「アルバムを持ち主に返したい」アメリカ人夫婦が東京・町田市で緊急捜索!:世界!ニッポン行きたい人応援団
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イチオシスト:イチオシ編集部 旬ニュース担当
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ニッポンに行きたくてたまらない外国人を世界で大捜索! ニッポン愛がスゴすぎる外国人をご招待する「世界!ニッポン行きたい人応援団」(毎週月曜日夜8時54分)。
今回は、緊急特別企画「ニッポン探したい人応援団」と、スペインに住む外国人の初来日の様子をお送りします。
【動画】「世界!ニッポン行きたい人応援団」最新回
紹介するのは、沖縄在住のアメリカ人、ジェイデンさん。

ジェイデンさんの夫・ケンさんは、アメリカ空軍に所属。以前はドイツにある米軍基地で働いており、2年前、沖縄の基地に赴任しました。
ジェイデンさんから番組宛てに、「古いアルバムの持ち主らしき日本人女性を探し、アルバムを返したい」という動画が。
そもそもこのアルバムを手に入れたのは、ルクセンブルクにあるアンティークショップ。
お隣のドイツで暮らしていた時、旅行中に見つけたそうで、アルバムの表紙に書かれた「I will never forget the past(私は過去を絶対忘れない)」という強烈なタイトルに衝撃を受けたといいます。
写真はニッポンのどこかで撮影されたものばかり。名前は書かれていませんが、同じ女性の写真が多く貼られており、成長していく様子を見て「持ち主の人に返してあげたい」と感じたジェイデンさん。ケンさんも同意し、迷わず購入。店員もアルバムを仕入れた経緯を知らず、それ以来ずっと、持ち主を探していました。
しかし日本語が分からないため、日本好きの外国人が集まるサイトを見つけて英語で相談。4カ月間捜索しましたが、手がかりはゼロ。その後、沖縄に来てから現在までの1年7カ月にわたり、沖縄で暮らすアメリカ人たちに相談していました。
毎日のように聞き込みをしたものの、手がかりはつかめず。そんな中、友人に当番組を教えてもらい、ビデオレターを送ってくれたのです。
2年後にはケンさんの仕事でニッポンを離れるそうで、「ニッポンに居るうちにアルバムをお返ししたいので、協力していただけたら嬉しいです」とジェイデンさん。そこで、「ニッポン探したい人応援団」として、番組が協力することに!

アルバムに残った日本語を確認すると、玉川大学図書館でアルバイトをしたという書き込みが。
創立96年の玉川学園は、幼稚園から大学まで揃う伝統校。約12万3000人いる卒業生には、俳優の風間杜夫さんや演出家の宮本亞門さんなどの著名人も。
玉川学園校内で撮影した写真があることから、手がかりを求めて玉川学園に連絡。しかし、個人情報なので情報提供は難しいとのこと。そこで、町田市に出向いて手がかりを探すことに。
1週間後、ジェイデンさん夫婦は、東京・町田市にある小田急線の玉川学園前駅へ。
まずは、アルバムの持ち主の学舎だったかもしれない玉川学園に向かいます。
「玉川学園で働いていたと書いてあったことから、付近のお店でよく休憩していたと思うので、聞き込みに行きたいです!」とジェイデンさん。近くを捜索すると、玉川学園から徒歩30秒の喫茶店「ファインエステート」で、玉川学園に勤務していたお客さんを発見!

アルバムを見ていただくと、玉川学園の創立者・小原國芳さんと、アルバムの持ち主が写っている写真が。卒業式の写真だと思われ、玉川学園の卒業生で間違いないとのこと。
さらに、古い店が多い北口を捜索。創業43年の美容室「FromJE」の店長さんに事情を話し、お客さんに聞いてみることに。
すると、昭和38年の日付が書かれた写真が。昭和38年は「東京オリンピック」の1年前。町田市では聖火リレーが決まり、街中が盛り上がっていたそう。62年前の写真が20歳前後に見えるということは、持ち主は現在80歳以上の可能性も。
翌日、80歳以上で玉川学園周辺に詳しい方を求め、美容室で紹介していただいた「あらい青果店」へ。店主の荒井良男さんは、持ち主のことは分からないそうですが、アルバムを持って近所の理髪店「モンド」を紹介してくれました。
店主の髙橋孝順さんは、現在80歳。玉川学園出身ではありませんが、生粋の玉川育ちで、玉川学園の元教師・勝川さんの連絡先を教えてくださいました。アルバムの持ち主が学生時代に教わっていたかもしれないということで、有力な手がかりに!

