5000円が300万円に!小林一茶「新発見の句」:開運!なんでも鑑定団
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イチオシスト:イチオシ編集部 旬ニュース担当
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6月24日(火)に放送した「開運!なんでも鑑定団」(毎週火曜 夜8時54分)。俳人・小林一茶“新発見の句”が登場し、スタジオがざわつく展開となった。
【動画】俳人・小林一茶の新発見の句! 5000円が300万円に!

依頼人は、ベテラン実演販売士の中島章吾さん。デパートや街頭での販売はもちろん、"ムッシュ中島"の名でテレビの通販番組にも度々出演していた。
約1年半前からは動画配信にも挑戦。自らの審美眼を頼りに仕入れた骨董やブランド品を紹介し、それらをネットオークションに出品。「老後資金2,000万円」を目指す番組「ヤフオジ」を週に2回、配信している。

そんな中島さんが鑑定してほしいお宝は、「小林一茶の書」。
江戸時代後期を代表する俳人・小林一茶、直筆の書。中島さんはこれをネットオークションで見つけ、5,000円で落札したという。
「痩蛙 まけるな 一茶これにあり」「我ときて 遊べや 親のない雀」など、優しさと素直さにあふれ、哀愁を帯びながらも共感できる一茶の句。
1763年、北信濃・柏原の農家に生まれた一茶は、3歳で母を亡くし、継母との折り合いが悪く、15歳で江戸へ奉公に出された。
俳諧と出会ったのは20歳の頃。すでに腹違いの弟が家督を継いでいたため帰る家もなく、俳諧の世界で生きる決意を固め、30歳を前に俳号を「一茶」に改め、東北を皮切りに漂泊の旅に出た。
39歳の時に父が他界。その後は家督を継いだ弟との間で起こった遺産相続争いの解決に10年以上の歳月を要した。
ようやく生まれ故郷に落ち着いたのは50歳の時。52歳の時、24歳下の妻を娶ると4人の子宝に恵まれ、生まれて初めてささやかな幸せを味わう。しかしそれもつかの間、子どもたちはいずれも夭折し、妻も37歳でこの世を去った。
その後、再婚するも3カ月で離婚。さらに中風を患う中、大火で母屋を失い、失意のうちに、暗く冷たい土蔵の中で生き絶えた。享年65。
しかし、彼の十七文字はそのどれもが不思議と明るく、滑稽、風刺、慈愛に満ちており、今もなお多くの人々に愛され続けている。

依頼品の書には、文頭に「東都にかへる人をおくる」とあり、その後に「むくかたや 一足 ツヽに花盛り」という一句が続く。足が向く方に一歩ずつ進むと、目の前に咲き誇る花々が広がっていく…風景の捉え方が心の持ちようと一体となり、素朴で一茶らしい一句だ。
本人評価額は100万円だが、文字のかすれ具合やその筆跡に、スタジオメンバーは疑いの目を向ける。MCの菅井友香は3,000円、今田耕司は300円と予想したが、果たして鑑定額は……?

なんと、驚きの300万円! 思わぬ結果に、今田も「うっそ…」と絶句する!
愛知東邦大学客員教授・増田孝氏によると、これは間違いなく一茶の書で、江戸へ向かう人へのはなむけの句が書かれているという。

「閏正月 15日」と記されていることから、この書はおそらく1822年に書かれたと考えられる。「かへる人をおくる」の部分は非常に伸びやかな筆跡で、一茶の特徴がよく表れているそう。また、「むくかたや」あたりは墨継ぎとかすれのリズムが非常に美しく出ているという。

特に署名部分は、本人でなければ書けないような自然な運筆で記されており、「一茶発句全集」には載っていないことから、「新発見の一茶の発句であると考えられる」と増田氏。
「表具は紙表具で、いかにも粗末な表具なんですけれども、作品が書かれた時の表具はそのまま伝わっていると思います。大切になってください」とコメントした。
予想外の鑑定額に中島さんは「驚きしかない。冗談抜きで、この字のかすれ具合に惹かれたんです。本当ですよ!」と喜びをにじませた。
【動画】俳人・小林一茶の新発見の句! 5000円が300万円に!

