【WBA&WBC世界フライ級王座統一3.13決戦】TOUGH BOY(タフ ボーイ)――「チーム拳四朗」誕生(12回連載/9回目)
ユーリ阿久井の待つリングへと向かう拳四朗(写真/北川直樹)
「能天気な拳四朗に対して、神経質な加藤。でも、あれだけ一生懸命に拳四朗のことを考えているやつはいない。ふたりの相性は、最高じゃないかな」
2025年3月13日、東京・両国国技館での統一戦を終えた「チーム拳四朗」のサブトレーナー、横井龍一は、そう振り返った。
拳四朗を支えるチームは隙のない団結力を誇る。しかし始めから一枚岩だったわけではない。三迫ジムに来たばかりの頃は、よそ者――まるで外様大名のように見られていた拳四朗。その空気を和らげ、輪の中へと馴染ませたのは、加藤だった。
* * *
加藤健太と寺地拳四朗――。
いまや日本のボクシング界で、ふたりの師弟関係を知らない者はいないと言って良い。
出会いは、拳四朗が世界初挑戦した2017年5月20日までさかのぼる。世界トリプルマッチ(村田諒太/比嘉大吾/寺地拳四朗)と銘打たれた興行は、三迫ジムと縁の深いフジテレビ主催。舞台は東京・有明コロシアムだったこともあり、京都・BMBボクシングジム所属の拳四朗を三迫ジムが全面サポートした。その流れで、三迫ジムのチーフトレーナーである加藤は、この一戦に限り、メイントレーナーである寺地永会長のサブトレーナーとして拳四朗のセコンドに付いた。ここから、ふたりの関係が始まった。
■出会い――「いまのままでは、いずれ苦戦する」加藤に、拳四朗と出会った時の印象を聞いた。
「『(拳四朗は)必ず世界を獲れる』と思いました。それ以前に試合を直接見る機会はありませんでしたが、噂で『ぴょんぴょんと跳ねるようにステップを踏む』と聞いていたので、パンチを当ててポイントアウトするボクサーだと思っていました。でも、実際に見たら体は全然浮かないし、芯もしっかりしていてブレない。初めてミットを持ったときは、パンチのクオリティ、一点を的確に打ち抜く技術の高さに驚きました」
同試合、拳四朗はガニガン・ロペス(メキシコ)に12回判定(2対0)勝利し、プロ10戦目で世界王者に。しかし加藤は、才能に感服すると同時に危うさも覚えた。
「『いまのままでは、いずれ苦戦する』と思いました。対サウスポーの基本的な戦い方や距離感を理解していないように見えて、それを伝えたいと思いました」
5ヵ月後の初防衛戦も判定(2対0)辛勝。拳四朗自身も「当時はセンスと気合いだけで戦っていた」と振り返り、「何かを変えなければ」と考えていた。そんなこともあり、京都の自宅から定期的に東京の三迫ジムを訪ねては加藤にアドバイスを求め、セコンドにも引き続き付いてもらった。
加藤と出会い、拳四朗は大きく進化を遂げた。
3度目の防衛戦は、雪辱を期したガニガン・ロペスを2回KOで返り討ち。4度目の防衛戦は元IBF王者のミラン・メリンド(フィリピン)に7回TKO勝利。さらに、加藤がチーフトレーナーを初めて任された6度目の防衛戦はジョナサン・タコニング(フィリピン)に4回TKO勝利。単に勝利しただけでなく、いずれも内容の充実が評価された。
■加藤の教え――「世界チャンピオンが、一番上ではない」
ユーリ阿久井戦の直前、拳四朗の最終調整を見つめる加藤トレーナー
拳四朗は、京都・BMBジム所属のまま、次第に活動の拠点を東京・三迫ジムへ移す。加藤に指導を受ける機会を増やすためだ。