ところが、連絡を取ってみると、勝川さんのご家族から「高齢のため協力が難しい」との申し出が。「今まで親切に協力してくれた番組と街の人々のためにも、持ち主の方が見つかるまで絶対に諦めたくありません」とジェイデンさん。ケンさんも「私も同じ気持ちで妻をサポートします!」と意気込みます。
3日目は、捜索範囲を広げ、隣の町田駅へ。昔のことに詳しいかもしれないと、老舗を中心に回ります。この日から2日間にわたって聞き込みを続けましたが、有力な手がかりは得られず。それでも、頑張って探してほしいと、鮮魚店では本マグロを、精肉店では焼き豚の差し入れをいただきました。
5日目は、再び玉川学園前駅へ。実はケンさん、余裕を持って1週間の有給休暇を取得していましたが、あと2日で沖縄に戻らなければならないそう。
すると、そこに俳優歴60年の小野武彦さんが登場! 三谷幸喜作品や「躍る大捜査線」シリーズなどで人気を博し、現在も舞台やテレビで活躍中です。実は捜索2日目に「モンド」を訪れた際、髙橋さんと荒井さんに、「小野さんが玉川学園の卒業生だ」と教えてもらっていました。

小野さんは現在83歳。80歳以上だと思われるアルバムの持ち主を知っているのではないかと、ジェイデンさんの想いを伝えたところ快く協力してくださることに。
早速、小野さんが玉川学園の級友たちと同窓会を行っている中華料理店「おかはん」へ。何かの役に立てばと、小学校の卒業式の写真を持ってきてくださいました。
小野さんが注目したのは、恩師の前田先生。アルバムの持ち主の写真にも写っており、小野さんが持参した写真と見た目があまり変わらないことから、ほぼ同時期に撮影されたと推測されます。そこから小野さんは、アルバムの持ち主が、現在83歳の小野さんと同じくらいの年齢だと推理。
さらに、「北海道修学旅行」と書かれた写真にも着目。小野さんによると、高校の修学旅行は代々北海道だそうで、出発前の上野駅の写真には昭和36年の文字が。小野さんの高校の修学旅行は昭和35年なので、小野さんの1学年後輩、現在81〜82歳という可能性が。
そこで、小野さんが1学年下の友人の方に連絡すると、協力していただけることに!
待ち望んだ手がかりに、感無量で涙するジェイデンさん。代わってケンさんが、「小野さんには感謝のしようがありません」と伝えます。「無事に辿り着いてその方に渡るといいですよね」と小野さん。「おかはん」店主・岡本達哉さんもジェイデンさんの想いに感動し、高菜チャーハンをご馳走してくださいました。
捜索7日目。向かったのは、東京・世田谷区の成城学園前駅。小野さんが連絡してくださった方にお会いするため、駅前の喫茶店へ。そこには、アルバムの持ち主と同級生だと思われる、3人の女性が待っていました。

アルバムを見ていただくと、70年前の思い出が蘇り、大興奮! アルバムの持ち主の写真を目にした皆さんは、口々に「あんこちゃん」と。
2年間必死に探したアルバムの持ち主は、“あんこちゃん”こと川口厚子さん。ようやく持ち主が分かり、ジェイデンさんの目に涙が…。
「ぜひご本人に返したいんですけど、連絡先は分かりますか?」と尋ねると、なんとその場で、都内に暮らす川口さんに連絡を取っていただけることに。
現在川口さんは長野県の蓼科に滞在中で、都内にはしばらく戻れないそう。ジェイデンさんたちも、仕事の都合で明日には沖縄に帰らなければなりません。
「アルバムを届けてくださってありがとうございます」と電話で感謝を伝える川口さんに、「あなたに絶対に返したいと2年間想い続けてきました」とジェイデンさん。
会話する中で、アルバムがヨーロッパに渡った理由も判明。川口さんが結婚する時、妹さんに頼んで処分してもらった品々に、アルバムが紛れていたそう。そのアルバムをニッポンでフランスの業者が買い付け、ヨーロッパへ。最終的にルクセンブルクへ辿り着いたと推測されます。

残念ながら川口さんとお会いすることは叶いませんでしたが、ジェイデンさんは「お返しできることに本当にホッとしています」と伝えました。
ジェイデンさんが運んだ、川口さんのかけがえのない想い出…70年の時を超え、後日、番組が代わりにお届けすることに。
目的を果たしたジェイデンさんは、「街の人々や番組の皆さんが応援してくれたおかげで、川口さんが見つかって感謝しています」と語ってくれました。
ご協力いただいた皆さん、本当にありがとうございました!
そして2週間後、東京に戻った川口さんから連絡を受け、アルバムをお届けすることに。

アルバムの持ち主は、田熊厚子(旧姓:川口)さん、81歳。約60年ぶりにアルバムを開くと、懐かしい写真に笑みがこぼれます。
最後にジェイデンさんに向けて、「重いアルバムを私のところまで届けていただき、感謝、感激しています。ありがとうございます」とメッセージをくださいました。
日本人のかけがえのない想い出を返したい…そんなジェイデンさんとケンさんの想いを、厚子さんに届けることができました!
続いて紹介するのは、スペイン在住の「どら焼き」を愛するマリアさん。

