台湾の名匠エドワード・ヤンが残した珠玉の群像劇の4Kレストア版「ヤンヤン 夏の想い出」
イチオシスト
映画史に残る名作を生み出し、2007年に59歳という若さでこの世を去った台湾の名匠エドワード・ヤン。その遺作となる「ヤンヤン 夏の想い出」の4Kレストア版が12月19日から全国順次公開される。台北市内のマンションに家族と住む中年男を中心に、老若男女10人以上の人生と感情が絡み合うこの群像劇は、入念に計算されたショットの積み重ねと印象的なセリフによって、生きることのままならさと、それでも生きていこうと思わせる美しい瞬間の存在を静かに伝える。
80年代、≪台湾ニューウェイブ≫を代表する監督の遺作
友人たちと経営するコンピュータ会社の業績が上がらず、改善策を模索する日々を送っていたNJ。妻ミンミンの弟アディの結婚式が行われた日、同居していた義母が倒れ、意識不明となる。ミンミンや娘ティンティン、息子ヤンヤンとともに、意識不明の義母を見守る日々が続く。そんななか、初恋の相手シェリーと20年ぶりに再会したNJは、商談のために出かけた日本で二人きりの時を過ごす。
1947年に上海で生まれ、幼くして台湾に移住したエドワード・ヤン。テレビドラマなどで注目されたのち、82年のオムニバス「光陰的故事」の一篇で映画監督デビュー。翌年発表した「海辺の一日」に続き、「台北ストーリー」(85)、「恐怖分子」(86)、「牯嶺街少年殺人事件」(91)、「エドワード・ヤンの恋愛時代」(94)、「カップルズ」(96)、そして、今作と7本の長篇映画を残した。80年代、ヤンや侯孝賢(ホウ・シャオシェン)が手掛けた作品群は、それ以前の台湾映画との対比から≪台湾ニューウェイブ≫と呼ばれた。台湾映画に詳しい稲見公仁子はその特徴を「タブー視されていた歴史と庶民の日常を見つめ、ヒューマニズムに立脚し写実的」と書いており、ヤンの作品もこれに当てはまる。登場人物たちの関係の変化をエピソードのつながりで見せていく「ヤンヤン 夏の想い出」は、そんな彼のキャリアの集大成ともいえる作品で、カンヌ国際映画祭の監督賞にも選ばれている。
平凡な中年男から見えてくる人生の複雑さ
群像劇の中心となるNJは、小柄で目立たない会社員。冒頭、多くの人たちが次々と出入りする結婚式のシーンを見ていて、彼が主人公であるとすぐに気づくのは難しい。演じているのはヤン監督が「もし彼がいなければ、脚本を書き始めることすらなかった」と語ったウー・ニェンツェン。侯孝賢の「恋恋風塵」(87)などの脚本家で監督作もある彼の俳優としての才能を、ヤンは誰よりも買っていた。そして、「平凡」だからこそ、誰もが感情移入せずにはいられない男が胸に秘めていた初恋の顛末、妻との関係、子どもたちに対する思い、誠実なビジネスマンとしての姿を丁寧に追う。
オートロックのある高級そうなマンションに住むNJ一家の日常は、義弟の結婚式をきっかけに少しずつ調和を失い、義母の病、妻の家出、会社の危機、そして、初恋の人との逢瀬のチャンスと、NJの心を揺さぶる出来事が次々と起きる。もちろん、エドワード・ヤンの映画のストーリーは、このように単線では進まず、人物たちの視線や動きが、別の人物たちの物語をなめらかに映画のなかへと呼び込む。例えば、結婚式場から家に戻った娘ティンティンが、ベランダからふと見下ろすと、目の前の高速道路の下で若いカップルがなにやら話している。隣の家に住み、やがてティンティンとも親しくなるリーリーとその恋人であることが後にわかり、彼女らとティンティンのエピソードが並行して語られはじめる。
「自分には見えないもの」を見せる
邦題にもなっている8歳のヤンヤンは、子どもらしく、彼だけの時間のなかで生きている。しかし、時折口にする言葉や行動が、誰よりも大人びていて本質をつく。彼は人々の後ろ姿ばかりを写真に撮っており、その理由を「自分では見えないから」と答える。鏡や窓に映る人物たちが再三登場し、人物たちを多面的に見せるこの映画の解説者のようだ。一方、大人たちは、意識不明の老女や日本からやってきた取引先の男(イッセー尾形が飄々と演じている)といった「他者」に話しかけることで自分自身を知り、少しずつ「人生はそれほど複雑なものではない」ということに気づく。そして、映画を見る私たちも、暗闇のなかでこの映画とともに時間を過ごすことによって、普段気づかなかった自分の後ろ姿を見ることになるのだ。
文=佐藤結 制作=キネマ旬報社 制作部・山田
【参考文献】
稲見公仁子『台湾映画総論』
『アジア映画の森 新世紀の映画地図』石坂健治ほか監修、夏目深雪、佐野享編集/作品社刊
小学生のヤンヤンは、コンピュータ会社を経営する父NJ、そして母、姉、祖母と共に台北の高級マンションで幸せを絵に描いたような暮らしをしていた。だが母の弟の結婚式を境に、一家の歯車は狂いはじめる。祖母は脳卒中で入院。NJは初恋の人にバッタリ再会して心揺らぎ、母は新興宗教に走る……。そしてNJは、行き詰まった会社の経営を立て直すべく、天才的ゲーム・デザイナー大田と契約するため日本へと旅立つのだが。
2025年12月19日(金)よりBunkamuraル・シネマ 渋谷宮下、シネスイッチ銀座、109シネマズプレミアム新宿 他 全国公開
【STAFF】
監督・脚本:エドワード・ヤン
撮影:ヤン・ウェイハン
編集:チェン・ポーウェン
録音:ドゥー・ドゥーツ
美術・音楽:ペン・カイリー
【出演】
ウー・ニェンツェン
イッセー尾形
エイレン・チン
ケリー・リー
ジョナサン・チャン
2000年/台湾・日本/173分
配給:ポニーキャニオン
©1+2 Seisaku Iinkai
公式サイト⇒https://yi-yi.jp/
記事提供元:キネマ旬報WEB
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