当初はホテルに泊まり短期合宿を行っていたが、通う頻度があまりに多くなったため、都内にマンションを購入。以降は、用事のあるときだけ関西に戻る生活パターンへと変わった。それまでチーフトレーナーをしていた父・永も加藤に全幅の信頼を寄せて指導を引き継いだ。以降はチケット販売などおもに営業面で拳四朗を支えている。
現在では、三迫ジムでも最古参になりつつある拳四朗は、プロ選手に限らず、健康目的で通う一般会員ばかりか、「きたまち商店街」(東武練馬駅南口)の人々からも気軽に声をかけられるほど、地域にも馴染んでいる。
三迫ジムに通い始めた当初は、外部ジム所属の現役世界チャンピオンという特異な立場が、かえって距離を生むこともあったそうだ。加藤はその空気を和らげ、拳四朗を自然と輪の中へ溶け込ませた。
「チーム拳四朗」のサブトレーナー、ムードメーカーでもある横井はこう話す。
「三迫ジムの看板を背負う選手にしてみれば、『拳四朗は、加藤に教えてもらうためだけに通う、よそのジムの選手』という気持ちもあった。実際、ミーティングでも、『三迫ジムの選手には挨拶や礼儀など規律を求めるのに、拳四朗は世界チャンピオンだから特例なのか、よそのジムの選手だから、ミーティングは参加しなくても良いのか』という意見が出たりもしました。
拳四朗自身は、いまと同じで、世界チャンピオンであることを鼻にかけたり、偉そうな態度をとる男ではありません。でも、三迫ジムの選手にしてみれば、階級が違ってもライバルですからね。ただ、少なからず敵対視するような選手に対して、加藤は戒めたり否定するのではなく、拳四朗にもきちんと挨拶することや、ミーティングに毎回参加することを徹底させました。そこは加藤、たいしたもんです」
横井には、加藤が拳四朗に告げた一言が、いまも耳に残っている。
「世界チャンピオンが、一番上ではない」と――。
現役世界チャンピオンに対して加藤は、一切特別扱いはしなかった。拳四朗も、不服な態度やふてくされることは一度もなく、むしろ率先して馴染もうと、誰に対しても分け隔てなく接し、積極的にコミュニケーションをとった。
以前、世界戦の前に三迫ジムで拳四朗を取材した際、著者はこんな景色を目にした。
午後1時、拳四朗は軽めの準備体操で身体をほぐすと、慣れた様子でバンデージを巻いた。ほかのプロ選手はたいてい夕方から練習するので、一般会員のほうが多かった。3分間のタイマーをセットすることもなく、軽めにシャドー。インターバルは一般会員と雑談したり、アドバイスしたりと、世界戦を間近に控えているにもかかわらず、和気あいあいとした雰囲気で練習していた。
サンドバッグの打ち込みでは、プロ・アマを問わずペアを組んだ。拳四朗も一緒にこなし、自分が待つ間は、「あと少し!」「頑張って!」と皆を鼓舞した。
「昼間はいつもこんな感じです。普通に一般会員さんとマス(『マス・ボクシング』当てずに軽くパンチを出し合うスパーリング)とかしますもん。むしろ、『僕に付き合ってくれてありがとう!』って感じです。追い込むような練習は、ひとりじゃできないですよね、ひとりは寂しいじゃないですか」
と笑顔を見せた。加藤――。
「世界チャンピオンでも偉ぶらない人柄。それが拳四朗の魅力です。もし人柄が良くなければ、相手が世界チャンピオンでも、よそのジムの選手に、リングを気持ちよく譲りたいとは思えませんよね。
自分のことしか考えられない人のまわりには、自分の利益ばかり優先する人が集まる。ボクシングの世界も同じ。まわりの人を大切にできるボクサーには、やっぱり『選手のために』という気持ちの人が集まり、大きな力になります。トレーナーも、自分のことしか考えられない選手のために、あえてミットを構える気持ちにはならない。試合でもピンチの場面で、背中を押すような掛け声もできないと思います」
