【現地ルポ】「日本最大の発電島」長崎県・宇久島カネと仕事、「メガソーラーから離れられない」切実な島民事情(後編)
            イチオシスト
        
日照に恵まれた島内の林地や荒れ地に、京セラ製の太陽光パネルが設置され始め、かつてののどかな原野の風景は少しずつ姿を消しつつある
前編に引き続き、今、日本で最も大規模なメガソーラー(太陽光発電)の建設が進んでいる長崎県・宇久島の現地ルポをお送りする。
環境破壊のリスクなどから批判されることも多いこの事業だが、島民たちはどのように受け止めているのか。高齢化と人口減少に苦しむ過疎地を救う"恵み"? それとも、平穏な島の原風景を踏みにじる"災厄"? 潤いと不安の間に揺れる宇久島の人々の複雑な心情を追った。
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無人島になるのを遅らせたい9月下旬、『週刊プレイボーイ』本誌記者は宇久島の宇久平港に降り立った。
港には九電工(10月から「クラフティア」に社名変更)がチャーターした専用船「たらまゆう」が着岸していた。積み荷はメガソーラー建設の資材だ。港の向こうには、伐採された木々を刻んだチップの山があり次々と船に積み込まれる。この木材は鳥取・境港へ運ばれてバイオマス燃料として使われる。

島を一周すると、山肌は削られ、はげ山のような斜面があちこちに広がっているのが見える。そこに、黒色の太陽光パネルが一面に敷き詰められていた。
県道沿いの空き地には梱包されたパネルが山積みされ、作業員の姿もちらほら。かつて放牧地だった場所では、わずかに残った草をはむ牛の姿があった。宇久島の原風景である。

島民の半数以上が暮らす平地区。開発事業者に貸す土地はなく、メガソーラーの恩恵は飲食店や旅館に限られる
宇久島は人口約1600人。もとは1万2000人だったが、2006年に佐世保市へ編入されたのを機に若者は離れ、人口減と過疎化が一気に進んだ。そんな中、「降って湧いたようにメガソーラー計画が動き出した」(佐世保市職員の男性)という。
それは、島の4分の1の山林を伐採・開発し、そのうち10分の1に約150万枚の太陽光パネルを設置するという計画だ。完成すれば、国内最大規模のメガソーラーエリアが誕生することになる。
この事業が動き出したのは10年ほど前で、今も続いている。工期は遅れ気味だが、重機の音は途切れない。メガソーラーが稼働すれば、佐世保市内のおよそ10万世帯分の電力(約51.5万MW時)を賄う。
1kW時当たり約40円の固定価格(FIT)で九州電力に売電。総事業費は約2000億円に上るが、年間の売電収入は200億円を見込む。佐世保市にも年間20億円前後の税収が入る見通しである。
もともと計画されたのは風力発電だった。09年、全島民を対象に住民説明会が開かれたが、1800人を超える署名による反対運動が起こり、当時の朝長則男市長も「住民合意がなければ難しい」と、事業は一度頓挫していた。
流れが変わったのは13年。再生可能エネルギーの固定価格買取制度(FIT法)が施行された翌年のことで、島では「メガソーラー発電事業推進協議会」が発足、まさに降って湧いたように計画が浮上した。
その中心にいたのが、当時、島でただひとりの佐世保市議だった大岩博文だ。九州電力に発電事業の構想を持ちかけ、地元・佐世保市出身の松尾新吾会長に直談判までした。
事業が動き出すと、地権者との交渉には大岩のほか、メガソーラー事業に賛成する一部の地元住民も加わった。
結果、島内外の地権者1000人以上が同意した。対象は私有地だけでなく、各地区の郷有地(地区の住民たちの共同所有地)にも及ぶ。その多くは牛の放牧地や牧草地だった。
地元住民によると、こう持ちかけられたという。
「早よ貸せば、早う協力金がもらえるし、地代も入る。今貸さんともったいなかよ」
島南部の神浦地区で商店を営む50代の男性が語る。
「事業者の人がウチにやって来て、『この土地を貸してくれれば坪単価200円、年間で20万円ほどの収入になります』と言うたとです。正直、そんな土地がウチにあるとは思っちょらんかった。使い道もない山やけん、悪か話じゃなかと思ったとです。
周りが次々と貸していく中、ウチだけ断ればそこだけポッカリ穴があく。それは事業者にも、地区の人にも迷惑かと思って貸しました」
男性は静かに続ける。
「メガソーラーで島が発展するとは思っちょらん。どっちにせよ、この島がどんどん無人島に向かっていくのは間違いなか。それを少しでも遅らせることができるなら、そのほうがいいと思いました」
風力発電と島のタブー島の西部・大久保地区。人口30人ほどだが、島内最大の郷有地が広がる。地区住民によると、面積は20町歩(約20ha)、東京ドーム4個分に相当する。かつては放牧場や牧草地だったが、今は一部がゴルフ場に、残りはやぶが生い茂る耕作放棄地となり、イノシシがたびたび姿を現す。
宇久平港から車で20分ほど。同地区の中心部にある神社の石畳や石垣は新調されていた。境内の脇で立ち話をする70代の夫婦がいた。
話を聞くと、夫はヨコワ(クロマグロの幼魚)を追って外海に出る漁師、妻は牛を飼育していたが、どちらもすでに引退。今は1万㎡もある放牧場の半分を事業用地として貸し出し、年間数十万円の地代を得ている。

