モーリーの考察。東京・渋谷のような 「格差むき出しの再開発」 は何が問題か?
『週刊プレイボーイ』で「挑発的ニッポン革命計画」を連載中の国際ジャーナリスト、モーリー・ロバートソンが、東京・渋谷駅周辺など最近の再開発が露呈させている日本社会の深刻な問題について考察する。
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ある種の混沌や雑多さを内包する"若者の街"だった東京・渋谷の駅周辺で急速に再開発が進み、ずいぶんスマートな印象になりました。また先日、久々に訪れた吉祥寺でも一部のエリアが再開発され、「整えられた」ように感じました。
渋谷と吉祥寺とでは再開発の目的が違うでしょうが、経済合理性や利便性を最優先し、コモンズ(共有空間)が減少したという点は共通しているように思います。
新たな商業施設に入る店舗は、ラグジュアリーブランドからチェーン店まで、大手資本が中心です。地域の小さな商いは淘汰され、日本中どの都市も同じような顔つきになっていく――そんな実感を持っている人は決して少なくないでしょう。
ITの圧倒的な利便性がグローバル化を加速させ、グローバル化がITをますます不可欠なものにしていく。そのスパイラルの中で、経済も社会も"勝者総取り"の色が濃くなり、それが街にも侵食している。目的を疑うことなく利便性を追求すれば、自然と強者の下にあらゆるものが集中する。短期的には暮らしやすくなるけれど、街としての活力、カルチャーの源泉は目減りしていく......。
かつて新宿駅から東京都庁舎(1990年竣工)のある副都心へとつながる「動く歩道」ができたときの妙な感覚を思い出します。
立ち止まることは「無駄」であるという前提で、目的地までベルトコンベヤー式に人が運ばれるだけの、コモンズなき地下道。最近の再開発を見るにつけ、あの違和感がよみがえるのです。
渋谷に象徴されるように、日本中の再開発エリアは「多くのお金を落とせる人々」のための場所となっています。そうではない普通の若者や、中低所得層は居場所がなくなり、ごく一部のリーズナブルなカフェチェーンなどに利用者が集中しているケースもあるようです。
そういった街では、新たな住民やインバウンド観光客といったリッチ層の体験と、それ以外の人の体験とが、まったく違うものになりつつある。以前は少なくとも見えないようになっていた格差が、今やむき出しなのです。
もうひとつ指摘すると、この手の再開発はほとんどの場合、権力者やスーパー資本家の悪意によるものではありません。補助金への依存という問題こそあれ、その「中身」は、大手デベロッパーで働く普通のサラリーマンが、むしろ良かれと思ってやっている――これがある意味、最も厄介な点かもしれません。
東京・神宮外苑エリアの再開発にしても、善意の意思決定による最適解があれだったということが問題の本質であるはずですが、反対運動は「善vs悪」の旧左翼的なフレームワークから抜け出せず、"普通の人々"への支持がまったく広がっていません。
再開発で一部の地域が「整う」一方、人口減少により各地で「空き家問題」が拡大しているように、昭和の時代にうまく作用していた分配の仕組みが経済構造の変化についていけず、均衡を失いつつあることは間違いありません。
大多数の中低所得者には日常的に不満が蓄積され、やがてそれが「既存の体制」「メインストリームメディア」「リベラルな公序良俗」への反発となって結集され、ポピュリズム運動に流れ込むのではないかと危惧しています。
そこに、2016年のトランプ旋風前夜のアメリカとどこか似たにおいを感じてしまうのは、私だけでしょうか。
記事提供元:週プレNEWS
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