「死んでもいい」は高橋伴明と関根恵子の運命的な出会いから生まれた!? キネマ旬報YouTube〈あの懐かしの映画を語ろう〉第5回
イチオシスト

映画を創った人だけが知っている物語がある──
80年から90年代を彩った日本映画の舞台裏に迫る、「キネマ旬報」公式YouTubeチャンネルのオリジナル番組〈あの懐かしの映画を語ろう〉。第5回が10月22日(水)より配信された。元にっかつプロデューサーの山田耕大氏に今回語っていただくのは、石井隆監督・脚本、大竹しのぶ、永瀬正敏、室田日出男出演の「死んでもいい」(1992年)。
これまで山田耕大氏には「家族ゲーム」「私をスキーに連れてって」「ベッドタイムアイズ」「ドレミファ娘の血は騒ぐ」について、製作者の目線から作品作りの一筋縄ではいかない出来事、今では笑える当時は笑えなかったであろう苦労話を大いに語っていただいたが、今回取り上げる「死んでもいい」はその中でも特に印象深い作品だという。

一組の夫婦とその妻に恋情を抱く流れ者の青年の愛憎劇を描いた「死んでもいい」は1992年に公開され、数多くの映画賞を獲得。キネマ旬報ベスト・テンでは日本映画第5位、大竹しのぶは主演女優賞(※そのほかの出演作品も評価対象)に輝き、監督・脚本を務めた石井隆も日本映画脚本賞を受賞するなど、石井隆を語るうえで欠かすことができない作品。そんな本作はいくつものめぐり合わせを経て、石井隆が監督をすることになった作品であることが語られる。
話は「死んでもいい」の公開から10年遡った1982年から始まる。当時、「死んでもいい」の原作となる西村望の『火の蛾』の映画化がにっかつ企画部長の佐々木志郎によって進行し、脚本に石井隆、関根恵子をヒロインに起用することが決まっていたのだが……。
脚本を担当した石井隆が「しっくりこない、しっくりこない」と執筆に苦労した理由にあったのが、原作『火の蛾』の主人公の夕美という“名前”だったという。石井隆作品のファム・ファタール=名美との違いに苦しんだ彼に、山田氏は“名”から口を取れば“夕”になることから、「無口(数)な名美、という考え方でどうでしょう?」と妙な理屈をつけて説得。それが功を奏したか脚本が完成したというが、石井隆にとって名美とは一体どんな存在だったのかについて、山田氏が本人に尋ねたというのでぜひ本編でその答えをご確認いただきたい。
キャスティングの話題では、前年の「ラブレター」(1981年)で主演を好演した関根恵子を起用することになっていたところに、別の作品で彼女の出演を検討する高橋伴明監督から連絡が山田氏のもとに。そして、山田氏が目撃したふたりの“火花散る運命の出会い”が『火の蛾』の映画化中止の引き金となり、10年後の石井隆監督の「死んでもいい」誕生に繋がってゆく──。まさに映画のようなドラマティックな出来事とその後に続くドタバタ劇、ここが前編のハイライト。
さらに「火の蛾」がお蔵入りになってしまった後、その才能を高く買う山田氏が石井隆に脚本を依頼した「ルージュ」が辿った、あまりにも不運な顛末についても語られる。
今では笑える当時は笑えなかったであろう数々のエピソードが飛び出す『あの懐かしの映画を語ろう第5回「死んでもいい」前編』をぜひお楽しみください。
文・制作=キネマ旬報社
キネマ旬報公式YouTube 〈あの懐かしの映画を語ろう〉
第1回「家族ゲーム」
前編:https://youtu.be/MQdGi9lI2ZM
後編:https://youtu.be/ZPkQQ0ZCdJo
第2回「私をスキーに連れてって」
前編:https://youtu.be/DTmZNlDRplQ
後編:https://youtu.be/cLEuN8b0nRA
第3回「ベッドタイムアイズ」
前編:https://youtu.be/dIt0TQOmneU
後編:https://youtu.be/n6AHw9X3_jg
第4回「ドレミファ娘の血は騒ぐ」
前編:https://youtu.be/kExjqCayq_A
後編:https://youtu.be/h7D5bTySzks
〈今後の配信予定〉
10月29日(水)「死んでもいい」後編
11月中旬「木村家の人びと」

「死んでもいい」
監督・脚本:石井隆
原作:西村望
企画協力:佐々木志郎、宮坂進
製作:伊地知啓
プロデューサー:榎本靖
撮影:佐々木原保志/美術:細石照美/音楽:安川午朗/録音:本田牧/照明:金沢正夫/編集:菅野善雄/助監督:横山浩幸
出演:大竹しのぶ、永瀬正敏、室田日出男
1992年/日本/117分
製作:アルゴプロジェクト=サントリー提携
配給:アルゴプロジェクト
©サントリー/日活/ムービー・アクト・プロジェクト
記事提供元:キネマ旬報WEB
※記事内容は執筆時点のものです。最新の内容をご確認ください。
