岩下志麻、夫・篠田正浩と「映画という魔物をともに追いかけた日々」をふりかえる
去る3月に94歳で亡くなった映画監督の篠田正浩。
1953年に松竹入りし、29歳で監督デビュー。大島渚、吉田喜重とともに〈松竹ヌーベルバーグ〉の一角として注目を集めたのち、1966年に独立。「心中天網島」「少年時代」「スパイ・ゾルゲ」など、日本の古典芸能や歴史に対する探求と、親しみやすい語り口を併せ持った多彩な作品群で、長年にわたって活躍した名匠だ。
1967年には当時松竹の若手スターだった岩下志麻と結婚。独立プロダクション〈表現社〉をともに立ち上げ、自作に主演・助演を含め数多く起用するなど、公私にわたるパートナーシップでもよく知られていた。
今回の訃報を受けて、6月19日発売の映画雑誌『キネマ旬報』7月号では、篠田正浩監督の追悼特集を掲載。そのなかで、岩下志麻が篠田の没後初めてとなる、ロング・インタビューに応え、在りし日の篠田を偲んでいる(取材は映画研究者の志村三代子)。

インタビューで、まず篠田との馴れ初めについて聞かれた岩下。二人は俳優・監督としてそれまでも仕事で顔を合わせていたが、お互いを意識したのは篠田が1964年に監督した「暗殺」の打ち上げの場だった。ナイトクラブでマンボを一緒に踊った際、不意に「私、監督さんと結婚しそうな気がします」と言ってしまった岩下。それに対して篠田は、「清純派の女優があんな不良で男を口説いてると思わなかった」と腹を立て、それが交際のきっかけになったという。よほど波長が合ったのだろう。そもそも篠田が監督デビュー作「乾いた花」に岩下をヒロインとして起用し、それが岩下の初主演作になるなど、二人の関係には、最初から運命的なものを感じざるをえない。
続いて、交際時のエピソードも披露。若手女優と気鋭監督のカップルだけに世間の目を引いたが、本人たちに気おくれはなかったようだ。「帝国ホテルのロビーでお茶を飲んで、話をしていました。もちろん周りに人がいましたけど、堂々と(笑)」。「デートは横浜が好きだったのでよく行きましたね」。
結構前の同棲時代についても語り、岩下が撮影で帰りが遅くなると、篠田が手料理を作って待っていたこともあったそう。記事の中では、篠田の得意メニューも明かしている。

その後、話題は独立時のエピソードから、代表作「心中天網島」での現場のエピソードへ。結婚して夫婦になったとはいえ、あくまで撮影現場ではプロフェッショナル同士だった。
1969年の「心中天網島」は、近松門左衛門の人形浄瑠璃を原作に、粟津潔の美術や武満徹の音楽、黒子を画面に登場させるなど、当時としては先鋭的な試みが印象に残る篠田の代表作。岩下は、主人公の紙屋治兵衛の女房・おさんと愛人の小春の二役を演じた。
治兵衛と小春が墓場でひとつになったあと、心中を果たすクライマックスは名シーンとして知られているが、治兵衛役の中村吉右衛門が撮影時に躊躇してしまい、岩下は「私たちは現場に来ると監督と女優になっちゃって、夫婦という感覚じゃないんだから、遠慮しないでちょうだい」と言って、ラブシーンに入ったという。
篠田と岩下の「普通の夫婦ではない」関係性は、日頃の呼び方にも表れている。「彼、私のことを『岩下志麻』って言うんですよ(笑)。『岩下さん』とかね。最後までそうでしたね」。
また、仕事で多忙を極める岩下に対し、篠田はいっさいの家事を要求せず、「疲れた体で現場に行くのは他の監督さんにも失礼だから、家庭はあくまでも休息の場にしてほしい」と言ったそう。妻であると同時に女優である岩下への深いリスペクトを感じさせるエピソードだ。

2017年に池袋・文芸坐で行なわれた表現社の50周年記念トークショーで、篠田は岩下と一緒に「映画という魔物を追いかけてきた」と語った。インタビューの最後は、この「映画という魔物」をめぐるやりとりだ。
岩下にとって、女優という仕事の醍醐味は自分とは違う人間になれることであり、一つの人生から次の人生に踏み出す、その繰り返しこそが「映画の魔物」だったという。そして、そんな女優である自分が監督である篠田と出会えたことが、本当にありがたいことだったと語る。
「あのトークショーで篠田が『映画という魔物を追いかけてきた』と言ったとき、私、すごく驚いたんです。でも同時に、『ああ、これはすごくいい言葉だな』とも思いました。なるほど、私たち夫婦はこういうふうに出会ったのだと、そう思えたんですね」
篠田への感謝の言葉を述べて、インタビューを締めくくっている岩下。映画監督として、女優として、ともに半世紀以上にわたって同じ時間を生きてきた者の強い思いが感じられる内容となっている。
インタビューではそのほかにも、「はなれ瞽女おりん」「鑓の権三」など代表作の現場でのエピソード、監督引退を宣言して撮られた「スパイ・ゾルゲ」のときの思い出などを語っている。
また、今回の追悼特集では、岩下のインタビューのほかに、1970年代に『キネマ旬報』誌で行われた篠田正浩と寺山修司の歴史的な対談を再録(「君は映像の可能性を信じているのか?」)。篠田の追悼のみならず、時代の証言としても、非常に貴重な記録だ。
篠田正浩監督の追悼特集は、『キネマ旬報』電子版および6月19日発売の『キネマ旬報』7月号で読むことができる。

制作=キネマ旬報社
記事提供元:キネマ旬報WEB
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