ワンピースと夢【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】
夏空の京都タワー。
大学時代を過ごした京都を久しぶりに訪れる。当時思い描いていた「夢」にどれだけ近づけたのか? 夢中になって読んでいた漫画『ONE PIECE』のストーリーと、自身のこれまでの歩みを重ねてみる。
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■オアシスが呼び覚ました20年前の記憶2024年9月半ば、所用で久しぶりに京都を訪れた。残暑が厳しく、35度を超える猛暑日だった。
ちょうどイギリスのロックバンド「オアシス(Oasis)」の再結成が発表された直後だったこともあって(66話)、その大ヒットアルバム『(What's the Story?) Morning Glory』をAirPodsで聴きながら、そして噴き出る汗をぬぐいながら洛中を歩いていた。
そこでふと思う。 ――あれ、なんか昔、似たようなことをしたことがある気がする。
記憶を辿ってみると、そう、それはちょうど20年前、京都大学の大学院試験を受験するために、仙台から上洛したときのことだった。
当時、東北大学の4年生だった私は、同じようにオアシスの『(What's the Story?) Morning Glory』をポータブルCDプレイヤーで聴きながら、やはり京都の街を歩いていた。
たしか京阪電車の七条駅の近くにホテルをとっていて、京都駅からホテルまでの炎天下、やはり汗を垂れ流しながら七条通を歩いていたときのことがフラッシュバックした。
――あれから20年。仙台の大学生だった彼にとって、20年後の夏の京都で、東京大学の教授として同じようなことをしている未来など、当時は想像するはずもなかった。
■学生の頃に描いていたおぼろげな「夢」当時の私が、どのようなことを「夢」として抱いていたのかはあまり覚えていない。あるいは、「夢」と呼べるようなものを持っていたのかすらも覚えていない。
「研究者になりたい」という漠然とした「願望」はあった。しかし、22年間生まれ育った東北を離れ、遠い京都の地で新生活を始めるにあたって、まったく新しい未知の環境でひとりでやっていけるのか? 友達はできるのか? 研究生活は大丈夫なのか? そんな目先の心配だけでとにかく頭が一杯だった。
京都に越してきて1年目の春。いざ新しい生活が始まると、内弁慶な東北人気質ながらも、親切にしてくれた研究室メンバーやF先輩(63話)の力を借りながら、京都という新しい環境に少しずつ適応することができた。目の前の課題に懸命に取り組み、論文を発表することもできた。
成果を重ねることで、学会発表のために海外に出かけて、高校生のときの夢をひとつ叶えることもできた(119話)。大ジャンプを望むことなく、少しずつひとつずつ、コツコツとステップアップを続けた。
■明確になった「夢」私の大学院生活も後半にさしかかったある夏の暮れ、「本当にアカデミア(大学業界)で勝負できるのか?」「お前の才能なんかじゃ無理じゃないのか?」「そんな無謀なことは諦めて、企業に就職した方がいいんじゃないのか?」などと本気で悩んだ時期があった。
ちょうどその頃、淡路島で開催された研究集会に参加した。それは、学会場に併設されたホテルに泊まり込む、合宿形式の集会だった。しかし私はあえて、本土の舞子という小さな町にある露天風呂付きのビジネスホテルに泊まって、高速バスを使って毎日通うことにした。
そして毎日、集会を終えると、やはり高速バスで淡路島から舞子に戻り、ホテルの露天風呂にじっくりと浸かった。のぼせた体を夜風で冷ましながら、自分の将来について、自問自答を繰り返しながら悶々と頭をめぐらせていたことを覚えている。
いま思い返すと、「『社会人』としての自分のキャリアプラン」について真剣に悩んだのは、20代後半のこのときくらいだったように思う。
逆の言い方をすれば、私はこのときに初めて、「アカデミアで勝負する」という自分の「夢」、あるいは「目標」を、自分の中で明確にしたと言える。当時、「アカデミアで勝負する」とはつまり、「自分の研究室を主宰する」ということとほぼ同義だった。
