からは「世界!ニッポン行きたい人応援団」【お正月直前!ドドーンと3人ご招待しちゃったSP】を放送!
▼5年前にインターネットでおせちを知って以来、毎年自作のおせちで正月を迎えているというカナダ人のマットさん。栗きんとんがきれいな黄金色に仕上がらないことが悩みで、本場ニッポンの職人からおせち作りの秘訣を習いたいと願っていた。
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▼新潟県にある凧の博物館に訪れると、日本中の凧が勢ぞろい。フランコさんの凧の知識量には館長も驚きを隠せない様子。凧絵師さんから描き方を教えてもらい大感動。そして、尊敬する名古屋の凧作りの名人のもとへ!作り方が激ムズの「福助」とは?
記事提供元:テレ東プラス
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