依頼人は、ベテラン実演販売士の中島章吾さん。デパートや街頭での販売はもちろん、"ムッシュ中島"の名でテレビの通販番組にも度々出演していた。
約1年半前からは動画配信にも挑戦。自らの審美眼を頼りに仕入れた骨董やブランド品を紹介し、それらをネットオークションに出品。「老後資金2,000万円」を目指す番組「ヤフオジ」を週に2回、配信している。

そんな中島さんが鑑定してほしいお宝は、「小林一茶の書」。
江戸時代後期を代表する俳人・小林一茶、直筆の書。中島さんはこれをネットオークションで見つけ、5,000円で落札したという。
「痩蛙 まけるな 一茶これにあり」「我ときて 遊べや 親のない雀」など、優しさと素直さにあふれ、哀愁を帯びながらも共感できる一茶の句。
1763年、北信濃・柏原の農家に生まれた一茶は、3歳で母を亡くし、継母との折り合いが悪く、15歳で江戸へ奉公に出された。
俳諧と出会ったのは20歳の頃。すでに腹違いの弟が家督を継いでいたため帰る家もなく、俳諧の世界で生きる決意を固め、30歳を前に俳号を「一茶」に改め、東北を皮切りに漂泊の旅に出た。
39歳の時に父が他界。その後は家督を継いだ弟との間で起こった遺産相続争いの解決に10年以上の歳月を要した。
ようやく生まれ故郷に落ち着いたのは50歳の時。52歳の時、24歳下の妻を娶ると4人の子宝に恵まれ、生まれて初めてささやかな幸せを味わう。しかしそれもつかの間、子どもたちはいずれも夭折し、妻も37歳でこの世を去った。
その後、再婚するも3カ月で離婚。さらに中風を患う中、大火で母屋を失い、失意のうちに、暗く冷たい土蔵の中で生き絶えた。享年65。
しかし、彼の十七文字はそのどれもが不思議と明るく、滑稽、風刺、慈愛に満ちており、今もなお多くの人々に愛され続けている。

依頼品の書には、文頭に「東都にかへる人をおくる」とあり、その後に「むくかたや 一足 ツヽに花盛り」という一句が続く。足が向く方に一歩ずつ進むと、目の前に咲き誇る花々が広がっていく…風景の捉え方が心の持ちようと一体となり、素朴で一茶らしい一句だ。
本人評価額は100万円だが、文字のかすれ具合やその筆跡に、スタジオメンバーは疑いの目を向ける。MCの菅井友香は3,000円、今田耕司は300円と予想したが、果たして鑑定額は……?

なんと、驚きの300万円! 思わぬ結果に、今田も「うっそ…」と絶句する!
愛知東邦大学客員教授・増田孝氏によると、これは間違いなく一茶の書で、江戸へ向かう人へのはなむけの句が書かれているという。

「閏正月 15日」と記されていることから、この書はおそらく1822年に書かれたと考えられる。「かへる人をおくる」の部分は非常に伸びやかな筆跡で、一茶の特徴がよく表れているそう。また、「むくかたや」あたりは墨継ぎとかすれのリズムが非常に美しく出ているという。

特に署名部分は、本人でなければ書けないような自然な運筆で記されており、「一茶発句全集」には載っていないことから、「新発見の一茶の発句であると考えられる」と増田氏。
「表具は紙表具で、いかにも粗末な表具なんですけれども、作品が書かれた時の表具はそのまま伝わっていると思います。大切になってください」とコメントした。
予想外の鑑定額に中島さんは「驚きしかない。冗談抜きで、この字のかすれ具合に惹かれたんです。本当ですよ!」と喜びをにじませた。
記事提供元:テレ東プラス
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