ニッポンを代表する和菓子、どら焼き。近年、ヨーロッパを中心にどら焼きを出す店が続々とオープン! 世界的なブームになっています。
マリアさんとどら焼きとの出会いは31年前。20歳の時にスペインで放送が始まった「ドラえもん」のアニメを観て、どら焼きを知ったそう。ドラえもんが美味しそうに頬張る姿が頭から離れず、自分でも本格的に作りたいと、36歳で仕事を辞めて料理学校へ。その情熱は止まらず、自費出版でどら焼きのレシピ本を出すまでに。
ニッポンにはまだ一度も行ったことがありませんが、独学で15年間、週3回はどら焼きを作っているマリアさん。本来は小豆から茹でて風味や食感を出したいのですが、スペインでは水煮しか手に入らないそうで、ニッポンで理想のあんこを作るのが夢。
「本場ニッポンであんこから生地まで全て手作りのどら焼きを学んで作って、私のどら焼きが職人さんから合格をいただけるのか挑戦したいです」。合格をいただけたら、スペインでどら焼き教室を開きたいと話します。
そんなマリアさんを、ニッポンにご招待! 初来日を果たしました。
向かったのは、東京・上野の創業100年を超える「うさぎや」。浅草の「亀十」、東十条の「草月」とともに東京三大どら焼きの一つに数えられ、1日1万個売れることも。
マリアさんが長年訪れたかった憧れのお店ということで、感激の涙が。

売り場の地下で作った出来立てだけを販売するのが「うさぎや」のこだわり。憧れ続けた本場ニッポンのどら焼きを口にしたマリアさんは、「これが本当のどら焼きなんですね」と感動! 憧れのどら焼きを噛み締めます。
元々は、丸めた餡に衣をつけ、銅鑼の形に焼いた和菓子として食べられていたともいわれているどら焼き。現在のように、2枚の皮で餡を挟むスタイルを考案したのが「うさぎや」だそう。
四代目店主・谷口拓也さんにもお会いすることができ、大喜びのマリアさんでした。
「うさぎや」の谷口さん、本当にありがとうございました!
続いて、最大の目的を果たすために向かったのは、東京・三鷹市。創業86年の「末廣屋喜一郎」へ。
店の名にもなっている亡き二代目・笠岡喜一郎さんは、パティスリー界のピカソと称されるピエール・エルメと並び、そのレシピが本に紹介されるほどの和菓子職人。
味と技を受け継いだ三代目の直道さんと母・展子さんが、親子二人三脚でどら焼きを作っています。

「末廣屋」の特徴は、最高級の丹波産大納言小豆を使い、極限まで皮を潰さない「煮崩し餡」。一般的な小豆の約2.5倍と値は張りますが、多くの人に味わってほしいと、採算ギリギリの手頃な価格で提供しています。今も1枚1枚完全手作りのため、一度に200個しか作れないそう。
待望のどら焼きをいただいたマリアさんは、「こんな食感のあんこは初めてです! 私の理想のあんこが見つかりました。10点満点中の100点です」と大感動! 「(評価が)甘すぎるんじゃないか(笑)」と直道さん。
素材にこだわった完全手作りのどら焼きは、完成までなんと4日間。今回は、膨大な手間暇をかけた手仕事を学ばせていただき、最後に一人でどら焼き作りに挑戦します。
まずは、こだわりの煮崩し餡作りから。小豆は煮崩れしやすいのですが、大納言品種は煮た時に割れにくく、中に風味が残りやすいそう。
小豆を水で洗い、細かい汚れまで取り除いたら一晩水に浸けます。小豆は、主にへそと呼ばれる部分からしか水を吸わないため、柔らかくするのに一晩かかるのです。

2日目、時間をかけて十分に水分を吸わせた小豆は約2倍の大きさに。ここで、直道さんが水を吸っていない小豆を選り分ける作業を。一粒でも見逃すと、出来上がったあんこに硬い部分と柔らかい部分のムラができてしまうとか。
茹でる時も、味の良し悪しを決めるひと手間が。苦みや渋みのもととなる茹で汁を捨てる「渋切り」を2回繰り返すことで、雑味と渋みを徹底的に取り除き、澄んだ味に。
そして、小豆に甘みをつけるのは氷砂糖。甘みを強く感じるまでの時間が早く、後味スッキリの上品な甘さが特徴です。
こだわりの素材が揃ったところで、いよいよ煮る工程へ。あんこに抜群の風味を与える職人技を見せていただきます。
直道さんによると、今までの工程でも気を使ってきたのが、小豆をなるべく潰さないようにすること。煮る時にもかき混ぜるような動きはせず、「なるべく掬って、どかしてあげる」と直道さん。
スペインでは、ハンドブレンダーで豆を潰していたマリアさん。これでは、小豆の風味が台無しに。柔らかくなった皮は破れやすく、繊細な力加減が必要なため、煮る工程は手作業でしかできないそう。1時間ほどで火を止めたら、一晩寝かせる「蜜漬け」で甘みを染み渡らせます。
3日目、ようやく煮崩し餡作りも佳境に。甘みを十分に含ませた小豆を潰さないよう、ちょうどいい硬さになるまで餡を練っていきます。
その日の気温や湿度によって練る時間を微調整しつつ、焦げないよう、手を止めずに練り続けること約1時間。練りたてを味見させていただいたマリアさんは、その味わいに感動! 最後にもう一晩寝かせたら、煮崩し餡の完成です。
最終日。「末廣屋」こだわりの煮崩し餡と相性抜群の生地を作ります。
カギになるのが、卵の鮮度。新鮮な卵白は空気を抱えやすく、ふっくらした生地に仕上がるそう。「末廣屋」では、地元「吉野農園」で採れた新鮮な卵を使用。鶏をケージに入れず、ストレスが少ない平飼いで育てることで、しっかりとした白身を持つ卵に。
空気を含ませるように混ぜたら、上白糖と、しっとり感を引き出す水飴を、二代目・喜一郎さん秘伝の配合で加えます。さらに、隠し味として醤油も。わずか0.6%加えるだけで、香ばしさと甘みを引き立てる効果が。小麦粉は、口溶けが良くもっちりした食感を出すため、2種類を独自にブレンドします。
こうして生地ダネが完成したら、熱が保たれ、ふっくら焼き上げることができる銅板で1枚1枚焼きます。