そうハラを決めたのはもう少し先のことだったが、私は舞子のビジネスホテルの露天風呂で毎日悶々と思い悩み、結果的に、私はそれを自分の「夢」にすることにしたのだった。
■『ONE PIECE』に照らし合わせてみると私が中学3年生のとき、週刊少年ジャンプで、漫画『ONE PIECE』(ワンピース)の連載が始まった。大人気漫画なので知る人も多いと思うが、ルフィという少年が海賊王になるべく、仲間を集めて冒険をする物語である(ちなみに、2025年現在も連載中)。
その連載が始まったときのことは、今でもはっきりと覚えている。ジャンプはいつも、近所の本屋での立ち読みで済ませていた。しかしこの新連載に夢中になり、なけなしの小遣いをはたいてその号を買って、家でも夢中で何十回も繰り返し読んだ。
根が東北人気質の私は、「海賊王に俺はなる!」などというような大言壮語な「夢」を描いたことはない。しかし、『ONE PIECE』に照らして、G2P-Japanを含めた私のこれまでの研究キャリアを思い返してみると、案外ルフィの物語と大差ないのではないかと思えるところがあった。
「東の海(イーストブルー)」という最弱の海から航海を始め、信頼できる仲間を集め、さまざまな敵をやっつけて、「偉大なる航路(グランドライン)」に乗り込み、同じ「最悪の世代」たちと共闘し......。
――京都大学での所用を終えて、レンタサイクルで洛中に戻る。自転車を返却する頃にはすっかり日も傾き始めていた。
炎天下で汗をかいたこともあり、自然と足は木屋町に向かった。そして、昔の知り合いのトルコ人が経営しているバーのテラス席に座って、薄いけれどよく冷えた生ビールを飲んだ。
そのビールを飲みながら木屋町の往来を眺め、20年前のこと、そして舞子の露天風呂での出来事を思い返した。このように当時のことをきちんと回顧したのは初めてだったが、そこで私は、ちゃんと自分の「夢」を叶えられていたのだな、ということにはたと気がついた。
「海賊王」などという大それた夢を描かなくとも、ひとつひとつの困難を乗り越えていたら、だんだんと「夢」というようなものの輪郭がぼんやりと見えてきた。
その過程で、挫折したことはもちろん何度もあった。しかし「夢」に向かって、目の前のことにひとつひとつ懸命に取り組んでいたら、点と点が結ばれるようにするすると細い道がつながって現在に至っている。
そのように振り返ってみると、現在の私は、20年前の京都で、あるいは舞子の露天風呂で思い描いていた「夢」のはるか先、当時は想像もしなかったような「新世界」の航路を進んでいるのだな、ということに気がついた。
■そしてできあがった大きな「海賊船」研究室というのは、『ONE PIECE』に出てくる海賊船に似ている。あるいは研究というのは、『ONE PIECE』の航海のような冒険とよく似ている、と思うときがある。
目的を共有する人たちが同じ場所に集い、それぞれの役割をこなしながら、未知のことを明らかにするための「科学」という航海を続ける。そのための母艦こそが、『ONE PIECE』の世界の海賊にとっての海賊船であり、私たち研究者にとっての研究室である。
自分の研究室を構えて7年目。2024年夏の私の海賊船のクルーは30名を超える。
――この京都出張の翌日。用務を終えて東京に戻ると、研究室の「引っ越し」がほとんど完了していた。
このとき、私が教授になってすでに2年半が経過していた。しかしいくつかの事情があって、私たちは本来の研究スペースに引っ越すことができずにいたのだ。そのため、私を含めた30余名のラボメンバーたちは、キャンパスの中にあるいくつかの建物の部屋にバラバラに散らばっていたのだった。
私がこの京都出張から研究所に戻ったとき、本来の研究スペースへの引っ越しがちょうど終わったところだった。そして、バラバラになっていたラボメンバーたちが、ついにひとつの大きな空間に集結していた。
活気あふれる30余名のラボメンバーが集うその新しい研究室はまるで、海賊王が乗る大きな海賊船のようにも思えた。
文・写真/佐藤 佳
記事提供元:週プレNEWS
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