【特別寄稿】「セプテンバー5」―かつてピーター・ジェニングスというキャスターがいた!
テレビ報道に長年携わってきたジャーナリストが伝える、本作で描かれた報道戦争の教訓、そして今の時代に求められる報道の姿勢とは――。
報道陣が主人公の社会派ドラマ
他人事ではない。なぜならば、僕が長年関わってきたのがテレビ報道という仕事だからだ。実際この映画「セプテンバー5」には僕自身の既視体験のようなシーンが多々ある。テレビ局のサブ(副調整室)で、現在進行形の出来事を生中継で報じ続けた経験が脳裏にいくつも蘇ってくるのだ。
この映画は1972年、当時の西ドイツ(何とベルリンの壁崩壊前の出来事なのだ)、ミュンヘン・オリンピック開催中に選手村で起きたパレスチナ武装組織「黒い九月」による襲撃事件についてのストーリー、というよりはその事件を、生中継を交えて報じ続けたアメリカのテレビ局ABCの五輪中継チームがいかに極限的な状況のなかでそれを成し遂げたかについてのストーリーなのである。いわば報道陣が主人公になっているのだ。
そこで、まずとても重要なことを確認しておかなければならないのだが、「起きた事実」と「報道された事実」は同一ではない。事件が何であったかについての考察は、映画という手段だけでなく、より多面的なアプローチが存在している。そしてそれらの考察は、今現在、中東の地で起きている過酷な現実ともつながっている。そのことを踏まえたうえで、僕が言えることを書こうと思う。
当時の米ABC報道局の位置
僕は映画評論家ではないし、その分野のプロでもない。ジャーナリズムの世界の端くれとしてまだ取材を続けている記者のひとりにすぎない。だから映画「セプテンバー5」について映画作品としての評価などを堂々と語れる立場にはない。だが、この映画の背景事情について観客の皆さんと多少とも共有したいと思われることは多々ある。以下、それらを記す。
それは、当時の米ABCというテレビ局がどのような位置にあったのか、なかでもこの映画に登場してきているABC報道局の記者ピーター・ジェニングスという、のちにABCの看板キャスター、というよりは全米を代表する優れたアンカーとなった人物がどのような業績と評価を得たのかについては知っていたほうがいいと思われるからだ。
僕は日本の民放テレビ局の特派員として、2002年から3年間、ワシントンD.C.で、そして2008年から2年あまりニューヨークで特派員として仕事をしていたことがある。ワシントンD.C.から東京に帰任した直後の2005年8月にピーター・ジェニングスの訃報に接した。肺がんだった。まだ67歳だった。
ワシントンD.C.で仕事をしていた当時は、アメリカの3大ネットワーク(ABC、CBS、NBC)の夕方のニュースは、ニュース報道の「主戦場」となっていて、激しい競争が繰り広げられていた。僕が勤めていた日本の民放局TBSは米CBSとの提携関係にあって僕は常時CBSを見ていた。そのCBSイブニングニュースは、キャスターのダン・ラザーが局の顔として攻撃的な報道を繰り広げていた。またNBCもトム・ブロコウというアメリカの国益を前面に掲げるタイプのキャスターが活躍していた。3人は「ビッグ3」と言われた。
その中でABCのピーター・ジェニングスはといえば、アメリカには珍しく、どこか含羞のような、つまり傲慢さを嫌うような慎ましさという面がどこかにあるキャスターだったというのが僕の印象だった。彼は他の2人(ダン・ラザーやトム・ブロコウ)とは違って海外特派員の経験が長かった。とりわけ中東アラブ世界で初の米テレビ局の支局をレバノンのベイルートに開設したことで知られていた。つまり、アラブ世界でアメリカがどのようにみられているかを、肌身をもって知っている人物だった。
思い出される9・11事件以後の報道
僕がワシントンD.C.に赴任したのは、あの9・11=世界同時多発テロ事件が起きた直後のアメリカだった。時の大統領はジョージ・W・ブッシュ。アメリカ全土が熱狂的な愛国心に染まっていた時期だった。
3大ネットに加えてケーブル・ニュースのCNN、FOXニュースなども9・11後に多くの視聴者を再獲得していた時期で、テレビ画面の右上に星条旗のロゴがはためいていた局もあった。さらに看板キャスターたちは、ジャケットの襟に星条旗のバッジをつけながらニュースを伝えていた時期だった。
当時ブッシュ大統領の支持率は90%を超え、アメリカは9・11への報復戦争として、対アフガニスタン戦争でタリバン政権を崩壊させ、対イラク戦争でサダム・フセイン政権を倒した。後年になってイラクには戦争の動機とされていた大量破壊兵器など存在していなかったことが判明したが、あとの祭り。あのアメリカの復讐心を止める勢力は当時、地球上には実質的にどこにも存在しなかった。
