「今日釣ったのは私だけ」——釣り人が見ている“錯覚の世界”
私だけが釣った? いえ、それは“そう見えただけ” 釣り場で誰かが笑いながら言うのを聞いたことがあるはずです。 「今日この湖で釣ったの、たぶん俺だけだよ」 「今日この海で釣ったの、たぶん私だけだよ」 釣り人にとっては、ほと […]
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私だけが釣った? いえ、それは“そう見えただけ”

釣り場で誰かが笑いながら言うのを聞いたことがあるはずです。
「今日この湖で釣ったの、たぶん俺だけだよ」
「今日この海で釣ったの、たぶん私だけだよ」
釣り人にとっては、ほとんど挨拶のようなものです。
自慢ではなく、「その1匹がどれだけ奇跡だったか」を少し笑いに包むための常套句です。
とはいえ、心のどこかでふと思いませんか?
「あれ、誰も釣れた瞬間を見てないし……本当に俺だけ?」と。
しかし実際には、他のアングラーが視界の外で静かに釣果を上げているケースは、想像以上に多いものです。
逆に、渋い日に「今日は誰も釣ってないね」と言い合う光景も定番ですが、これもまた“観測範囲の偏り”が生み出す釣り場あるある。
「自分だけ釣れた」にも、「誰も釣っていない」にも、どちらにも情報の錯覚が潜んでいます。
ー uoppay ー
この記事では、釣りにひそむ“錯覚”や“認知のズレ”を紐解いていきます。
次にこの冗談を聞くとき、きっと世界の見え方が少し変わっているはずです。
SNSは“見たい釣果”の増幅装置(エコーチェンバー現象)

SNSを開くと「デカいルアーでドン!」の写真ばかり。
まるで全員がビッグベイトで釣っているように見えます。
でも、それは“見たいものを自分で選んでいる”うえに“見たいものがSNSから届けられている”という二重の偏りの結果です。
このループこそが、いわゆるエコーチェンバー現象です。
投稿しているのは、元々ビッグルアー好きで投げ続けている人だけ。
一本釣れれば当然アップします。
あなたはその派手な写真をクリックする。
するとアルゴリズムが「はい、これ好きですよね」と判断し、同じ投稿がさらに増える。
こうしてタイムラインは、「ビッグルアーが主役の世界」だけで埋まっていきます。
あなたが選んだ情報を、SNSがさらに増幅して返してくる——これが“エコーチェンバー”の正体です。
しかし実際の釣り場では、ワームで静かに釣っている人のほうがずっと多い。
ただ、それは“あなたが見たいもの”でも“選ばれて届けられるもの”でもなかっただけです。
ー uoppay ー
情報は常に偏って届く。
まずはその前提を知っておくことが、SNS時代の釣りの上達にもつながります。
「マジで釣れるルアー」の真実(観測条件のズレ)

とあるYouTuberが「このルアー、マジで釣れます!」と言うと、つい自分の釣り場でも再現できる気がしてしまいます。
しかし、そこで決定的に抜けているのが——“観測条件の違い” です。
彼らはプロではなく、腕もあなたと同じ等身大。
だからこそ、自分を重ねやすい存在に見えます。
しかし——その“等身大”に錯覚してはいけません。
彼らが立っているのは、そもそも魚影が濃く、誰が何を投げても釣れてしまうようなフィールド。
しかし、その“恵まれた舞台”で起きた一瞬の釣果だけを切り取り、「このルアーが釣れた」と結論づけてしまう。
けれどそれは、まったく別のステージで行われた実験結果を、自分のフィールドにそのまま当てはめてしまう錯覚に近いものです。
視聴者は“釣れた瞬間”だけを見る。動画は“釣れた部分”だけを見せる。
しかし本当に見るべきなのは、その釣果が生まれた条件・環境・前提が、あなたと全く一致していないという事実です。
情報の錯覚とは、「自分と同じ条件で起きた出来事だ」と誤解してしまうこと。
そのズレに気づくだけで、釣果情報の見え方は一気に変わります。
※もちろん、YouTuberを否定したいわけではありません。むしろ、現実的なフィールドでコツコツ結果を積み重ねている方もたくさんいます。
ー uoppay ー
ただ、もし毎回のように“爆釣ルアー”を紹介している方がいるとしたら——それは本当にルアーの力なのか。
一度、立ち止まって考えてみる価値があります。
「釣れてます!」は“何人中?”が欠けた言葉(観測バイアス)

「青物が回ってます!」「ブリサイズが出ました!」
そんな投稿に惹かれて現場へ向かったのに、自分はまったく釣れない——。
誰もが一度は経験する“情報と現実のギャップ”です。
これは典型的な観測バイアスで、「その釣果が何人中の出来事なのか?」という分母がすっぽり抜け落ちている状態です。
実際には、100人中たった3人だけが釣った……というケースはごく普通にあります。
つまり「釣れてます!」の正体は、“釣った人が存在した”というだけの事実であって、それが自分にも再現できるかは、まったく別問題。
この“途方もない分母”を忘れてしまうと、私たちは簡単に情報へ期待しすぎてしまうのです。
ー uoppay ー
釣果情報を読むときは、「それは何人中の成功なのか?」この一点を意識するだけで、誤解の大半は消えていきます。
釣れる席は最初から数脚だけ。争奪戦に君は勝てるか?

