「4年間を通して苦労した」挫折を原動力に変えた渡邊雄太の大学生時代『NumberTV』第22話

NTTドコモの映像配信サービス「Lemino(レミノ)」では、さまざまなジャンルのトップアスリートを招き、彼らの競技人生における「最大の挫折」の真実に迫る『NumberTV』を配信している。その時何を感じ、どう壁を乗り越えたのか。選手本人が当時の写真と向き合いながら、復活までの道のりを明かす本格ドキュメンタリーだ。#22では、史上2人目の日本人NBAプレーヤー・渡邊雄太が「挫折地点」を明かす。
アメリカ留学を後押ししてくれたNBAプレーヤーの存在
高校卒業後、アメリカへの留学を決意していた渡邊雄太。留学を反対する周囲の声が多く、不安になった渡邊を後押ししてくれたのは、日本人初のNBAプレーヤー・田臥勇太だった。田臥は渡邊の両親に、「息子さんがやろうとしていることは大正解」と説得し、渡邊自身も改めて決意を固めることができたという。
大学バスケの最高峰、NCAAディビジョン1のジョージ・ワシントン大学に進学した渡邊。2年生で主力の座をつかんだものの伸び悩み、3年生の時にはチーム自体が低迷し出す。渡邊にとって「4年間を通して苦労した」という大学時代。しかし、渡邊は4年生の時にはキャプテンとしてチームを支え、大学が所属するカンファレンスでは「年間最優秀ディフェンス選手賞」も受賞、「有意義な4年間だった」と振り返る。渡邊が大学4年で飛躍できた背景には、3年の時に日本代表で味わった挫折が関わっていた。2016年リオ五輪世界最終予選だ。渡邊は、勝てる自信のあった試合だったにもかかわらず、「何もさせてもらえなかった」と、世界との差を初めて実感させられたことを振り返る。しかし、「こういう国を倒してやる」と、この敗北が次の日本代表に向けたモチベーションになった。
NBAドラフトへの指名がなかったものの、大学卒業後、NBAを目指す選手に向けた複数のワークアウトに招待される。ワークアウトで手ごたえを感じたブルックリン・ネッツとは契約には至らず、新人や若手選手向けの実力が試される「サマーリーグ」への挑戦を打診されたのだが……。
【制作・編集:All About編集部】
記事提供元:Lemino ニュース
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