【サッカー日本代表 板倉 滉の「やるよ、俺は!」】第31回 名門クラブからの電撃オファー。 その時、板倉は......。
ブンデスリーガ第17節・ヴォルフスブルク戦の板倉 滉
19年、名門マンチェスター・シティからのオファーで、一躍時の人となった板倉。当時、定位置を確保していたベガルタ仙台との究極の2択で、どのように決断したのか。海外初挑戦のウラ側を余すところなく激白!
■マンCからのオファーはドッキリかと思った現在、僕はドイツのボルシアMGで、世界各国から集まったチームメイトと共にブンデスリーガの上位を目指して戦っているわけだが、海外に挑戦したのは最良の選択だったと、あらためて思う。
海外挑戦を発表したのは、19年1月のことだった。プレミアリーグの強豪、マンチェスター・シティ(以下、シティ)から声がかかったのだ。最初に代理人を通じて、シティから声がかかったという話を聞いたときは、びっくりした。「ウソだ、ドッキリの企画じゃないの?」と。
もともと、シティは年代別の日本代表で僕のことをチェックしており、トゥーロン国際大会2018には、スカウトが足を運んで観戦してくれたという。さらに、当時レンタルで所属していたベガルタ仙台のホームゲームも見に来てくれた。
トゥーロンでは横内昭展監督代行の下、グループリーグ3試合にすべて先発出場したものの、個人的なパフォーマンスは良いわけじゃなかった。それでも、シティとしてはアジア市場拡大の狙いもあったのだろう。僕を獲得してくれた。
発表された直後はものすごい反響の嵐だった。友達や知り合いからは「滉、すげぇなぁ!」という連絡がひっきりなしに来て、自分のことをチェックしてくれるメディアも圧倒的に増えた。海外の名門に移籍することがどれだけ大きな出来事なのか、実感させられた。
ただ、そのままシティでプレーができたわけではない。シティと代理人が話をしていた時点で、移籍後、すぐほかのクラブへローンで出されることは前提とされていた。
とはいえ、僕もそのことは理解していたし、がっかりすることはなかった。とにかく形はどうあれ、海外へ挑戦する良いきっかけを得られた、ぐらいの気持ちだった。
もちろん、ベガルタ仙台への名残惜しさはあった。1年間主力としてプレーし、クラブ初の天皇杯獲得まであと一歩(18年、準優勝)という結果も残せていたから。
チームも僕も、お互いにもう一年、共に戦おうという意思はほぼ固まっていた。チームに貢献して、次こそタイトルを獲りたい気持ちもあった。が、そんなタイミングでシティから移籍話が舞い込んできたのだ。もともと、海外志向が強かったわけでもない。それでも、僕はすかさずシティのオファーを受けていた。
サッカー人生におけるキャリアアップを考えると、海外挑戦を断る理由はどこにもなかったのだ。それに当時から、もしも海外からのオファーが来たら、たとえどこであろうと絶対に受けるということは決めていた。
僕が思うに何事も、あれやこれやと頭の中で考え始めると、どんな人であっても尻込みしてしまい、「しない」「やらない」といったネガティブな選択肢が生まれてしまう。「オファーを絶対に受ける」と決めていなければ、僕も居心地の良い仙台に残り、海外移籍は断念していただろう。
渡邉晋監督と強化育成本部長の丹治祥庸さん(ともに当時)には、すぐさま報告した。「シティへ行くことに決めました」。おふたりとも喜んで、背中を押してくれた。なんて度量が大きいのだろうと感動したと同時に、仙台でのプレーがなければ海外移籍にたどり着けなかったという、感謝の気持ちでいっぱいになった。
いざ日本を離れる日が近づくと、寂しい気持ちに駆られたのも事実だが、ここまで来たら行くしかない。そう腹をくくって飛び立った。
■これから新たに挑戦したい〝場所〟シティからローンで出された移籍先は、オランダのフローニンゲンだった。そもそも、フローニンゲンという街を知らなかったし、チームがどんな戦い方をするのか、どんな監督が指揮を執っているのかすらもわからないまま飛び込んだ。
何せ言葉ができなかった。このときの苦労は過去の連載でもお伝えしたが、試合にはまったく出場できず、コミュニケーションを取ることもできないので、孤独な毎日を過ごしていた。日本に帰りたいと思ったのは一度や二度ではない。
それでも海外に挑戦したのは、やはり正解だった。言葉は話せない、土地勘もまったくない、なんの情報もない、無謀ともいえるチャレンジでぶち当たった数多くの障壁が、僕を人間的に大きく成長させてくれたからだ。
Jリーグにいた頃、先輩たちから聞いた海外での苦労話も、実際に体感してみると学びになることばかりだった。結果、今では並大抵の出来事では動じなくなった。
もし今、海外に挑戦するかどうかで悩む選手たちから相談を受けたとしたら......。勢いでもいいから、まずは行ってみろと強く勧めたい。くよくよ考えなくていいんだと。
海外挑戦というのは、想像を絶する困難も挫折も待ち構えているが、その分、経験という貴重な〝財産〟を手に入れられるからだ。
僕自身も、今また移籍の話が取り沙汰されているが、確実に言えるのは、僕を必要としてくれている、そして僕にとってさらなるレベルアップにつながるチームに属したいということだ。国は関係ない。
とにかくもっとうまくなりたい。それをかなえられる場所であれば、僕は迷いなく新たなチャレンジをすると決めている。
板倉 滉
構成・文/高橋史門 写真/アフロ
記事提供元:週プレNEWS
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