そのなかでABCのピーター・ジェニングスは、襟に星条旗のバッジをつけることを拒否し「愛国心が足りない」などと右派市民から批判された。その批判は熾烈なもので、もともとカナダ生まれでカナダ国籍だったピーター・ジェニングスに対して「奴はカナダ人だから」という中傷が殺到した。
後年、彼はアメリカ国籍を取得してカナダとの二重国籍者となった。きっかけは同時多発テロ事件翌年のABCの9・11特番で、超愛国派のカントリー歌手トビー・キースの〈怒れるアメリカ人〉という曲を番組のオープニングに使うことをピーター・ジェニングスが拒否したことから、彼への「カナダ人」批判が殺到したことにあった。報復感情に沸き立つアメリカ国民に対して、彼の態度は、頭を冷やせ、冷静になれ、と静かに呼びかけているように僕には思えた。
ミュンヘン五輪の事件現場に居合わせた「天の配材4 」
なぜ、彼はそのようなスタンスをとり続けることができたのか。そこにこの映画の背景となる出来事が深く関係している。ミュンヘン・オリンピックのあの事件の現場に居合わせ、リアルタイムで事件を刻一刻と正確に報じ続けたときの経験が決定的だったのだ。
中東取材のプロと言っても過言ではないピーター・ジェニングスが、あの「黒い九月」による襲撃事件の現場に居合わせたという「天の配材4 」。彼は「黒い九月」という武装組織の来歴(ヨルダン国王がPLO=パレスチナ解放機構の追放を決めヨルダン内戦が起き多数の死傷者が出たのが19710年の9月だったことにちなんで、命名された)についても熟知していたし、彼がミュンヘンからの放送中に「テロリスト」という言葉を使わずに、「コマンド」「ゲリラ」という語を使っていたことについても、後日批判がアメリカ国内であがった事実がある。パレスチナとイスラエルの長い紛争の歴史を熟知していればこその報道というものがあるのだ。
ピーター・ジェニングスにはミュンヘンからの報道で、それを一定程度成し遂げた思いがあったのではないか。ABCの看板キャスターになってからも、彼は国際報道の分野にテーマを求め、1990年4月には『キリング・フィールドから』という特番で米政権のカンボジアのクメール・ルージュ支援を批判、さらには1995年7月には『広島の原子力爆弾』を戦後50周年特番として放送し、保守派からの激しい批判を浴びた経緯があった。
この映画「セプテンバー5」を注意深く見ていると、ABCのオリンピック中継チームが、ピーター・ジェニングスに敬意をもって接していることがみてとれる。また彼も中継チームとの間に信頼関係があって、それに応えようとしていたことも読み取れる。だからこそABCはこの報道において「圧勝」したのだろう。
だが冷静に頭を冷やして考えてみようではないか。ニュース戦争において他局に「圧勝」したから何だというのだ。この文書のはじめの方で記したように、「起きた事実」と「報道された事実」は同一ではない。「起きた事実」を冷徹に受け止めること。それこそが枢要なのではないのか。
映画の中で、興奮しているABCスポーツ中継チームが、アメリカのABC報道局中枢から「われわれに仕切らせろ」との要求があったときに「これは俺たちのストーリーだぞ」と本音をぶちまけるシーンが実に印象的だ。戦争やテロ事件をまるでスポーツ中継のように「迅速に」 「わかりやすく」 「SNSの拡散力を発揮して」報じることは、かつてあったし、今現在もあるし(とりわけSNSの地殻変動的な台頭が見えてきた今)、これからもあるかもしれない。ただ、僕自身は、ピーター・ジェニングスが身につけていた「含羞」がこれからの時代にはますます必要なものだと思っている人間だ。映画以外のことを書きすぎたかな。
文=金平茂紀 制作=キネマ旬報社(「キネマ旬報」2025年2月号より転載)
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「セプテンバー5」
2月14日(金)より TOHOシネマズ日比谷ほか 全国にて公開
2024年/ドイツ、アメリカ/95分
監督・脚本:ティム・フェールバウム
出演:ピーター・サースガード、ジョン・マガロ、レオニー・ベネシュ、ベン・チャップリン
配給:東和ピクチャーズ
©2024 Paramount Pictures. All Rights Reserved.
公式HP:https://september5movie.jp/
記事提供元:キネマ旬報WEB
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