最恐ドラッグ「フェンタニル」は高校生でも作れるってマジですか!
フェンタニル中毒者が集まる米東部フィラデルフィアのケンジントン地区。手前の男性は上半身をかがめたままの「ゾンビ」と呼ばれる状態に陥っていた(撮影/本間英士)
全米を震撼させている合成麻薬「フェンタニル」を巡り米トランプ政権は、原料の輸入元とされる中国への批判を強めている。
そんな中、今年6月には中国系の組織が、アメリカへフェンタニルの原料を不正輸出するための拠点を日本に造っていたことが発覚した。
もはや日本も無縁ではないフェンタニル問題。このドラッグの真の恐ろしさは強烈な依存性以上に"作るのが簡単"だという点にある。
■気分はウォルター・ホワイト「新アヘン戦争」という言葉を聞くようになった。
アメリカで合成オピオイド(麻薬性鎮痛薬)の一種、フェンタニルが流行している。2022年には10万人超がこの麻薬で命を落とし、その翌年以後も年8万人前後が死亡。交通事故の死者数を上回るほどの犠牲者を生み出している。しかも、死者の約3割が15~34歳の若者。まさに国の未来を奪う災厄だ。
フェンタニルの多くはメキシコマフィアが製造しているが、原料の供給源をたどると中国にたどり着く。
19世紀の中国はイギリスからアヘンを輸出され、国民の多くが中毒となった。禁止しようとしたところ、イギリスとの戦争になり敗戦。当時の中国の弱さを知った欧米列強や日本は次々と中国の利権を奪い取っていく。
中国にとって屈辱の近代史はアヘンから始まった。そのため「新アヘン戦争」という言葉には、〝中国による意趣返し〟という意味が込められている。かつて中国がアヘンに苦しんだように、今度はアメリカをフェンタニルで苦しめようと、半ば組織的に原料を輸出しているのではないか、と。
今年8月、ジョージ・グラス駐日米国大使がⅩで「中国共産党はこの危機を意図的にあおっています」と投稿したことで、この見方はさらに勢いを増した。
この恐るべきドラッグ蔓延の根は何か? 真相を追った。
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07年、日本の財務省関税中央分析所(以下、関税中央分析所)はフェンタニルの密輸摘発を目的に、「フェンタニル系麻薬とその類似化合物の合成及び分析」という論文を発表した。
その論文には「フェンタニルの作り方」が記載されている。詳細は省くが、試料や試薬の種類から、合成のために必要な機器の一覧、さらには作業手順まできっちり明記されている。
【1.アセトニトリルに炭酸カリウム、テトラブチルアンモニウムブロミドを加え、50~60℃で30分間攪拌した。これに少量ずつ4-ピペリドン一水和物塩酸塩を加え、さらに50~60℃で1時間攪拌し......】
といった具合に専門用語が多く、化学の授業が得意ではなかった筆者にはちんぷんかんぷんな内容だが、やっていることといえば、温めながら混ぜる、材料を加える、乾燥させるとかなりシンプルで、料理を作るのとさほど変わらないように見える。
フェンタニルが混入されたとみられる錠剤
ドラッグ製造者がスラングで「料理人」と呼ばれるのも、この工程表を見ていると納得できる。
この論文が読解できれば誰でも簡単にフェンタニルが作れてしまいそうに思えるが、関税中央分析所に話を聞くと「器具や装置は専門メーカーから購入するので、入手は容易とは言えない」「有機合成には経験も必要なので、机上の知識だけで合成できるものではない」との返答があった。
しかし、元医薬品メーカー研究職にして、化学ライターの佐藤健太郎氏は「高校生でも作れる」と話す。
「モルヒネのような天然由来の化合物は分子構造が複雑で、大学教授が率いる精鋭のチームを組んでも数年はかかるくらい難しい。ところが、フェンタニルは驚くほどに単純な構造です。関税中央分析所が回答したとおり、有機合成にはノウハウが必要ですが、フェンタニルならば作るのは難しくありません」
作り方のレシピ作成は「大学院生ぐらいの知識があればおそらく可能」、そして手順書を基に作業するだけならば、高校生ぐらいでもできるレベルだという。
設備も大したものはいらない。「フラスコ、攪拌機、そしてエバポレーター(蒸発器)があれば、最低限の合成は可能で、100万円ぐらいでそろえられる。キッチンやガレージを改造した程度の広さに十分収まる」(佐藤氏)という。
この説明で思い出すのが人気海外ドラマ『ブレイキング・バッド』だ。主人公は高校の化学教師ウォルター・ホワイト。その卓越した化学知識で高純度の覚醒剤を作り、麻薬王へとのし上がっていくストーリーである。
ホワイトは当初、キッチンカーで覚醒剤作りを始める。材料をすり鉢で砕いて、鍋で煮込んで......と、「こんなんで大丈夫?」と不安になるような手順だが、他の業者を圧倒する品質の覚醒剤を作れてしまう。
米紙ニューヨーク・タイムズは昨年12月、「メキシコの麻薬カルテル、フェンタニル製造に化学専攻の学生を勧誘」との記事を公開した。カルテルの勧誘員は用務員に変装し、大学キャンパスに潜入。化学専攻の大学2年生に化学者の平均給与の2倍、月給800ドル(約12万円)を提示している。しかも契約金800ドルのおまけ付きだ。