畜産農家の高齢化とメガソーラー事業の影響で、牛が草をはむ光景を見る機会は少なくなりつつある
「昔は牛飼いがたくさんおったけど、今は地区にふたりしかおらん。牧草地は荒れ果てて山に。こんな土地、買ってくれる人なんておらんと思うちょった。年金暮らしやし、遊んでる土地がお金になるなら、まぁええかなと」
地区で保有する郷有地については、事業者の説明会の後、区内会議で貸すことが決まった。総額は不明だが、まとまった資金が区に入り、一部は神社の整備に充てられた。
さらに、「1世帯当たり年間35万円の分配金が支給され、草刈りや清掃などの自治会活動に出れば、日当1万円が支払われるようになった」(地元住民)という。
区内の70代男性が言う。
「気持ちは反対です。昔の郷有地は一面が芝生で、牛がのどかに草ば食うとったし、そこから見る夕日は、それはもう美しかった。そこが黒いパネルで覆われ、ノリ弁みたいになるとよ? けど、区の全員が賛成する中で、反対とは言えんかった」
宇久島には、苦い記憶がある。10年ほど前、ある地区では風力発電計画が先に進んでいたものの、巨大風車の超低周波音が牛の胎児に影響し、死産や形態異常が頻発するといった噂が広まり、特に牛農家が激しく反発。
だが、反対が強まる前に事業を推進し、土地の賃借契約を結んだ牛農家がこの地区にひとりいた。ある島民はこうささやく。
「彼は反対一色の中で孤立しました。しかし、契約を解除することもできず、無理にやめれば事業者から損害賠償を求められる可能性もあった。結局、地区と事業者の板挟みに苦しみ、彼は自ら命を絶ちました」
この話を地区の中で口にする者はいないという。
もう後戻りはできない島内には太陽光発電の適地でありながら、郷有地の貸し出しを拒んだ地区がふたつある。ひとつは、宇久平港の程近くにある地区。約50世帯が暮らし、8町歩(約8ha)ほどある郷有地では、10軒近い農家が牛を飼育している。
40代の若手もおり、区内投票の結果、「貸さない」が多数を占めた。そこには牛を守りたいという思いがにじむ。
もうひとつが、島の最北部にある野方地区だ。住民のひとりがこう明かす。
「広か郷有地を貸すと決めたら、もう何年も前に島を出て、今は住民票もなか都会の人たちが、次々と『私も分配金をもらう権利がある』と言うてきたとよ。そいで揉めに揉めて、どうにも収まらんことになってしもうた。結局、地区のもんが怒って『もう郷有地は貸さん!』となった」
畜産と並ぶ宇久島のもうひとつの基幹産業は漁業だ。主力はアワビとサザエ。だが、「島周辺の漁場では、20年ほど前に磯焼けが始まり、海藻は消えサンゴモが増えだした。アワビもサザエも姿を消し、アッという間に生活の糧がなくなったとよ」(地元漁師)。
漁業を諦めた者も多く、かつて100隻あった漁船は今や3分の1にまで減った。先の漁師も大型漁船を売り払い、小型船に乗り換える傍ら、廃業で解体寸前だった旅館を安く買い取り、宿泊業を始めた。
年頃の子供3人を抱え、先の見えない中で開業した宿。その門戸を九電工の営業部長が叩き、「部屋を全部借りたい」と頭を下げてきたという。さすがにすべては断ったが、計7部屋のうち4部屋を貸し出すことにした。そこが開発事業者の社宅代わりになり、1日5500円で月60万円を超える収入になった。