ここで、銅板に生地ダネを注ぐ「チャッキリ」という道具が登場。スペインでは同じ大きさになるよう、1枚分ずつボウルに分けて計量してから焼いているそうで、「絶対に買って帰りたいですね」とマリアさん。
同じ大きさになるよう生地ダネを注ぎ、生地にできる気泡と音でタイミングを見極め、裏返します。熟練の技と道具で、ぴったり同じ大きさと焼き色に。
焼き立てを味見させていただくと、「しっとりとしていて柔らかいです」とマリアさん。高温で早く焼くのが、水分を残したまましっとりさせるコツだそう。
仕上げに焼き印を押し、4日がかりで作った特製の煮崩し餡を挟んだら、「末廣屋」のどら焼きが完成!
そして、ここからはマリアさんが一人でどら焼き作りに挑戦します。

吸水した小豆を選り分け、皮を潰さないよう、1時間手を止めずにあんこを練り上げます。あんこができたら、チャッキリを使って生地を焼く工程へ。
最初は、直道さんのものと比べると気泡が出すぎてしまい、裏返した時には焦げ気味に。そこから特訓すること2時間、なんとかうまく焼けるようになりました。

この生地に、自分で作ったあんこを挟み、焼き印も押して、マリアさんのどら焼きが完成!
早速、直道さんに試食していただくと「確かにうちの味がします。美味しいです」と合格をいただくことができました。「認めていただけて嬉しいです」とマリアさん。
最後は直道さんから、「スペインでどら焼きを作る時に使ってほしい」と、チャッキリのプレゼントが。マリアさんは大感激で、直道さん親子とハグを交わしました。
「末廣屋喜一郎」の直道さん、展子さん、本当にありがとうございました!
実はマリアさん、ニッポンで流行っているどら焼きを食べてみたいと、様々なお店を訪れていました。
東京・大塚にある「千成もなか本舗」でいただいたのは、甘いあんこにバターを合わせた「あんバターどら焼き」。使うのは、さっぱりとした口どけと深いコクを持つ「カルピス 特撰バター」。さらに岩塩を振りかけることで甘みが引き立ち、絶妙なバランスに。
東京・曙橋にある「大角玉屋」のどら焼きは、大ヒット商品のいちご大福に次ぐ人気。日本酒に砂糖水を合わせた酒蜜に、焼き立ての生地を浸しています。この作り方に、マリアさんは「本当ですか!?」と驚き。
京都にある創業309年の和菓子店「笹屋伊織」には、生地に卵を使わないどら焼きが。江戸時代、殺生を禁じられているお坊さんのために納めた和菓子が始まりだそう。
モチモチの生地とこしあんの相性が抜群でした。
どら焼き職人の皆さん、本当にありがとうございました!
月曜夜8時54分からは、「世界!ニッポン行きたい人応援団」を放送!
▼日本画の虜になり独学で描いているスペイン人のイングリディさん。日本画とは、希少な鉱石からできた岩絵具や、胡粉と呼ばれる白い顔料などを重ねる独特な画法。ニッポンの伝統美の結晶を学び、自分の最高傑作を完成させるために日本へ!
▼京都嵐山でウェルカムサプライズ!日本画を好きになるきっかけをくれた日本画家・林潤一さんの書斎へ!衝撃の展開に涙が止まらない…。
▼京都宇治市にある胡粉工場では驚きの製法を目の当たりにする。牡蠣の殻を20年以上野ざらしにした後、細かく砕くことでニッポンの伝統的な白色を作るという。胡粉を絵の具にするための工程「百叩き」とは?
▼日本画に金箔銀箔で装飾をする金銀砂子師という職人のもとへ!平安時代から800年続く手作業による細かい作業は、特殊な道具を用いて行われる。一瞬の油断が命取りの秘伝の技を伝授してもらうことに。
▼数々の受賞歴を持つ一流日本画家のアトリエへ!扱いが非常に難しいという胡粉と岩絵具の本格的な使い方を教えてもらって実践!花を立体的に表現する「ぼかし」「盛り上げ」といった手法を学ぶ。
▼帰国後、教えてもらった技法や道具を使い、自身の最高傑作を作ることはできたのか?
今回は、緊急特別企画「ニッポン探したい人応援団」と、スペインに住む外国人の初来日の様子をお送りします。
【動画】「世界!ニッポン行きたい人応援団」最新回
ルクセンブルクで日本人のアルバムを発見
紹介するのは、沖縄在住のアメリカ人、ジェイデンさん。

