【江夏豊×田淵幸一×掛布雅之】虎のレジェンドたちが語る「最後の日」と「藤川・阪神」
50年の時を超え、虎のレジェンドが集結。江夏豊、田淵幸一、掛布雅之――かつて甲子園を沸かせた3人が久しぶりに顔をそろえ、知られざる名シーンの舞台裏、タイガースファンの厳しさ、そして今年から阪神の指揮を執る藤川球児監督への思いを語り尽くした。
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■阪神のユニフォームを着て戦った最後の日江夏 おお、久しぶりだな。こうやって3人で集まるの、何年ぶりやろうな。
田淵 豊(江夏)、今日は甲子園までよく来てくれたよ。
江夏 甲子園は故郷やから。
掛布 今日の始球式、僕がバッターボックスに立ちますんで、よろしくお願いします。
江夏 マウンドで投げるマネをすればいいんだよな。
田淵 ダメだよ、投げられるだろう、1球だけなら。
掛布 いやいや、今日の江夏さんはエア始球式で、ボールを持たずに左腕を振っていただければいいんです。
田淵 そうか(笑)。オレが最初からボールを持ってて豊が投げたボールを捕ったように演じるんだったな。
江夏 よっしゃ、わかった。
江夏豊 1966年にドラフト1位で阪神に入団し、84年に引退するまで南海、広島、日本ハム、西武でプレー。最多勝、沢村賞など数々のタイトルを獲得し、「優勝請負人」の異名を取った。また、オールスターでの9連続奪三振や日本シリーズの「江夏の21球」など、多くの伝説を残した名投手
――このお三方が阪神のユニフォームを着て甲子園で公式戦に出た最後の日のことは覚えていらっしゃいますか?
江夏 いつやったかいな。
掛布 最後の日かぁ......僕は江夏さんがトレードで南海(現ソフトバンク)へ移籍するまで3人一緒にプレーしていた記憶はあるけど。
田淵 豊の阪神の最後は昭和50(1975)年だろ。オレがホームラン王を獲(と)った年。
掛布 ということは僕のプロ2年目だから、ああ、広島が初優勝したシーズンですね。
――昭和50年10月10日、甲子園の阪神対巨人。長嶋茂雄監督の1年目で巨人は最下位、阪神は広島と優勝を争っていました。先発が江夏さんで4番にキャッチャーの田淵さん、サードの掛布さんが8番でした。試合は2-4で阪神が負けています。
掛布 そうか......最後、大事なところで巨人に甲子園で3連敗して広島に優勝を持っていかれたんでしたね。
江夏 ちょうど今年で50年になるんだね。
田淵 あれが3人最後の試合になるなんて、そのときは誰も思ってなかったからな。まさかオフに豊がトレードされるなんて想像しないもん。
江夏 年が明けて球団事務所へ行ったら、突然のトレード通告や。出せるもんなら出してみろと思ったけど、ノムさん(野村克也、当時南海監督)に説得されてな。
掛布 僕にとっては江夏さんも田淵さんも雲の上の方ですし、おふたりにはすごくかわいがっていただきました。江夏さんにはよく食事に連れていっていただき、夜の世界のこともちょっとだけ教えていただきました(笑)。
江夏 そうやったか(苦笑)。カケ(掛布)には阪神を出るとき、プロの世界の厳しさと、良くも悪くも阪神の伝統というものをしっかり見ておけよと伝えたんじゃなかったかな。

掛布雅之 1973年にドラフト6位で阪神に入団。本塁打王3回、打点王1回、ベストナイン7回など、阪神の4番として活躍。通算349本塁打を放ち、「ミスタータイガース」と称された。卓越したバッティング技術と勝負強さでファンを魅了し、85年には球団初となる日本一に貢献。88年に現役引退
■年上にも容赦なし。江夏豊の教え
掛布 江夏さんに続いて3年後に田淵さんまで阪神からいなくなるなんて思いもしませんでした。おふたりは僕にとって、野球界の大恩人です。
田淵 オレにとっての豊はプロで一人前のキャッチャーとして育ててくれた恩人だな。