たとえばショアジギング。
ふだんは沖を回遊している青物が、岸から釣れてしまうなんて、本来は“奇跡”に近い話です。
しかも、その奇跡が起きる接岸シーズンは短く、年中続くわけではありません。
青物が岸寄りに差す“通り道”も少ない。そこを狙える立ち位置も限られている。そして、その通り道に現れるタイミングすら狭い。
と考えると、答えは明らかです。
釣れる椅子は、最初からごく少数しかない。
そんな状況でSNSに「釣れてる!」が流れれば、みんなが同じ椅子めがけて走ります。
100人で数席を奪い合うのだから、争奪戦になるのは当然です。
釣果情報が貴重であるほど、人々はその一点に集中します。
その結果、情報に追従するほど、あなたは“空席ゼロのゲーム”に参加するだけになります。
ー uoppay ー
情報を見るときは、「自分は本当に、そのタイミングで、その場所に立てるのか?」
この視点を加えるだけで、判断は驚くほどクリアになります。
情報はヒントであって、答えじゃない

ここまで読んで、「じゃあ情報なんて見ても無駄じゃん」と思うかもしれません。
でも、それは早計です。
裏切られたのではなく、私たちが“情報の受け取り方”を誤解していただけなのです。
そして情報は、使い方しだいで強力な武器にもなります。
実際、私自身もネットの情報を頼りに、多くの釣果を積み上げてきました。
ただしそれは、「釣れるらしいルアーを買った」「釣れるらしい場所へ行った」という単純な再現ではありません。
そうではなく、情報をヒントとして捉え、自分で仮説を立て、考え、試した結果として釣れたのです。
ー uoppay ー
つまり、価値があるのは“情報そのもの”ではなく、その情報をどう扱い、どう自分の釣りに落とし込むかなのです。
ネットに現れない情報こそ、本物の宝

そしてもう一つ大切なのが、“流れてこない情報”こそ価値が高いということ。
私は昔、とあるフィールドを「釣れないフィールド」だと決めつけていました。
ネットにも釣果がなく、現地でも誰も釣っていない。
完全に“見えている範囲だけ”で判断した結果です。
けれど通い続けて気づいたのは、一筋縄ではいかないフィールドではあったものの、じつは“めちゃくちゃ釣れる場所とタイミング”が確かに存在したという事実でした。
そして、そういう情報ほど誰も発信しない。
自分の足で見つけた椅子だからです。
実際、“ひっそり釣ってる人”は驚くほど多い。
彼らは投稿しない。だからネットには残らない。
でも確実に釣っている。
つまり、「ネットに情報がない=釣れない」ではない。
むしろ、本当に釣れる場所ほど、ネットでは沈黙している。
自然のポテンシャルはSNSでは測れません。
ー uoppay ー
それを知りたければ、自分の足で積み重ねるしかない。
価値ある釣果は、静かに、誰にも知られず積み上がっていくものなのです。
錯覚を抜け出し、見えない水中のロマンに帰ろう

情報があふれる現代の釣りでは、私たちは気づかないうちに“錯覚の世界”の中で揺れています。
「みんな釣れているように見える」
「自分だけ釣れていない気がする」
そんな不安も焦りも、結局は“観測できた範囲だけで世界を判断している”から生まれるものです。
でも、少しだけ思い出してみてください。
そもそも釣りとは、見えない世界を相手に、想像とわずかな観測で勝負する遊びでした。
魚がどこを泳ぎ、いつ近づき、何を追っているのか——本当のところは、誰にもわからない。
だからこそ、静かに想像するしかない。
そして、その想像が水中の“彼ら”と重なった瞬間、竿に伝わる震えが、世界でいちばん尊い。

観測できないからこそ、釣りは面白い。
観測できないからこそ、期待が生まれる。
そして、観測できない水中にこそロマンが宿ります。
情報に振り回されないとは、疑うことではなく、自分の足と想像で水中を描き続けること。
そうやって通い詰めていると——ある日、気づく瞬間が来ます。
釣れていないのではなく、ただ“観測できていなかった”だけなのだと。
水中にはいつだって、まだ誰の記録にも残っていない“彼ら”が潜んでいます。
それを信じて竿を振る時間こそ、釣り人だけが味わえる唯一無二のロマン。
ー uoppay ー
だから今日も、私たちは水辺に立つのです。
まだ観測されていない彼らに会うために。
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