柔道・角田夏実選手、無名の存在から世界が注目する存在になるも「こんな柔道やってるんだったら、やらないほうがいいかなって」
苦難を乗り越えてきたプロアスリート本人が、個々の競技人生を変えた「最大の挫折」と「復活」の物語を自らの言葉で語るリアルドキュメント「NumberTV」(全24回)の第9回が、11月21日にLeminoで独占配信された。第9回は、世界柔道選手権3連覇、国際大会柔道グランドスラムで通算5個の金メダルを獲得、先日のパリオリンピックでも金メダルを獲得した角田夏実選手。一見すると輝かしい柔道人生だが、その裏にある知られざる苦難の連続を語った。(以下、ネタバレを含みます)
巴投げと関節技を武器にパリ五輪で金メダル
「NumberTV」は、俳優の福士蒼汰がナビゲーターを務め、トップアスリートたちの輝かしい「現在」とそれに至るまでの「挫折」をアスリート本人が語るリアルドキュメンタリー番組。スポーツ総合雑誌「Sports Graphic Number」とLeminoの共同プロジェクトによって誕生した。
第9回に登場したのは、パリオリンピック柔道女子48kg級で巴投げと関節技を武器に金メダルを獲得した角田選手。父の勧めで柔道を始め、始めた当初は負けてばかりだったが、父が発案したゲーム性のある練習によって嫌いになることはなく、中学時代に県大会で初優勝を飾る。角田選手は「これで勝った喜びを知ったから、『本当にもっと強くなりたい』ってこの時思いました」と回顧。
柔道強豪校である八千代高校に入学し、高校2年生の時にインターハイで3位に。高校3年生ではインターハイ優勝を目指すも準々決勝で敗退してしまい、柔道を辞めようかと考える。角田選手は「私がこんだけ頑張った結果だし、この人たちには勝てないなと思って」と振り返る。だが、当時の指導者に背中を押されて大学でも続けることに。
大学で柔術の練習を取り入れたことで得意の寝技に磨きをかけた角田選手は、大学3年生の時に全日本学生体重別選手権大会で優勝。念願の日本一に。その後、実業団に入り、24歳の時に講道館杯52kg級で優勝してトップ選手となる。2017年、世界選手権52kg級で銀メダルを獲得したことで、東京オリンピック出場を目指し始める。
しかし、無名の存在から突如世界に注目され始めたことによる極度のプレッシャーでスランプに。「『私そんなに強い選手じゃないのに、がっかりされたらどうしよう』とか、『相手が挑戦してくるっていう感覚でいなきゃいけない』って思うと、どういう柔道をしていいか分からなくなりました」と述懐する角田選手は、「こんな柔道やってるんだったら、やらないほうがいいかなって思いました」と当時を振り返る。
東京五輪落選、引退もよぎる中で達した境地
そんな中、コーチの助言によりスランプを脱することに成功。再び強さを取り戻した角田選手だったが、東京オリンピックの熾烈(しれつ)な日本代表争いに身を投じることとなる。当時の52kg級は、2017年世界柔道の覇者・志々目愛選手、2018年、2019年2連覇の阿部詩選手という顔ぶれが争う指折りの激戦区で「世界を取るより国内を制するほうが難しい」と言われたほど。そこで角田選手は東京オリンピック出場のために、48kg級への転向を決意する。
一世一代の決断だったが、そこには壮絶な減量苦と東京オリンピック代表落ちという過酷な展開が待っていた。全てを懸けて挑戦した東京オリンピック出場を逃し、引退が頭をよぎる中、角田選手はある境地に達する。「自分が何もしないで諦めるってことは、今まで支えてきてくれた人を裏切ることになるのかなと思って、(挫折に)向き合うことができました」と明かし、支えてくれた人たちの存在がパリオリンピックを目指す原動力となったことを告白した。
【制作・編集:WEBザテレビジョン編集部】
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記事提供元:Lemino ニュース
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