メジャー王者が母国で大学教授に転身 日本通算8勝の52歳が選んだ“第二の人生”
<日本シニアオープン 最終日◇21日◇相模原ゴルフクラブ(神奈川県)◇6997ヤード・パー72>
2004、05年の「日本プロゴルフ選手権」、04年の「日本ゴルフツアー選手権」のメジャー3勝を含む国内男子ツアー通算8勝。8月20日に52歳になったS・K・ホ(韓国)は、最終予選会を突破し、今年のシニア日本一を決める大会を戦った。結果はトータル8アンダー・5位。大会自己ベストの成績で4日間を終えた。
「レギュラーから離れてもう10年ぐらいになるんですけど(本格参戦最終年は2016年)、去年の千葉カントリー(日本シニアオープン)は、試合の感覚もだいぶ忘れていた。今回は1カ月、2カ月前から少し練習していたので、調子は悪くなかった。今週に入ってから、少し風邪気味でしんどかったけど、(最終日に)治りかけて、きょうの調子につながっているかな」
来日後に体調を崩したことも明かすが、そのなかでもスコアをまとめ、10位で迎えた最終日に5バーディ・1ボギーの「68」をマーク。来年大会(福岡県・玄海ゴルフクラブ)の出場資格を得られる上位15位に入った。
「来年は応援していただいている玄海に出られるよう頑張ります、(玄海GCの)社長、JGAの山中さん(日本ゴルフ協会・山中博史専務理事)とも約束していた。とにかく15位以内に入るようにガマンしようと思っていた。それがうまくできたからよかった」。こう話すと笑顔もこぼれる。
2001年から日本ツアーに参戦し、19年の「関西オープン」を最後にツアーから撤退。日本のシニアツアーへの参戦を心待ちに、17年に日本プロゴルフ協会(PGA)に入会した。23年には『レギュラーツアーで3勝以上をしている選手』の枠で今大会に初出場。そこからは、年に一度、この日本シニアオープンにしか姿を現していない。
現在は、母国の龍仁大に教授として籍を置き、「もともと柔道とテコンドーが有名な大学。何人もオリンピックのメダリストがたくさんいる」という学びの場で、ゴルフに関する理論から技術までを教えてる。在籍は3年目。4年生までの約140人が教え子だ。
「(レギュラーツアーを)引退して、シニアまで7年もあったし、“第二の人生”を頑張ってみることも1つの道じゃないかと思った。大学は65歳まで働けるので、そういうのもあって、決めました。あと10年、うまくいくかどうかはわからないけど頑張ってみようかなと。それで、もしシニアツアーでやりたくなったら、まだシード権はあるので、それを使おうと思っています」
韓国の試合には出ていなく、大会解説をたまに行う程度。今は競技は“副業”になっているが、「(日本では)いろんな試合で戦い楽しくやっていた。その選手たちと会うのが、1年に1回の僕の楽しみ」と大好きな日本を訪れ、当時、一緒に戦った選手たちとの再会が重要な目的にもなっている。
「昔はこうだったね、ああだったねっていう話をして思い出しながら。レギュラー時代はできなかった楽しさが、シニアではできる。楽しんでおります」
その笑顔はセカンドキャリアの充実ぶりを伝えるのに十分だ。ホールアウト後の会場では、多くの日本のファンがサインや記念撮影を待っていた。「うれしかったですね」。年に1回の“プロゴルファーの仕事”を全うし、再び日常へと戻っていく。(文・高木彩音)
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