「次はいつ試合なの? 応援してるわよ!」
夕方5時――。練習を終えて表に出た拳四朗に、向かいにある居酒屋の女将が話しかけてきた。割烹着姿の女将と談笑していると、「どうした、どうした」とばかりに、ご主人らしき男性、ほろ酔いの年配の常連客も顔を出し、孫のような年齢の拳四朗を囲んだ。
練習後、三迫ジム向かいにある居酒屋で近所の方達と交流する拳四朗
※※※
東京・両国国技館――。
「勝つぞーっ!」
試合直前、セコンド陣はじめスタッフ、応援に来た選手ほか全員でスクラムを組んで円陣をつくり、加藤の掛け声と同時に気合を入れてからリングに向かう。それが「チーム拳四朗」のスタイル。阿久井戦でも、恒例の儀式は執り行われた。
ライトフライ級時代は「北斗の拳」のテーマ曲「愛を取り戻せ」を入場曲に用いた拳四朗は、フライ級転向で心機一転、前回2024年10月のWBC世界フライ級王座決定戦(対ロサレス)からは「北斗の拳2」の主題歌、「TOUGH BOY」に変更した。
「タフ」の語感は、持ち味である体力のタフさ、「丈夫」や「頑丈」という意味にも重なる。「愛を取り戻せ」のサビから「TOUGH BOY」に切り替わる演出にリミックスされたビートに歩調を合わせ、拳四朗は阿久井戦、まばゆいスポットライトを浴びながら「チーム拳四朗」の仲間とともにリングへと向かった。
チーム全員で円陣を組み、気合を入れてリングに向かうのが恒例だ
「加藤に教えてもらうためだけに通う、よそのジムの選手」だった拳四朗は、いまは三迫ジムはじめ支えてくれる、すべての人たちの「思い」を背負いリングに上がっていた。
「拳四朗さん一人だけだったら怖いとは思わない。でも、後ろに控えている加藤さんやチームの存在は怖い」
阿久井が今回の王座統一戦前、妻の夢に恐れを打ちあけた「チーム拳四朗」の一丸力。そんな結束をさらに強固にして絆を深めたのは、2020年夏、拳四朗が起こした、ある出来事が関係していた。
■ユーリ阿久井政悟(あくい・せいご)*写真左
1995年9月3日生まれの30歳。岡山県倉敷市出身。本名は阿久井政悟。父親と叔父も元プロボクサーという環境に育ち、中2から倉敷守安ジムで本格的にボクシングに取り組む。地元の環太平洋大学進学後の2014年4月にプロデビューし、翌年、全日本新人王獲得。2019年10月、日本フライ級王座獲得。2024年1月、アルテム・ダラキアン(ウクライナ)に判定勝利し、岡山県にあるジム所属として初の世界王者に。2025年3月13日、寺地拳四朗とのWBA &WBC世界フライ級王座統一戦では最終12回TKOで敗れる。通算戦績は25戦21勝(11KO)3敗1分け。
■寺地拳四朗(てらじ・けんしろう)*写真右
1992年生1月6日まれの33歳。京都府出身。B.M.Bボクシングジム所属。2014年プロデビューし、2017年、10戦目でWBC世界ライトフライ級王座獲得。9度目の防衛戦で矢吹正道に敗れて王座陥落するも、翌2022年の再戦で王座奪還。同年11月には京口紘人に勝利してWBA王座獲得し2団体統一王者に。2025年3月13日、ユーリ阿久井政悟とのWBA &WBC世界フライ級王座統一戦でも勝利し、二階級で世界2団体統一王者に。2025年7月30日、リカルド・ラファエル・サンドバルに判定負けを喫して王座陥落。通算戦績は27戦 25勝 (16KO) 2敗。
取材・文・撮影/会津泰成
記事提供元:週プレNEWS
※記事内容は執筆時点のものです。最新の内容をご確認ください。