バスケットボール・渡邊雄太選手のバスケット観を変えたワールドカップ「人生の中で1番楽しかった瞬間だったんじゃないかな」<NumberTV>

「NumberTV」第22回はバスケットボール・渡邊雄太選手が登場
バスケットボール・渡邊雄太選手が、6月19日にLeminoで配信された「NumberTV」の第22回に登場。史上2人目の日本人NBAプレーヤーとして活躍し、現在は男子プロバスケットボールリーグ(Bリーグ)・千葉ジェッツに所属する渡邊選手がNBA挑戦や、活躍の場をBリーグへと移したきっかけなどについて語った。(以下、ネタバレを含みます)
6シーズンにわたって“世界最高峰”NBAで活躍
「NumberTV」はドコモの映像配信サービス・Leminoと、数々のアスリートのドラマを伝えてきたスポーツ総合雑誌「Sports Graphic Number」の共同プロジェクトによって誕生した、トップアスリートの人生にフォーカスを当てるオリジナルドキュメンタリー。数々の苦難を乗り越えてきたプロアスリートたちが、競技人生を変えた「最大の挫折」と「復活」の物語を自身の言葉で語っていく。

「NumberTV」第22回より
渡邊選手は元バスケットボール選手の両親の下、NBAでのプレーを夢に小学生のころから“バスケットボール道”を歩んできた。両親について「今思い返してみると、本当に愛情の塊でした。誰もが実現は不可能だと思っていたような夢を本気にしてくれて、それから毎日その夢をかなえるために一生懸命練習に付き合ってくれたので、本当に感謝しかないですね」と振り返る渡邊選手。
地元・香川の尽誠学園高等学校に進学し、2年生のときにウィンターカップ(全国高等学校バスケットボール選手権大会)準優勝に貢献。当時、史上最年少の16歳で日本代表に選出された渡邊選手は高校卒業後、アメリカ留学を決意。ジョージ・ワシントン大学に進学し、4年次にはキャプテンを務め、ジョージ・ワシントン大学が所属するカンファレンスで「年間最優秀ディフェンス選手賞」に選ばれる。
大学卒業後にはブルックリン・ネッツの一員として、NBAサマーリーグに参加。その後、メンフィス・グリズリーズと2WAY契約を結び、史上2人目の日本人NBAプレーヤーとなった渡邊選手。そこから、トロント・ラプターズ、ブルックリン・ネッツ、フェニックス・サンズ、メンフィス・グリズリーズと、6シーズンにわたりNBAの舞台で活躍した。

バスケットボール・渡邊雄太選手
一方で、日本代表としてはなかなか結果が出ず、辛酸をなめ続けた渡邊選手。2019年ワールドカップでは「史上最強の日本代表」と言われながらも、5連敗という結果に。世界との差を見せつけられた渡邊選手は、「自分たちもちょっと自信があった中で、“日本代表はまだ全然世界には追い付けていない”と痛感させられた」と振り返る。
初めてヨーロッパ勢を下す快挙…自力でパリ五輪出場権を獲得
2021年の東京オリンピックでも予選ラウンド3戦全敗という結果に終わり、2023年のワールドカップでは「パリ五輪出場権を勝ち取ることができなければ代表を引退する」と宣言し、並々ならぬ覚悟を持って臨んだ渡邊選手。
当時について「逃げ場をなくすという状態を作って自分自身に発破を掛けるために言った部分もあったんですけど、その発言でチームメートが本気になってくれて、結果としてチームがまとまった」と話す。2試合目の強豪フィンランド戦で初のヨーロッパ勢を下す快挙を達成。その後、勢いのまま自力でパリ五輪の出場権を獲得した。
「僕のバスケット観を変えてくれた大会だったと思います。もしかしたら人生の中で1番楽しかった瞬間だったんじゃないかな」と語る渡邊選手。
「1番レベルの高いNBAでやるっていうのもバスケットボールの楽しさの1つなんですけど、それ以上にみんなで力を合わせて勝ったりだとか、自分のプレーをコート上でやることだったりとか、そういうことが自分にとっては楽しいバスケットなんだなというのを、このときにあらためて思うことができた。NBAを目指してずっとやっていたので、『プレーするのはNBAじゃないといけない』っていうくらいの感覚を持ってやっていたんですけど、『全然そんなことないんだな』と。『ましてや、この日本の盛り上がりを見たら、日本も選択肢に入れていいんじゃないか』と、この時から思いだしました」と、Bリーグへ活躍の場を移したきっかけを明かした。
【制作・編集:WEBザテレビジョン編集部】

「NumberTV」第22回より

「Sports Graphic Number」2025年6月19日発売:1122号
記事提供元:Lemino ニュース
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