ジェイデンさんの夫・ケンさんは、アメリカ空軍に所属。以前はドイツにある米軍基地で働いており、2年前、沖縄の基地に赴任しました。
ジェイデンさんから番組宛てに、「古いアルバムの持ち主らしき日本人女性を探し、アルバムを返したい」という動画が。
そもそもこのアルバムを手に入れたのは、ルクセンブルクにあるアンティークショップ。
お隣のドイツで暮らしていた時、旅行中に見つけたそうで、アルバムの表紙に書かれた「I will never forget the past(私は過去を絶対忘れない)」という強烈なタイトルに衝撃を受けたといいます。
写真はニッポンのどこかで撮影されたものばかり。名前は書かれていませんが、同じ女性の写真が多く貼られており、成長していく様子を見て「持ち主の人に返してあげたい」と感じたジェイデンさん。ケンさんも同意し、迷わず購入。店員もアルバムを仕入れた経緯を知らず、それ以来ずっと、持ち主を探していました。
しかし日本語が分からないため、日本好きの外国人が集まるサイトを見つけて英語で相談。4カ月間捜索しましたが、手がかりはゼロ。その後、沖縄に来てから現在までの1年7カ月にわたり、沖縄で暮らすアメリカ人たちに相談していました。
毎日のように聞き込みをしたものの、手がかりはつかめず。そんな中、友人に当番組を教えてもらい、ビデオレターを送ってくれたのです。
2年後にはケンさんの仕事でニッポンを離れるそうで、「ニッポンに居るうちにアルバムをお返ししたいので、協力していただけたら嬉しいです」とジェイデンさん。そこで、「ニッポン探したい人応援団」として、番組が協力することに!

アルバムに残った日本語を確認すると、玉川大学図書館でアルバイトをしたという書き込みが。
創立96年の玉川学園は、幼稚園から大学まで揃う伝統校。約12万3000人いる卒業生には、俳優の風間杜夫さんや演出家の宮本亞門さんなどの著名人も。
玉川学園校内で撮影した写真があることから、手がかりを求めて玉川学園に連絡。しかし、個人情報なので情報提供は難しいとのこと。そこで、町田市に出向いて手がかりを探すことに。
1週間後、ジェイデンさん夫婦は、東京・町田市にある小田急線の玉川学園前駅へ。
まずは、アルバムの持ち主の学舎だったかもしれない玉川学園に向かいます。
「玉川学園で働いていたと書いてあったことから、付近のお店でよく休憩していたと思うので、聞き込みに行きたいです!」とジェイデンさん。近くを捜索すると、玉川学園から徒歩30秒の喫茶店「ファインエステート」で、玉川学園に勤務していたお客さんを発見!

アルバムを見ていただくと、玉川学園の創立者・小原國芳さんと、アルバムの持ち主が写っている写真が。卒業式の写真だと思われ、玉川学園の卒業生で間違いないとのこと。
さらに、古い店が多い北口を捜索。創業43年の美容室「FromJE」の店長さんに事情を話し、お客さんに聞いてみることに。
すると、昭和38年の日付が書かれた写真が。昭和38年は「東京オリンピック」の1年前。町田市では聖火リレーが決まり、街中が盛り上がっていたそう。62年前の写真が20歳前後に見えるということは、持ち主は現在80歳以上の可能性も。
翌日、80歳以上で玉川学園周辺に詳しい方を求め、美容室で紹介していただいた「あらい青果店」へ。店主の荒井良男さんは、持ち主のことは分からないそうですが、アルバムを持って近所の理髪店「モンド」を紹介してくれました。
店主の髙橋孝順さんは、現在80歳。玉川学園出身ではありませんが、生粋の玉川育ちで、玉川学園の元教師・勝川さんの連絡先を教えてくださいました。アルバムの持ち主が学生時代に教わっていたかもしれないということで、有力な手がかりに!

