『どぐされ球団』作者・竜崎遼児先生はなぜ"どぐされ"たちを描いたのか?<後編>【伝説の野球漫画『どぐされ球団』の圧倒的魅力を掘り起こす!(第6回)】
イチオシスト

第5回(竜崎先生<前編>)はこちらより
野球ファンというよりも、長嶋茂雄ファンだったという竜崎遼児先生。『どぐされ球団』では巨人監督時代の長嶋が何度となく登場し、主人公・鳴海真介が所属する明王アタックスとの対戦で勝負師の顔を見せる。
一方、オールスターのベンチ裏などでは、長嶋が同じ背番号3の鳴海に助言する場面もあり、作品世界で欠かせない人物になっている。2025年6月3日、現実世界では惜しくも逝去した長嶋だが、漫画の中で生き続ける。
――連載第1回の最初のページから「長嶋監督」が登場して、その後もたびたび長嶋さんが登場していますね。
竜崎 長嶋が好きだから、やたらと長嶋を描きました。結構、しつこく使わせてもらってます、僕は。
――最後の最後、監督を辞めたあとも登場してます。

優勝を逃した責任を取り辞任した巨人・長嶋監督が、現役時代に使っていたバットを鳴海にプレゼントしにきてくれた。しびれるワンシーン(©竜崎遼児/集英社)
竜崎 そうそう。長嶋解任のとき(1980年)はすごい腹立って腹立って、それも漫画に描いてる(単行本第16巻 燃える男のバットの巻)。
――〈辞任のあと すぐに後任の発表とは... 辞任といっておきながらクビとおなじじゃないかあ〉というセリフに怒りが込められていますね。先生にとって、長嶋さんは子どもの頃からヒーローだったんでしょうか。
竜崎 今の大谷翔平(ドジャース)と一緒で、長嶋さえ打てば、ジャイアンツが勝とうが負けようがどうでもよかったんです。そういうことを言うと「ウソをつけ」って、よく友だちにバカにされました。
普通は「ジャイアンツが好きだから長嶋が好き。ジャイアンツが負けて、長嶋が打ったって意味がない」わけです。周りはそんなヤツばっかりだったけど、僕は「違う!」とずっと思ってた。
――大谷選手と長嶋さん、チームの勝ち負けを超えるスーパースターという意味で共通するところはありますね。時代も場所も超えて。
竜崎 アメリカっていうせいもあるかもしれないけど、「大谷さえ打てばいい」っていう人は結構いるんじゃないかと。「ドジャースの勝ち負け関係ないだろ。俺の気持ち、おまえらわかっただろ?」って当時の友だちに言いたいです(笑)。
――ところで、先生は長嶋さんにお会いする機会はあったんですか?
竜崎 長嶋ジャイアンツで優勝した(76年)あとに何度か、取材で会ったことがあります。ただ、僕は水島新司先生と違って、選手と直接コンタクトを取ったことはないんです。野球に詳しくないですから、選手としゃべったらこっちがいかにド素人かってバレバレになっちゃいますから(笑)。本当に野球知らないんで。
――鳴海が広島の選手と対談する場面があって、すごくリアルに描かれているんですね。これは先生が実際にその選手に会って、話を聞いたんだろうなと思っておりました。
竜崎 いやもう、ぜんぶ僕の想像です。キャンプを外から見たり、ベンチとかに入れてもらったりした経験はあるけど、選手と仲良くなるとかはあまりしたくないなっていう。
――それでもリアルなのは取材力なんですね。
竜崎 結局、取材のほうが楽しくなっちゃうんです。『どぐされ』のあと、ラグビー(『ウォー・クライ』)とか格闘技(『闘将ボーイ』)の漫画を描いたときもそうでした。選手というより、その世界をちゃんと見る。

アウトステップする癖がある鳴海。臨時コーチとしてやってきた明王OBの百地はその悪癖を修正すべく、ビルの屋上から突き出た幅30cmの鉄板の上で鳴海にスイングさせ、矯正させるという荒療治を始めた(©竜崎遼児/集英社)
――相当に取材されたんだろうと思えるのが、技術的な話です。鳴海がアウトステップするクセを直すために、OBがとんでもない荒療治をするとか。
竜崎 アウトステップは長嶋にそのクセがあって、それをそのまま生かしたんです。で、長嶋が鳴海に「アウトステップを気にするな」ってアドバイスする。
――オールスターのときですよね。ほかに戦前の名二塁手=苅田久徳さん(元・東京セネタース)の技も出てきます。舌を使ってタッチの擬音をつくり、"空気タッチ"でセーフをアウトにするという。
竜崎 戦後すぐとか戦前の選手はすごいですよね。別にコーチが教えるわけじゃなくて、自分で工夫しますから。今どきやらないと思いますけど、当時は通用して、審判を騙せたわけで。