江夏 ブチ(田淵)はふたつ上だけど、プロ入りは自分のほうが2年早かった。ブチが阪神へ入団したとき、オレに「よろしくお願いします」と丁寧に挨拶してくれたから「豊でええよ、オレもブチと呼ぶから」って。
田淵 オレはもともとキャッチャーじゃなかったからさ。高校入学時は外野手で、誰もいないからってバッティングキャッチャーをやったのよ。キャッチャーをやろうと思ったのはそのときから。ノムさんみたいにずっとキャッチャーひと筋だったわけじゃない。オレは村山(実)さんと豊に育てられたんだよ。
江夏 ん? ブチに何か教えたか?(笑)
田淵 豊にサインはふたつしかなかっただろ。
掛布 ふたつっていうのは、真っすぐとカーブですか。
田淵 ほかに何があるの(笑)。豊は指が短いからボールを挟めないし、カーブも大して曲がらない(笑)。王(貞治、当時巨人)さんがバッターのとき、真っすぐのサインを出したのよ。そうしたら豊、首を振ったの。でも次も真っすぐのサインを出したら、また首を振る。あのときの豊、結局、7回も首を振ったんだからな。
江夏 ああ、覚えてるよ。
田淵幸一 1968年にドラフト1位で阪神に入団。強肩強打の捕手として1年目からレギュラーに定着。22本塁打を放ち、捕手として初の新人王を受賞。75年に王貞治の14年連続本塁打王を阻止する43本塁打を打ち、初タイトルを獲得した。その後、西武でも活躍し、黄金期の礎を築いた
田淵 その回が終わってベンチに戻ったとき、「おい、豊よ、なぜ7回も首を振るんだ」って聞いたら、「王さんが『行くぞ』と気合いが入ってるときは、その気合いをそがなきゃダメなんだ」って。
掛布 なるほど、つまり間を外すんですね。
江夏 7回も振ったか?
田淵 そこはオレが話を盛った(笑)。でも、豊のベースの幅をいっぱいまで使ったコーナーのギリギリを突く出し入れはすごかったな。
江夏 右バッターに対しては膝元へ投げるクロスファイヤーと外いっぱいのアウトローは生命線やったから。
田淵 プロ1年目のキャンプで豊の球を受けたんだけど、1日500球は投げたよな。あんなに立ったり座ったりしたのは初めてだったよ。
江夏 ブチは捕球するときにミットが流れるから、ボールと判定されてしまう。しっかり捕れ、ミットを動かすな、と。
田淵 あのときはオレ、まだ手首が弱かったからね。ミットが1㎜動いたらストライクがボールになるんやって......そうやって年上のオレにも平気でなんでも言ってくれるから、こっちも豊に育ててもらったと思えるんだよな。
■今の阪神ファンは優しすぎる(笑)――江夏さん、最近の阪神はどんなふうにご覧になっていますか?
江夏 岡田(彰布[あきのぶ]、前監督)のときとメンバーはほぼ同じで、特に野球が変わったという印象はない。ただこの先、例えば負けが続いたときにどうチームを動かしていくのか。苦労したときに、指揮官としての本当の姿が出てくるんじゃないかな。
今季から阪神の指揮を執る藤川球児監督。現役時代は「火の玉ストレート」を武器に日米通算245セーブを挙げた
――田淵さんはどうですか?
田淵 今の阪神ファンは優しすぎる(笑)。昔はエラいヤジが飛んでたよ。打てなきゃ「田淵が打てへんから負けたんや」とか。
江夏 甲子園のヤジは独特やった。
掛布 昔の甲子園ってファンの方が厳しかったですよね。
田淵 忘れられないよ。
掛布 昔は今ほどお客さんが入りませんでしたから、ヤジの声がよく通ったんですよ。
田淵 ダミ声で「江夏ーっ、どこ投げとんねん」って。
掛布 今は甲子園のファンの間でルールがあって、昔のようなキツいヤジを飛ばすとほかの方が止めるらしいですよ。
田淵 おっ、そろそろ時間だ。
掛布 江夏さん、僕がマウンドまで車椅子を押しますよ。
江夏 よっしゃ、行こうか。プレーボールや!
構成/石田雄太 写真/阪神タイガース 産経新聞社
記事提供元:週プレNEWS
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