ところが、連絡を取ってみると、勝川さんのご家族から「高齢のため協力が難しい」との申し出が。「今まで親切に協力してくれた番組と街の人々のためにも、持ち主の方が見つかるまで絶対に諦めたくありません」とジェイデンさん。ケンさんも「私も同じ気持ちで妻をサポートします!」と意気込みます。
3日目は、捜索範囲を広げ、隣の町田駅へ。昔のことに詳しいかもしれないと、老舗を中心に回ります。この日から2日間にわたって聞き込みを続けましたが、有力な手がかりは得られず。それでも、頑張って探してほしいと、鮮魚店では本マグロを、精肉店では焼き豚の差し入れをいただきました。
5日目は、再び玉川学園前駅へ。実はケンさん、余裕を持って1週間の有給休暇を取得していましたが、あと2日で沖縄に戻らなければならないそう。
すると、そこに俳優歴60年の小野武彦さんが登場! 三谷幸喜作品や「躍る大捜査線」シリーズなどで人気を博し、現在も舞台やテレビで活躍中です。実は捜索2日目に「モンド」を訪れた際、髙橋さんと荒井さんに、「小野さんが玉川学園の卒業生だ」と教えてもらっていました。

小野さんは現在83歳。80歳以上だと思われるアルバムの持ち主を知っているのではないかと、ジェイデンさんの想いを伝えたところ快く協力してくださることに。
早速、小野さんが玉川学園の級友たちと同窓会を行っている中華料理店「おかはん」へ。何かの役に立てばと、小学校の卒業式の写真を持ってきてくださいました。
小野さんが注目したのは、恩師の前田先生。アルバムの持ち主の写真にも写っており、小野さんが持参した写真と見た目があまり変わらないことから、ほぼ同時期に撮影されたと推測されます。そこから小野さんは、アルバムの持ち主が、現在83歳の小野さんと同じくらいの年齢だと推理。
さらに、「北海道修学旅行」と書かれた写真にも着目。小野さんによると、高校の修学旅行は代々北海道だそうで、出発前の上野駅の写真には昭和36年の文字が。小野さんの高校の修学旅行は昭和35年なので、小野さんの1学年後輩、現在81〜82歳という可能性が。
そこで、小野さんが1学年下の友人の方に連絡すると、協力していただけることに!
待ち望んだ手がかりに、感無量で涙するジェイデンさん。代わってケンさんが、「小野さんには感謝のしようがありません」と伝えます。「無事に辿り着いてその方に渡るといいですよね」と小野さん。「おかはん」店主・岡本達哉さんもジェイデンさんの想いに感動し、高菜チャーハンをご馳走してくださいました。
捜索7日目。向かったのは、東京・世田谷区の成城学園前駅。小野さんが連絡してくださった方にお会いするため、駅前の喫茶店へ。そこには、アルバムの持ち主と同級生だと思われる、3人の女性が待っていました。

アルバムを見ていただくと、70年前の思い出が蘇り、大興奮! アルバムの持ち主の写真を目にした皆さんは、口々に「あんこちゃん」と。
2年間必死に探したアルバムの持ち主は、“あんこちゃん”こと川口厚子さん。ようやく持ち主が分かり、ジェイデンさんの目に涙が…。
「ぜひご本人に返したいんですけど、連絡先は分かりますか?」と尋ねると、なんとその場で、都内に暮らす川口さんに連絡を取っていただけることに。
現在川口さんは長野県の蓼科に滞在中で、都内にはしばらく戻れないそう。ジェイデンさんたちも、仕事の都合で明日には沖縄に帰らなければなりません。
「アルバムを届けてくださってありがとうございます」と電話で感謝を伝える川口さんに、「あなたに絶対に返したいと2年間想い続けてきました」とジェイデンさん。
会話する中で、アルバムがヨーロッパに渡った理由も判明。川口さんが結婚する時、妹さんに頼んで処分してもらった品々に、アルバムが紛れていたそう。そのアルバムをニッポンでフランスの業者が買い付け、ヨーロッパへ。最終的にルクセンブルクへ辿り着いたと推測されます。

残念ながら川口さんとお会いすることは叶いませんでしたが、ジェイデンさんは「お返しできることに本当にホッとしています」と伝えました。
ジェイデンさんが運んだ、川口さんのかけがえのない想い出…70年の時を超え、後日、番組が代わりにお届けすることに。
目的を果たしたジェイデンさんは、「街の人々や番組の皆さんが応援してくれたおかげで、川口さんが見つかって感謝しています」と語ってくれました。
ご協力いただいた皆さん、本当にありがとうございました!
そして2週間後、東京に戻った川口さんから連絡を受け、アルバムをお届けすることに。

アルバムの持ち主は、田熊厚子(旧姓:川口)さん、81歳。約60年ぶりにアルバムを開くと、懐かしい写真に笑みがこぼれます。
最後にジェイデンさんに向けて、「重いアルバムを私のところまで届けていただき、感謝、感激しています。ありがとうございます」とメッセージをくださいました。
日本人のかけがえのない想い出を返したい…そんなジェイデンさんとケンさんの想いを、厚子さんに届けることができました!
完成まで4日間!名店こだわりのどら焼き
続いて紹介するのは、スペイン在住の「どら焼き」を愛するマリアさん。

