対照的な元大統領の〝その後〟 【平井久志×リアルワールド】
韓国の李在明(イ・ジェミョン)政権は、同政権の初代駐中国大使に、盧泰愚(ノ・テウ)元大統領の長男、盧載憲(ノ・ジェホン)・東アジア文化財団理事長を内定した。
進歩派政権の李在明政権が軍人出身で保守の盧元大統領の長男を大使に起用したことは「意外な人事」と受け止められているが、韓国内の評価は悪くない。
それは盧元大統領が韓国と中国との国交正常化を実現した大統領であり、盧載憲氏が中韓国交正常化20周年の2012年に東アジア文化財団を設立し、自らもたびたび訪中し、中韓間の文化交流に貢献するなど中国と深い縁があったからだ。
同時に、この人事は、進歩政権が盧元大統領の長男を起用することで、政治的には保守との「国民統合」の意味を持つからだ。
最も重要なのは、盧載憲氏が2019年8月に光州の国立5・18民主墓地を参拝し、5・18民主化運動遺族の元を訪れて謝罪し、翌2020年5月にも5・18墓地を訪れ、闘病中の盧元大統領に代わり「第13代大統領・盧泰愚、5・18民主英霊を追悼します」というリボンを掛けた弔花を献じ、謝罪の意を伝えるなど、繰り返し光州事件の犠牲者に謝罪を続けてきたからだ。
全斗煥(チョン・ドゥファン)元大統領と盧泰愚元大統領は陸軍士官学校の同期で、ともに1979年12月に「粛軍クーデター」を起こし、1980年5月の「光州事件」で市民を弾圧し、多数の死者を出した事件の中心人物だった。その後、全斗煥氏がまず大統領になり、次いで盧泰愚氏が大統領に就いた。だが2人は1995年に反乱・内乱罪や収賄罪で逮捕され、服役し、1997年12月に特赦で釈放された。
盧元大統領は2021年10月26日、88歳で亡くなり、全元大統領もそれを追うように同年11月23日に90歳で亡くなった。盧元大統領は遺言で「在任中の出来事で責任や過ちがあったなら、寛大な許しを願う。歴史の悪い面は全て背負っていく」と述べていたという。一方の全元大統領は光州事件など民主化運動弾圧に対し最後まで反省の意を示さなかった。それどころか、判決で科せられた追徴金、約2295億ウォンに対し「29万ウォンしかない」と支払いを拒否した。
反省の意を表した盧元大統領の葬儀は国家葬として行われ、「南北の平和と統一を念願した遺志」を受け、遺骨は北朝鮮に近い京畿道坡州市に埋葬された。
一方、全元大統領の遺骨は死後4年近くがたとうとしているのに埋葬地を見つけることができず、ソウル市西大門区延禧洞の自宅に安置中だ。
全元大統領は回顧録に「北(朝鮮)側が見下ろせる高地に白骨としてでも残り、統一の日を迎えたい」とあったことから、盧元大統領と同じように休戦ライン付近の埋葬地を探してきた。2023年に坡州市の土地を仮契約した。だが、これが報道されると、地域内で反発が強まり、地主が契約を放棄してしまった。
その後も埋葬地を探したが見つけられず、仕方なく、李順子(イ・スンジャ)夫人が住む延禧洞の自宅の庭に埋葬することを検討中という。
さらに韓国メディアは9月中旬、全元大統領の長男、全在国(チョン・ジェグク)氏が筆頭株主の書店「ブックスリブロ」が約80億ウォンの負債を抱えて破産したと報じた。
自らの行為に対し謝罪した為政者の長男は大使に任命され、謝罪を拒否した為政者の長男は父の遺骨の埋葬地も探せぬまま負債を抱えて苦境に陥っている。波乱に満ちた韓国現代史の結果として、一つの対照的現実を示しているようである。
【KyodoWeekly(株式会社共同通信社発行)No. 37からの転載】
ひらい・ひさし 共同通信客員論説委員。2002年、瀋陽事件報道で新聞協会賞、朝鮮問題報道でボーン・上田賞を受賞。著書に「ソウル打令 反日と嫌韓の谷間で」(徳間文庫)、「北朝鮮の指導体制と後継 金正日から金正恩へ」(岩波現代文庫)など。
記事提供元:オーヴォ(OvO)
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