今月でデビュー30周年 UR生まれの電車「C-Flyer」の魅力やこだわりをお届けします(千葉県印西市など)【コラム】

前コラム「成田空港への鉄道アクセス輸送力強化、国レベルで検討」の取材後、筆者は成田空港からスカイアクセス経由で北総鉄道新鎌ヶ谷に向かいました。
目的は1995年4月のデビューから30周年を迎えた、千葉ニュータウン(NT)鉄道9100形を取材するため。通過する空港特急「京成スカイライナー」に続き、折り返し始発の印旛日本医大行きが入線してきました。
「千葉NT鉄道9100形?」、多くの方がピンとこないかもしれません。愛称名「C-Flyer」。本サイトでも2025年2月、鉄道ビッグ4のお一人、ダーリンハニー吉川正洋さんが好きな車両として、その名を挙げました。
【参考】大好きな「C-Flyer」も登場!吉川さんが初めて降りる駅も……「新・鉄道ひとり旅」244回目の舞台は東京・千葉を結ぶ「北総鉄道」
https://tetsudo-ch.com/12997090.html
本コラムは、〝満30歳〟を迎えたC-Flyerをご紹介。車両を送り出した、現在のUR都市機構(都市再生機構)の前身に当たる、住宅・都市整備公団(住都公団)の鉄道部門の歴史にも迫ります。
3次元曲面、おへそライト……
鉄道ファンなら思わず二度見したくなる……かもしれません。そんな存在感を放つのがC-Flyer。所属は千葉NT鉄道ながら実質、北総の車両としてスカイアクセスのほか都営浅草線などを経由して東京都心や京急羽田空港第1・第2ターミナルにも顔を出します。
車体断面は直線状でなく、やや丸みをおびた卵形の台形。先頭部は3次元曲面を描きます。ヘッドライトは運転席窓下の〝おへそタイプ〟。一部ドアは青色または黄色で、ステンレス無地の外装にアクセントを加えます。
千葉ニュータウンの快速ランナー
取材に当たり、北総鉄道と日本地下鉄協会のご好意でC-Flyerのパンフレットなどを拝見。ポイントをまとめました。
C-Flyerは8両1編成。1995年4月に2編成が登場、2000年に1編成が増備されました。現在も3編成・24両のラインナップ。2次車は客室や乗員室の仕様を一部変更しましたが、基本は変わりません。
車体長18メートル。特徴の一つ、クロスシートは中間車6両の一端にありますが、車両によってボックスタイプと一方向を向いたタイプ(固定式で方向転換できず)の2種類あります。「長時間乗車を快適に」が目的。「通勤車のクロスシート」は、JRや私鉄に採用例が散見されます。


愛称名・C-Flyerの「C」は千葉ニュータウン、Comfortable(快適)、Culture(文化)などの頭文字。「Flyer」はFly(飛ぶ)から快速列車などを連想させます。メーカーは日本車輌製造(日車)です。
住都公団は、なぜこんな車両を採用したのか。当時の資料が残されていないので想像の範囲ですが、「車両を動く広告塔に見立て、知名度が必ずしも高くなかった千葉ニュータウンをPRしようとしたのでは」と北総関係者は推測します。
クロスシートで長時間乗車を快適に
走行性能は一足早く、1991年に登場した京成3700形とほぼ同じ。外装はステンレス無地で、車体すそにブルーのライン。運転室周りの黒が、車体の印象を引き締めます。

客室ドアは、1両3ドアのうち1ヵ所だけブルーまたは黄色にカラーリング。カラードア部分には、優先席または車いすスペースが用意され、ドアが目印になります。

時代を感じさせるのが当初、車内に設置された公衆電話。しばらくは車内から自宅や会社への連絡に重宝されましたが、やがて携帯電話が普及して役割を完了。現在は撤去されています。
パンタグラフが導入時のひし形からシングルアームに変更されるなど、一部機器は更新されたものの、現在も基本はデビュー時のままです。
北総の営業陣営もC-Flyer人気を意識しており、30周年記念として3編成横並びの撮影会を企画。ペンケース、貯金箱といったグッズ類も製作しました。

北総と北千葉線の2系統
ここから住都公団の鉄道事業。1966年に基本方針が決定、翌1967年からの用地買収でスタートした千葉ニュータウン開発をけん引したのが、千葉県と住都公団です。
先行する多摩ニュータウンにならい(小田急と京王)、鉄道は2系統が必要とされ、北総鉄道(当時は北総開発鉄道)と千葉県営鉄道北千葉線が役割を分け合うことになりました。
北総は京成高砂で京成、北千葉線は本八幡で都営地下鉄に接続するルートでしたが、オイルショック後の景気低迷でトーンダウン。先行する北総に千葉県が資本参加する形で、北総と北千葉線を一本化。早期開業をめざすことになりました。
千葉県営鉄道から住都公団へ
千葉県営鉄道は、免許を取得済みだった本八幡~新鎌ヶ谷~印旛松虫(現・印旛日本医大)を住都公団に譲渡。こうして住宅事業者が鉄道も走らせる、ニュータウン開発がスタートしました。
住都公団は施設と⾞両を保有します(2000形と9100形。2000形は9000形に形式変更され、2017年までに廃車)。しかし、実際は北総が第二種、住都公団が第三種の鉄道事業者。1984年3月に小室~千葉ニュータウン中央間が開業した住都公団千葉NT線、1995年4月に印西牧の原まで、2000年7月に印旛日本医大までと2回の延伸をへて現在まで、北総が列車運行します。
21世紀に入ると、住都公団の鉄道部門は千葉ニュータウン入居が思うように進まなかったことから、厳しい経営環境に置かれます。
2004年には、京成が出資して設立された千葉NT鉄道に事業譲渡。こうして住都公団鉄道は、歴史に幕を降ろしました。
2010年7月には成田スカイアクセスが開業して、京成スカイライナーが京成上野~日暮里~空港第2ビル~成田空港を最高時速160キロで運転。千葉NT鉄道も、空港アクセスの一部として重要な役割を果たすことになったのは、前コラムで報告した通りです。
【参考】成田空港への鉄道アクセス輸送力強化、国レベルで検討(千葉県成田市)【コラム】
https://tetsudo-ch.com/12999565.html
印西牧の原駅も開業30周年
ラストにもう一題。C-Flyerとともに、2025年4月1日に開業30周年を迎えたのが印西牧の原駅です。
計画時、仮称の駅名は印西草深(そうふけ)。しかし、「草深い田舎を連想させる」と評判は今ひとつで、草原をイメージさせる印西牧の原の名で開業し現在にいたります。
記事:上里夏生
記事提供元:鉄道チャンネル
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