桜満開の宮崎で初V プロ15年目・工藤遥加が偉大な父、仲間たちに感謝「一人では勝てなかった。五分咲きってことで」
<アクサレディス 最終日◇30日◇UMKカントリークラブ(宮崎県)◇6538ヤード・パー72>
ティオフからこわばっていた工藤遥加の表情が、18番グリーンで初めて緩んだ。2メートルのバーディパットを沈めてトータル10アンダー。ゴルフを本格的に始めてわずか3年で合格した2011年の最終プロテストから15年、同年8月1日のJLPGA(日本女子プロゴルフ協会)入会から4991日でつかんだツアー史上2番目に遅い初優勝には、派手なガッツポーズよりも安どの笑みが似合っていた。
「本当に長かった。不甲斐ない娘で、父には申し訳ないとずっと思っていました。私、あまり上手くないし、実力以上に注目されて、ゴルフをやめたいと思ったこともありました。めちゃプレッシャーでした」
父はプロ野球の西武ライオンズや福岡ダイエーホークスなどで活躍した224勝左腕の工藤公康氏。「雲の上の人」と語る偉大な父を持つ娘は、日々重圧と闘ってきた。ストイックに野球に打ち込んできた父は、競技は違えど同じプロとなった娘に厳しく接した。すべては愛情の裏返し。親交のある歌手、ASKAの楽曲「夢はるか」にちなんで『遥加』と名付けた長女の夢をかなえてあげるためだった。
2021年、指揮官として5度の日本一に導いたソフトバンクホークスの監督を退任した後、妻・雅子さんに「これから何がしたい」と尋ねられた父は「遥加を勝たせてあげたい」と紙に書いた。今大会に向けて横浜市内の自宅を出るとき、母は思い出したようにその紙を取り出して、励ましてくれた。
「前にも見たことがあるけど、また見せてくれて…。親の愛って素晴らしいなぁ、よし頑張ろう! と思った」
QTランク51位で出場資格がなかったが、開幕4日前の24日に主催者推薦で急きょ出場が決まった。18歳でプロとなり、巡ってきたチャンスを生かして、32歳で初めて勝った。30代の日本勢Vは2023年「大王製紙エリエールレディス」の青木瀬令奈以来。同い年で、プロテスト合格も同期の青木と18番グリーン脇で抱き合った工藤は、感慨深く振り返った。
「以前はいっぱい勝っていたけど、だんだんと同学年の選手(の優勝)も減ってきて、自分はこのまま勝てないまま終わるのかなと思っていた。でも、頑張っている人が勝つ。年齢とかではないですね」
新しい出会いが気持ちを奮い立たせてくれた。「カッコいいから」とファンになった女子ソフトボールの二刀流選手で、東京五輪金メダリストの藤田倭にインスタグラムで2022年暮れにメッセージを送り、食事が実現。意気投合し「練習に来てみたら」と誘われ、23年2月に藤田が所属するビックカメラ高崎の沖縄合宿に参加した。
「藤田さんには『失敗するのはカッコ悪くない。チャレンジしないのがカッコ悪い』と言われ、そこからトライしようと思えるようになった。自分の近くには父がいるけど、同じ女性の選手たちを見て、ここまでやらないとダメなんだと思った。そこからです。自分が本当の意味でアスリートになったのは。ソフトのみなさんが自分を変えてくれました」
合宿からわずか3カ月後、下部ツアーで初優勝。そして今回、ボギーなしで最終日を走り抜け、見事にツアー初優勝を飾った。意識改革の効果はてきめんだった。
「自分一人では勝てなかった。父には『ありがとう』と言いたいし、藤田さんやビックカメラ高崎のみなさんには感謝しかありません。きょうだけは喜んで、あすから次の試合に向けて頑張ります」
プロデビューから267試合目。桜が満開となったコースで、工藤は笑った。「私は五分咲きってことで」。遅咲きの32歳のゴルフ人生は、これから見ごろを迎える。(文・臼杵孝志)
<ゴルフ情報ALBA Net>
記事提供元:ゴルフ情報ALBA Net
※記事内容は執筆時点のものです。最新の内容をご確認ください。