なぜカルテルは学生をリクルートしているのか。ひとつの目的はフェンタニルの製造工程の改良だ。そして、より野心的な目標が原料(前駆体)の作製である。中国から輸入しなくても、メキシコだけでフェンタニルを作れるようにする国産化戦略に挑んでいる。
もっともそのハードルは高く、そう簡単に実現するものではないという。
ならば、フェンタニルの原料となる「前駆体」の輸出を中国がやめればいい――そう考えるのは自然だ。しかし、これもまた簡単な話ではない。
17年、国連の麻薬委員会(CND)でフェンタニルの前駆体が世界的に規制された。その後、規制対象となる化学物質の種類は拡大されていく。ただし、そうした化学物質の中にはフェンタニル製造以外の用途もあるだけに、一律の禁止は難しい。
そもそも中国は、ある程度はフェンタニルの規制に協力してきた。19年にフェンタニル類似薬物を包括的に規制したほか、23年11月の米中首脳会談では習近平国家主席が協力を約束し、会談翌日には中国企業に対し、フェンタニル製造に関与すれば法的措置を取ると警告している。
これにより、大手企業が直接、原料輸出に関わることは難しくなり、中国からアメリカへのフェンタニルの〝完成品〟の輸出はほぼ壊滅した。
しかし、フェンタニルの〝原料〟については規制が追いついていないのが現状だ。
日本経済新聞は今年6月25日、名古屋を拠点とする中国系の企業が、フェンタニルの原料について、中国からアメリカへの輸出をサポートしていたと報じた。
その企業が実際に取り扱っていたフェンタニルの原料を含む薬品のひとつに「1-Boc-4-ピペリドン」があるが、医薬品の製造、研究開発、さらには農薬や機能性材料の原料としても利用されている。日本国内でも厳格に規制されているとはいえ、一般的な試薬販売業者が取り扱っている物質だ。
フェンタニルは経口摂取2㎎で死に至るという、少量でも極めて効果の高いドラッグである。そのため、さほど大量の原料を輸入しなくても、アメリカに流通させるぐらいの量は合成できてしまう。
無数の事業者、研究所がさまざまな目的で原料を輸入している現状で、そのすべてを厳しくチェックするのは至難の業だ。
とはいえ、これほど多くの犠牲者が出ている以上、無策ではいられない。どれほど大変でも、トレーサービリティ(物品の生産過程から消費・廃棄まで追跡可能な状態)の整備を徹底して取り締まるべきではないのか。しかし、佐藤氏によれば、それも厳しいという。
「化学合成の世界では、常に〝抜け道〟が存在するからです。例えば既存の前駆体の分子構造を少しだけ改変することで、規制リストには掲載されていないけれども、同じ役割を果たす新規前駆体を作ることはいくらでもできます。
あるいは禁止された前駆体を作るための原料(プレプリカーサーと呼ばれる)が輸出され、麻薬カルテルが合成するといった手段もある。それでもダメならまったく別の合成ルートを見つけ出す方法も......といったように、まさにいたちごっこなんです」
■フェンタニル流行地域が偏る理由は?ところで、フェンタニルが流行しているのはアメリカやカナダがメインで、欧州では一定数の依存症患者がいるぐらいだ。日本をはじめアジアでは、なぜはやらないのか?
なおアメリカ国内でも、フェンタニル利用が多い地域は北東部に偏っている。それ以外の地域では覚醒剤が主流なのだとか。密売組織の仕入れルートや今まで使ってきたドラッグを使い続ける傾向などから、覚醒剤が強い地域ではフェンタニルがはやらない可能性が示唆されている。
厚生労働省医薬局監視指導・麻薬対策課にこの仮説について聞いたところ、そもそもの薬物経験率の違いが影響している可能性が高いという。
厚労省の資料によると、なんらかの違法薬物の生涯経験率は日本が2.4%。ドラッグが蔓延しているイメージがあるタイでも16.4%にとどまり、欧米と比べると格段に低い(アメリカ49・2%、フランス41.1%、イギリス34.7%、ドイツ23.9%)。ドラッグに対する警戒感がまったく違うのだ。
フェンタニルは一度使い始めるとズルズルと依存する。その点でアメリカが特に問題だったのは、パーデュー・ファーマ社が1990年代から「オキシコチン」というオピオイド系薬物を販売しまくったこと。
これもフェンタニル流行の遠因だ。この薬は合法的な鎮痛剤としての販売だったが、依存性が低いと虚偽の広告をした結果、依存症患者が広がってしまった。
米中対立が激化する中で、「新アヘン戦争」という枠組みは腹落ちしやすいが、化学の視点から眺めると、別の姿が映し出される。原料の国際貿易を止めるのは困難で、高校生レベルの知識でも作れてしまう最恐のドラッグ。果たしてこの問題を解決する糸口はあるのだろうか。
取材・文/高口康太 写真/時事通信社
記事提供元:週プレNEWS
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