プロの世界で生き残るためには、いろいろなトリックを考え、採り入れなければ勝てない。当時の少年たちはこのプレーに何を思ったのだろう(©竜崎遼児/集英社)
――審判を騙すものでは、キャッチャーがファウルチップの音を出して、ハーフスイングをファウルにして三振を奪う、という技も出てきました。これは実際、大洋(現・DeNA)の正捕手だった土井淳さんにうかがって、長嶋さんを抑えるために音を出したとおっしゃっていました。
竜崎 結構、聞く話ですけど、今考えてみると、そういうトリックプレーがやたらと多いんですよ、『どぐされ』は。プロの世界で生き残るために工夫して、そこまでやるんだって、当時の僕が感じたからか。
――「野球は騙し合い」というセリフもありましたけど、審判対選手もそうですし、内野手対ランナー、キャッチャー対バッターも騙し合いですね。
竜崎 だから対決なんですよ。長嶋さえ打てばいい、っていうのは阪神の村山(実)とか江夏(豊)とか、大洋の平松(政次)とか、対決があったからで、僕はそれを目を凝らして必死で見てたわけです。何というか、その僕の気持ちをそのまま漫画にしたんですよ。
――漫画の原点に長嶋さんとエースとの対決があったんですね。
竜崎 今、プロ野球見てると、ぜんぶ9人対9人、監督対監督の試合じゃないですか。そんなのは僕にはつまらなくて、個人対個人の対決が際立たないから。大谷だったら、アメリカで対誰々ってあると思うんです。日本は無いのに、よく4万も5万もお客さんが入るなと思って。
――たしかに、以前よりもファンがチームの勝利に入れ込むようになって、球場に足を運ぶ人が増えたかもしれません。そして『どぐされ』は毎回、個人対個人の対決ですね。
竜崎 ずっと対決にこだわってましたね。ピッチャー対ランナー、キャッチャー対ランナーとかも、ぜんぶ対決にして。結局、僕が野球をあんまり見なくなったのも、対決がなくなったからだと思うんです。
――あっ、今の野球はあまりご覧になってないですか。
竜崎 落合(博満)がパーフェクトピッチングのピッチャー(山井大介)を代えたじゃないですか、日本シリーズで(2007年 中日対日本ハム)。あの瞬間から僕は、あっ、もう野球はいいや、と思って。
バッター落合は自分で工夫して、誰にも真似できないものを持つ侍だったけど、監督としては僕の想像を超えてました。やっぱりドラマ作ってほしいじゃないですか。仮に中日が逆転されて、ボロ負けしても。

2007年の中日vs日本ハムの日本シリーズ第5戦、8回までパーフェクトピッチングを展開していた好投の山井の交代を告げる中日・落合監督(写真:共同)
――それこそ、マメを潰した山井投手が出血しながら投げ続けて、あと一人で完全試合っていうところで打たれたら『どぐされ』ですね。
竜崎 はっはっは(笑)。まさに、僕が思ってる野球と逆を行ったんですね。最近、『嫌われた監督』(鈴木忠平著/文春文庫)を読んで舞台裏を知ったけど、100パーセントの納得はできなかった。漫画だったら、絶対打たれてパーフェクトはなくなるんです。そのほうが読んでて気持ちいいじゃないですか。
――ここでホームランか、と思わせておいて、見送ったり、空振りしたり。滅多に成功しないのが『どぐされ』ですよね。
竜崎 対決っていうのは、単に表向きの「打った」、「打たない」ではないですからね。おお、いい球投げたな、っていうだけでも負けてるから。
――深いですね、そこが。単に成功する、失敗する、だけではないという。そんな対決が今は滅多にないのかもしれませんが、厳しいプロの世界で生き残るため、いかに工夫し、技術を磨くか。そこは今も変わらないのでは、と思います。
竜崎 それはそうでしょうね。自分の技は自分で工夫するしかない。コーチから教えてもらうんじゃなくて。昔の選手はみんなそうだったから、僕にはそれがかっこよくて漫画にしたんです。
ただ、技の話はほとんど元ネタがあって、取材もしましたけど、最初に言った近藤唯之さんとか当時の野球のライターさんの本で知ったものが多いですね。あんまりオリジナルで描いたものがないから恥ずかしいんですけど。
――戦前戦後の選手のすごさを『どぐされ』の連中がリアルに伝えてくれるので、興味を持つ人はいると思います。
竜崎 詳しい人はおそらくみんなわかってるはずですよね。『どぐされ』を読むと、ああ、これはあれだなって。だから僕の漫画を読んで、近藤さんなり野球のライターさんの本を読むともっと面白いですよ、きっと。そこまで広がったら素晴らしいし、絶対損はしないと思います。野球を好きな人だったら。
(文中一部敬称略)

コミックス巻末にスター選手たちのインタビューを掲載していた名物企画。最終19巻には竜崎先生自らが登場した。『どぐされ球団』には令和の野球には失われつつある、「人間のやる野球」の面白さが確かに残っている(©竜崎遼児/集英社)
『どぐされ球団』はこちらより。
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●竜崎遼児(りゅうざき・りょうじ)
1953年生まれ。長崎県出身。中学時代に『伊賀の影丸』(横山光輝)、さいとう・たかをの劇画に衝撃を受け、手塚治虫、ちばてつやの作品にも感動し、漫画家を目指す。15歳で上京して都内の高校に入学後、新岡勲のアシスタントを経て、72年に『番格流れ者』でデビュー。74年から週刊少年ジャンプ(集英社)で『炎の巨人』(原作・三枝四郎)、76年から月刊少年ジャンプ(同)にて『どぐされ球団』を連載。野球漫画を続けてヒットさせた。他の作品に、高校ラグビーが題材の『ウォー・クライ』(小学館)、格闘技を扱った『闘将ボーイ』、ゴルフの世界を描いた『インパクト』原作・坂田信弘/学習研究社)など
取材・文/髙橋安幸
記事提供元:週プレNEWS
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