10年越しの夢が叶った瞬間。ニュートンとワトソンとゴリ【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】
2000年7月号の科学雑誌『Newton』。これは私にとって、漫画『SLUM DUNK』の赤木剛憲(ゴリ)にとっての「週バス(『週刊バスケットボール』)」のような本。今でも大切に、私の教授室の本棚に保管している。
本コラムでも何度か登場したことがある「コールドスプリングハーバー」。今回は、筆者の高校時代までさかのぼり、コールドスプリングハーバーを知るきっかけとなった雑誌や、高校生でも知っている、あの有名なノーベル賞科学者について語る。
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■「コールドスプリングハーバー?」コールドスプリングハーバーという研究所(と、そこで開催される研究集会)が、私の研究キャリアの中でとても重要なウエイトを占めているということは、この連載コラムでも何度か紹介したことがある(52話、62話など)。
今回のコラムでは、コールドスプリングハーバーにまつわる私の昔話を紹介してみようと思う。
――時は2000年、私の高校時代に遡る。
当時の私は、下校のついでに近所の本屋に足を運び、雑誌の立ち読みをするのを習慣としていた。大抵はジャンプやサンデー、マガジンのような週刊漫画雑誌を立ち読みしておしまいだったのだが、月に一度だけ、別の楽しみがあった。
それは、月刊の科学雑誌『Newton』を立ち読みすることであった。科学全般を取り扱う雑誌なので、当時の私が興味を持っていた、生命科学・バイオテクノロジーを毎号必ず扱っているわけではなかった。
宇宙や物理、数学のような、私が興味ない特集の号は手に取らなかったが、生命科学に関する特集の際には、1ページ1ページ丁寧に立ち読みし、気に入った号は買って家で熟読していたことを覚えている。
そんな中、ある号で、「すべてはDNAから始まる 神の設計図」という特集があった。表紙には「ワトソン博士 生命を語る」とある。生物の授業で習った記憶が、高校3年生当時の私の頭の中にあった。
――「DNA」で「ワトソン」と言えば、これとはきっと、ジェームス・ワトソン(James Watson)のこと。フランシス・クリック(Francis Crick)と一緒に、DNAが2重らせん構造をしていることを発見し、1962年にノーベル生理学・医学賞を受賞した人物である。
教科書で習ったことがある、私の興味にドンピシャな生物学の偉人が特集されている! その事実に俄然興味が湧いた私は、それをすぐに手に取り、立ち読みを始めた。
特集記事を読み進めていくと、ワトソン博士はそのとき、アメリカのニューヨーク州にある「コールドスプリングハーバー研究所」というところの会長を務めているということだった。
――「コールドスプリングハーバー」?? どんな研究所かは知らないが、授業で習った、私の興味にドンピシャなジャンルのノーベル賞受賞者が存命で、そこにいる。いつか行ってみたい!
......というのが、当時18歳だった私の、「コールドスプリングハーバー」との出会いである。ちなみにこの号は、その後すぐに購入し、折々に読み返している。この本は今でも大切にしていて、山形の実家から取り寄せ、私の教授室の本棚に保管している。
■山形から仙台、京都、そして山形の高校生だった私が、東北大学農学部に進学したこと、そして大学卒業後には、エイズウイルスの研究に従事するために、京都大学の大学院に進学したことについては、過去の連載コラムで紹介したことがある(7話、63話など)。
京都大学の研究室に進学してすぐの春のこと。23歳になったばかりの私の指導を担当してくれることになった先輩の大学院生が、ある冊子を片手に、こんな話を始めた。
「なあ佐藤。俺は5月に、この学会に行くんだ」
それは、A5よりもひと回り小さい、分厚い冊子だった。表紙には「Cold Spring Harbor Laboratory Retroviruses」とある。
「『コールドスプリングハーバー』の学会に行ってくるんだ」
――!?
長らく記憶の彼方にあった、「コールドスプリングハーバー」という響き。なんと、コールドスプリングハーバー研究所では、毎年5月に、エイズウイルスを含めた「レトロウイルス(Retrovirus)」というウイルスの研究集会が開かれるという。そしてそこには、世界のトップレベルの研究者が集まるというではないか。
高校生の頃に描いた憧憬がよみがえる。つまり、実験を頑張って成果を出せば、高校生の頃に夢見た、コールドスプリングハーバー研究所に行ける、ということ? そしてそこには、かの有名なワトソン博士がいる、ということ??
これが、京都で新生活を始めた私の原動力のひとつになっていたことは言うまでもない。
念願叶って初めて参加したのは、26歳、博士課程2年生のとき(2008年)のこと。右も左もわからぬ中、また英語もままならぬ中、興奮しながらいろいろなことに体当たりしたのを覚えている(53話)。
――そんな中で、ほかの参加者から、こんな噂を耳にした。
「全仏オープンを見に、ワトソンがふらっと研究所のバーに顔を出すことがあるらしい」
コールドスプリングハーバーでは、いろいろなトピックの研究集会が通年開催されている。「レトロウイルス」の集会は毎年5月下旬で、ちょうどテニスの全仏オープンの時期に重なっていたのである。
......こ、これはもしかして、夢にまで見たワトソン博士に会うことができる......?
そんな田舎の高校生の淡い夢が叶ったのは2010年、私が28歳のときのこと。「バーにワトソンがいるらしい」という噂を聞きつけた私は、バーに直行した。そこには人だかりができていた。ワトソン博士を一目見ようと、たくさんの研究者が集まっていたのだ。私もその例に漏れず、野次馬のように集まり、列に並び、握手をして写真を撮ってもらった。
幸運は重なるもので、翌2011年。このときには、研究所の中をふらふら歩いているところでたまたまワトソン博士と遭遇した。
昨年会ったことはもちろん覚えていなかったが、私が日本から来たということを知ると、同年3月に起こった東日本大地震のことを知っていたワトソン博士は、「震災はその後大丈夫か? 日本は強い国だから、きっと大丈夫だろうとは思うが」というやさしい言葉をかけてくれた。
ワトソン博士と。2010年(上)と2011年(下)に会うことができた。ちなみに、2011年の写真に一緒に写っているのは、G2P-Japanのコアメンバーである熊本大学のI。
高校時代に描いていた淡い夢が、10年の時を経て、コールドスプリングハーバー研究所で叶ったことになる。53話でも紹介しているが、このコールドスプリングハーバーの研究集会には毎年参加するようになり、私のキャリアの根幹となるような場所となった。
漫画『SLUM DUNK』のワンシーンに、キャプテンである赤木剛憲(ゴリ)が大切にしている「週バス(『週刊バスケットボール』)」という(架空の)雑誌が登場するシーンがある。
高校バスケットボール界の王者たる山王工業を特集した号で、「コレがオレの原点であり...最終目標なのだ...」という自身の発言を、同級生に揶揄(やゆ)されるシーンである。
私にとっての『Newton』2000年7月号は、言うなればゴリにとっての「週バス」のような本なのかもしれないなあ、などと思いながら、たまに教授室で手に取ったりしている。
最後に、ちょっとモヤっとする筆者脚注:度重なる問題発言のせいで、2025年現在、97歳のワトソン博士は、学術界から距離を置かれている。2007年には、ある失言によって、コールドスプリングハーバー研究所の会長職を解かれていたことを後で知った。
つまり、2010年に私が会ったとき、実は彼は、すでに会長職にはなかったことになる。
文・写真/佐藤 佳
記事提供元:週プレNEWS
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