2015年度に閉校した神浦小学校は、九電工が借り受け事務所として使用。教室はそのまま残され、下請けの建設会社も入居。校庭は重機の駐機場に

九電工の社員事務所は、平地区のスナック跡地にある。入り口に張られたままの「18歳未満の方 入店お断り」のステッカーが、往時の雰囲気を生々しく残す
「コロナ禍で帰省客も観光客もゼロになったときは、ほんと助けられました。島の旅館はどこも同じ。みんな、メガソーラーに救われたとです」
地元漁協に属する約30人の漁師も、今やほぼ全員がメガソーラー特需にすがる。警戒船に乗り、重機や資材を運ぶ専用船を見守る「免許さえあれば誰でもできるラクな仕事」(前出の漁師)だ。
朝8時から夕方5時まで船に乗るだけで日当4万円。漁師30人ほどでシフトを組み、月6、7回の勤務で月収は30万円ほど。じり貧の漁からすれば、まさに「恵みの仕事」だった。
「最初、メガソーラーの話ば聞いたときは不安やったけど、港はバブルみたいに沸いて、漁師も旅館の主も、みんなそこにすがったとよ。今でも『島の暮らしと自然ば守れ!』って、事業の撤退ば訴えちょる人もおる。その気持ちはよ~わかる。けどな、もう後戻りはできんとよ」
世界屈指の〝発電島〟へ風力発電所には強い反発があった宇久島だが、メガソーラーではほとんど反対の声が上がらなかった。
「風力は事業用地が狭く、関わる地権者もごく少数。一方で、メガソーラー事業は島の4分の1を占め、地権者は1000人を超える。金銭的な恩恵が島全域に行き渡る構造だった」と島民は語る。


老朽化し、石垣が崩れかけていた寺島地区の若宮神社(上)は、九電工により港側へ移設された(下)。「メガソーラーに反対する者はこの地区におらん」と区長は話す
開発を進める九電工は、地域との関係づくりにも力を入れた。老朽化した神社は新築し、各地区の祭りでは従業員自らみこしを担ぐ。草刈りや清掃など日常の活動にも参加し、地域に溶け込みながら信頼を築いた。
イノシシ被害が相次ぐ地区には箱わなを寄贈し、田畑の獣害を防ぐ防護柵を島内約80kmに張り巡らせた。さらに、通学路や交差点には街灯や防犯カメラを設置するなど、治安の維持にも配慮する。宿舎に滞在する作業員約200人には門限を22時と定め、深夜に出歩かないよう管理した。
島内に2軒しかないスーパーでは、昼時の混雑を避けるため作業員の休憩時間を3分割し、作業靴での入店を禁止。さらに、多くの作業員が一度に島へ入ると弁当などが売り切れ、逆に大型連休で一斉に島を離れると売れ残る――こうした事態を避けるため、作業員の出入りに合わせて人数を逐一店側に報告している。

寺島地区で、島民の飼い犬に懐かれる九電工社員。島の暮らしに溶け込む様子がうかがえる
九電工の石橋和幸社長は、宇久島でのメガソーラー建設について26年度中の完成を目指すと発表した。その水面下では、風力発電事業も再始動している。
開発会社「日本風力開発」の関係者によると、「すでに立地するすべての地権者・地区から合意を得ており、今年度中には着工予定」という。大久保・野方など島北部を中心に、117m級の巨大風車26基が立ち並ぶ計画だ。
開発事業者の幹部は、「日本最大級のメガソーラーと風力発電が両方実現すれば、宇久島は〝発電島〟として、世界から注目を集めるはずです」と期待を込める。

平地区にある炭火焼き鳥屋。島内では数少ない飲み屋で、奥の座敷は木の伐採やパネル設置に汗を流す作業員たちの宴の場になることが多い
だが、メガソーラー事業にはある高い壁が立ちはだかる。
太陽光で発電した電気を佐世保市に送るためには、約64kmの海底ケーブルを敷設しなければならない。しかし、その海域には県北地域の11漁協が関係し、うち10漁協が反対を表明している。
表向きの理由は「漁業環境の悪化を懸念するため」だが、実際には「別の事情がある」と、複数の関係者は口をそろえる。
「県北11漁協のトップに立つのがK会長。元代議士秘書で、政治力を持つ人物です。九電工は彼を怒らせてしまった」
背景はこうだ。
「九電工はまず地権者との交渉を進め、島内で開発を始めてしまった。ところが最後の段階になってようやくK会長の元を訪れ、『海底ケーブルの敷設許可をお願いします』と事後承諾を得ようとしたんです。
会長からすれば、なんの説明もなく勝手に進めておいて、いきなり『許可をくれ』では筋が通らない。強引な進め方と上から目線の態度が決定打となったようです」
K会長は県北11漁協のドンとして知られる。「彼がノーと言えば、誰も逆らえん」と宇久島の漁協関係者は話す。
それでも、島の人々にとっては、工事が続く限り仕事があり、島の活気は保たれる。島民たちが不安視するのは、メガソーラーの建設が終わった後のことだ。
「残るのはメンテナンスの人たちだけ。数百人もおった作業員が一気に島ば出ていったらバブルは終わり。その後、この島はどうなるとやろか」
(文中敬称略)
取材・文・撮影/興山英雄
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