ニッポンを代表する和菓子、どら焼き。近年、ヨーロッパを中心にどら焼きを出す店が続々とオープン! 世界的なブームになっています。
マリアさんとどら焼きとの出会いは31年前。20歳の時にスペインで放送が始まった「ドラえもん」のアニメを観て、どら焼きを知ったそう。ドラえもんが美味しそうに頬張る姿が頭から離れず、自分でも本格的に作りたいと、36歳で仕事を辞めて料理学校へ。その情熱は止まらず、自費出版でどら焼きのレシピ本を出すまでに。
ニッポンにはまだ一度も行ったことがありませんが、独学で15年間、週3回はどら焼きを作っているマリアさん。本来は小豆から茹でて風味や食感を出したいのですが、スペインでは水煮しか手に入らないそうで、ニッポンで理想のあんこを作るのが夢。
「本場ニッポンであんこから生地まで全て手作りのどら焼きを学んで作って、私のどら焼きが職人さんから合格をいただけるのか挑戦したいです」。合格をいただけたら、スペインでどら焼き教室を開きたいと話します。
そんなマリアさんを、ニッポンにご招待! 初来日を果たしました。
向かったのは、東京・上野の創業100年を超える「うさぎや」。浅草の「亀十」、東十条の「草月」とともに東京三大どら焼きの一つに数えられ、1日1万個売れることも。
マリアさんが長年訪れたかった憧れのお店ということで、感激の涙が。

売り場の地下で作った出来立てだけを販売するのが「うさぎや」のこだわり。憧れ続けた本場ニッポンのどら焼きを口にしたマリアさんは、「これが本当のどら焼きなんですね」と感動! 憧れのどら焼きを噛み締めます。
元々は、丸めた餡に衣をつけ、銅鑼の形に焼いた和菓子として食べられていたともいわれているどら焼き。現在のように、2枚の皮で餡を挟むスタイルを考案したのが「うさぎや」だそう。
四代目店主・谷口拓也さんにもお会いすることができ、大喜びのマリアさんでした。
「うさぎや」の谷口さん、本当にありがとうございました!
続いて、最大の目的を果たすために向かったのは、東京・三鷹市。創業86年の「末廣屋喜一郎」へ。
店の名にもなっている亡き二代目・笠岡喜一郎さんは、パティスリー界のピカソと称されるピエール・エルメと並び、そのレシピが本に紹介されるほどの和菓子職人。
味と技を受け継いだ三代目の直道さんと母・展子さんが、親子二人三脚でどら焼きを作っています。

「末廣屋」の特徴は、最高級の丹波産大納言小豆を使い、極限まで皮を潰さない「煮崩し餡」。一般的な小豆の約2.5倍と値は張りますが、多くの人に味わってほしいと、採算ギリギリの手頃な価格で提供しています。今も1枚1枚完全手作りのため、一度に200個しか作れないそう。
待望のどら焼きをいただいたマリアさんは、「こんな食感のあんこは初めてです! 私の理想のあんこが見つかりました。10点満点中の100点です」と大感動! 「(評価が)甘すぎるんじゃないか(笑)」と直道さん。
素材にこだわった完全手作りのどら焼きは、完成までなんと4日間。今回は、膨大な手間暇をかけた手仕事を学ばせていただき、最後に一人でどら焼き作りに挑戦します。
まずは、こだわりの煮崩し餡作りから。小豆は煮崩れしやすいのですが、大納言品種は煮た時に割れにくく、中に風味が残りやすいそう。
小豆を水で洗い、細かい汚れまで取り除いたら一晩水に浸けます。小豆は、主にへそと呼ばれる部分からしか水を吸わないため、柔らかくするのに一晩かかるのです。

2日目、時間をかけて十分に水分を吸わせた小豆は約2倍の大きさに。ここで、直道さんが水を吸っていない小豆を選り分ける作業を。一粒でも見逃すと、出来上がったあんこに硬い部分と柔らかい部分のムラができてしまうとか。
茹でる時も、味の良し悪しを決めるひと手間が。苦みや渋みのもととなる茹で汁を捨てる「渋切り」を2回繰り返すことで、雑味と渋みを徹底的に取り除き、澄んだ味に。
そして、小豆に甘みをつけるのは氷砂糖。甘みを強く感じるまでの時間が早く、後味スッキリの上品な甘さが特徴です。
こだわりの素材が揃ったところで、いよいよ煮る工程へ。あんこに抜群の風味を与える職人技を見せていただきます。
直道さんによると、今までの工程でも気を使ってきたのが、小豆をなるべく潰さないようにすること。煮る時にもかき混ぜるような動きはせず、「なるべく掬って、どかしてあげる」と直道さん。
スペインでは、ハンドブレンダーで豆を潰していたマリアさん。これでは、小豆の風味が台無しに。柔らかくなった皮は破れやすく、繊細な力加減が必要なため、煮る工程は手作業でしかできないそう。1時間ほどで火を止めたら、一晩寝かせる「蜜漬け」で甘みを染み渡らせます。
3日目、ようやく煮崩し餡作りも佳境に。甘みを十分に含ませた小豆を潰さないよう、ちょうどいい硬さになるまで餡を練っていきます。
その日の気温や湿度によって練る時間を微調整しつつ、焦げないよう、手を止めずに練り続けること約1時間。練りたてを味見させていただいたマリアさんは、その味わいに感動! 最後にもう一晩寝かせたら、煮崩し餡の完成です。
最終日。「末廣屋」こだわりの煮崩し餡と相性抜群の生地を作ります。
カギになるのが、卵の鮮度。新鮮な卵白は空気を抱えやすく、ふっくらした生地に仕上がるそう。「末廣屋」では、地元「吉野農園」で採れた新鮮な卵を使用。鶏をケージに入れず、ストレスが少ない平飼いで育てることで、しっかりとした白身を持つ卵に。
空気を含ませるように混ぜたら、上白糖と、しっとり感を引き出す水飴を、二代目・喜一郎さん秘伝の配合で加えます。さらに、隠し味として醤油も。わずか0.6%加えるだけで、香ばしさと甘みを引き立てる効果が。小麦粉は、口溶けが良くもっちりした食感を出すため、2種類を独自にブレンドします。
こうして生地ダネが完成したら、熱が保たれ、ふっくら焼き上げることができる銅板で1枚1枚焼きます。

