「悔しかった」渡邊雄太が振り返るNBA選手としてのもどかしい日々『NumberTV』第22話

『NumberTV』
NTTドコモの映像配信サービス「Lemino(レミノ)」では、さまざまなジャンルのトップアスリートを招き、彼らの競技人生における「最大の挫折」の真実に迫る『NumberTV』を配信している。その時何を感じ、どう壁を乗り越えたのか。選手本人が当時の写真と向き合いながら、復活までの道のりを明かす本格ドキュメンタリーだ。#22では、史上2人目の日本人NBAプレーヤー・渡邊雄太が「挫折地点」を明かす。
NBAプレーヤーとしてのもどかしい日々
ブルックリン・ネッツの一員としてサマーリーグに挑戦した渡邊雄太。休暇を兼ねて日本に一時帰国した渡邊のもとにエージェントから連絡があり、メンフィス・グリズリーズと2WAY契約を結ぶことになる。2WAY契約とは、若手選手を育てるための特別な契約で、対象選手はNBAと下部チームの両方でプレーできる。
契約の話が来たのは朝の4時頃。6時ごろに起きた母親にメンフィス・グリズリーズとの契約を伝えると、泣いて喜んだという。渡邊は、「あの時は今でも覚えてますね」と、家族で追い求めた夢が叶った瞬間の思い出を語る。
日本人2人目のNBAプレーヤーとなった渡邊。デビュー戦となったフェニックス・サンズとの試合で活躍している写真を見ながらフリースローで2得点を挙げ、2リバウンドを記録した時を振り返り「うれしい反面、もっと成長しなきゃという気持ち」と語る。歴史を作ったことや周囲に恩返しができたことに対する喜びはあったものの、主力選手として活躍できなかったことがもどかしかったという。グリズリーズ2年目、当時ワシントン・ウィザーズに所属していた八村塁との日本人対決に関しても、「悔しかった」と語る。当時ローテーションに入る選手ではなかった渡邊と、チームの中心となって活躍する八村選手。八村選手と対決した3、4分くらいは「何もできなかった」と振り返った。
思うようにいかない日々の中で渡邊の心のよりどころとなったのは、尽誠学園の同級生で親友でもある楠元だった。当時の渡邊は楠元と話す中で、嘘でもいいから自分が一番なんだと自分に思い込ませる「勘違いメンタリティ」など、少しでも自分にとってプラスになることを試していった。そんな渡邊の心の変化を記録していたという楠元は、当時の渡邊の状況を「悔しさの日々」だったと評する。楠元は、出れないけど頑張らなくてはならず、さらにコロナ禍において、努力し続けることができた渡邊を称賛する。
【制作・編集:All About編集部】
記事提供元:Lemino ニュース
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