ここで、銅板に生地ダネを注ぐ「チャッキリ」という道具が登場。スペインでは同じ大きさになるよう、1枚分ずつボウルに分けて計量してから焼いているそうで、「絶対に買って帰りたいですね」とマリアさん。
同じ大きさになるよう生地ダネを注ぎ、生地にできる気泡と音でタイミングを見極め、裏返します。熟練の技と道具で、ぴったり同じ大きさと焼き色に。
焼き立てを味見させていただくと、「しっとりとしていて柔らかいです」とマリアさん。高温で早く焼くのが、水分を残したまましっとりさせるコツだそう。
仕上げに焼き印を押し、4日がかりで作った特製の煮崩し餡を挟んだら、「末廣屋」のどら焼きが完成!
そして、ここからはマリアさんが一人でどら焼き作りに挑戦します。

吸水した小豆を選り分け、皮を潰さないよう、1時間手を止めずにあんこを練り上げます。あんこができたら、チャッキリを使って生地を焼く工程へ。
最初は、直道さんのものと比べると気泡が出すぎてしまい、裏返した時には焦げ気味に。そこから特訓すること2時間、なんとかうまく焼けるようになりました。

この生地に、自分で作ったあんこを挟み、焼き印も押して、マリアさんのどら焼きが完成!
早速、直道さんに試食していただくと「確かにうちの味がします。美味しいです」と合格をいただくことができました。「認めていただけて嬉しいです」とマリアさん。
最後は直道さんから、「スペインでどら焼きを作る時に使ってほしい」と、チャッキリのプレゼントが。マリアさんは大感激で、直道さん親子とハグを交わしました。
「末廣屋喜一郎」の直道さん、展子さん、本当にありがとうございました!
実はマリアさん、ニッポンで流行っているどら焼きを食べてみたいと、様々なお店を訪れていました。
東京・大塚にある「千成もなか本舗」でいただいたのは、甘いあんこにバターを合わせた「あんバターどら焼き」。使うのは、さっぱりとした口どけと深いコクを持つ「カルピス 特撰バター」。さらに岩塩を振りかけることで甘みが引き立ち、絶妙なバランスに。
東京・曙橋にある「大角玉屋」のどら焼きは、大ヒット商品のいちご大福に次ぐ人気。日本酒に砂糖水を合わせた酒蜜に、焼き立ての生地を浸しています。この作り方に、マリアさんは「本当ですか!?」と驚き。
京都にある創業309年の和菓子店「笹屋伊織」には、生地に卵を使わないどら焼きが。江戸時代、殺生を禁じられているお坊さんのために納めた和菓子が始まりだそう。
モチモチの生地とこしあんの相性が抜群でした。
どら焼き職人の皆さん、本当にありがとうございました!
月曜夜8時54分からは、「世界!ニッポン行きたい人応援団」を放送!
▼日本画の虜になり独学で描いているスペイン人のイングリディさん。日本画とは、希少な鉱石からできた岩絵具や、胡粉と呼ばれる白い顔料などを重ねる独特な画法。ニッポンの伝統美の結晶を学び、自分の最高傑作を完成させるために日本へ!
▼京都嵐山でウェルカムサプライズ!日本画を好きになるきっかけをくれた日本画家・林潤一さんの書斎へ!衝撃の展開に涙が止まらない…。
▼京都宇治市にある胡粉工場では驚きの製法を目の当たりにする。牡蠣の殻を20年以上野ざらしにした後、細かく砕くことでニッポンの伝統的な白色を作るという。胡粉を絵の具にするための工程「百叩き」とは?
▼日本画に金箔銀箔で装飾をする金銀砂子師という職人のもとへ!平安時代から800年続く手作業による細かい作業は、特殊な道具を用いて行われる。一瞬の油断が命取りの秘伝の技を伝授してもらうことに。
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記事提供元:テレ東プラス
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