失踪した父…母娘が苦しみ続けた24年…ある日、警察から突然連絡が:家、ついて行ってイイですか?
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イチオシスト:イチオシ編集部 旬ニュース担当
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11月17日(日)に放送した「家、ついて行ってイイですか?」(毎週日曜夜8時50分 ※11月24日は夜8時55分)では、神奈川県横浜市で出会った、看護師のともえさん(29)の家について行きました。
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今月上京してきたばかりの娘さんに「家、ついて行ってイイですか?」と尋ねると、「お母さんがよければいいです」とのこと。お母さんからも、「本人が良ければ私は大丈夫」と許可をいただけました。今回はお母さんも一緒に取材を受けるとのことですが、お父さんについて聞くと、「ドラマがあるのよ…」と意味深な言葉が。
広島県出身のともえさんは、看護師になって5年目。広島の専門学校を卒業後、大阪の病院で勤務していました。“手に職を”との思いから、看護師を志したと話します。
ともえさんの超オシャレなご自宅に到着。大きな窓が印象的で、部屋には勉強用の本が山積み! 大阪から引っ越す際は友達が荷物を運んでくれたため、引っ越し業者を頼まずにすみました。「本当に助けられています」。
お母さんは高校の教師で、現在は男子バドミントン部の顧問をしています。学校でのあだ名は“ぐろっち”。「(お母さんは)友達みたいな感じで生徒と接している」(ともえさん)。
お母さんのお財布がダメになる度、ともえさんが買ってくれるそう。普段はとても仲良しな親子ですが、ケンカすることも多く、ともえさんは「中和する人がいなくて…」と苦笑いします。
取材Dが「お父さんは…?」と尋ねると、ともえさんが5歳の時、「仕事に行く」と出て行ったきり帰ってきていないと告白。「母がワンオペで頑張ってくれた。特に寂しい思いはしなかった」と話しますが、教師だったお父さんは男前で優しく、家族3人で寝る時も、ともえさんはお父さんに寄りそって寝ていたと明かします。
お父さんは、離婚届を置いて突然失踪したそうで、「ニュアンス的には、家族のために出て行った」と、ともえさん。後日、鳥取県にいるお父さんから謝罪の手紙が届きますが、それが最後の手がかりに。捜索願いを出したものの、そのまま行方不明になってしまいました。
仲の良い家族でいろんな場所に出かけた記憶や写真もあるため、「何かに巻き込まれたのか、何か事情があったんだろうな」と思いを馳せるともえさん。
お父さんがいなくなり、お母さんは必死に働きました。そしてともえさんに、「(1人でも)生活できる仕事に就きなさい」とアドバイス。ともえさんは、立派な看護師になりました。
そんな中、去年警察から「お父さんが見つかった」との連絡が。しかしそれは、お父さんが亡くなったという知らせ…。離婚しているため詳細は教えてもらえず、お母さんとともえさんは、「悲しいよね」「何も分からんのよ」と口にします。
お父さんがいなくなった後、お母さんの心を救ったのは教え子たちの存在。ともえさんは、「困ったことがあったら、すぐお兄ちゃんたちが来てくれた。いろんな人に育てられた記憶がある。友達にも恵まれたし、ありがたい」と笑顔で話します。
ともえさんの名前の由来は「“友”達に“恵”まれるように」。お母さんは、「親はいつまでもおらんけど、友達はずっといてくれる。良い友達に恵まれたら生きていける」と伝えます。
ともえさん、これからも素敵な笑顔で、幸せな人生を歩んでくださいね。
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お母さんのお財布がダメになる度、ともえさんが買ってくれるそう。普段はとても仲良しな親子ですが、ケンカすることも多く、ともえさんは「中和する人がいなくて…」と苦笑いします。
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お父さんは、離婚届を置いて突然失踪したそうで、「ニュアンス的には、家族のために出て行った」と、ともえさん。後日、鳥取県にいるお父さんから謝罪の手紙が届きますが、それが最後の手がかりに。捜索願いを出したものの、そのまま行方不明になってしまいました。
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そんな中、去年警察から「お父さんが見つかった」との連絡が。しかしそれは、お父さんが亡くなったという知らせ…。離婚しているため詳細は教えてもらえず、お母さんとともえさんは、「悲しいよね」「何も分からんのよ」と口にします。
お父さんがいなくなった後、お母さんの心を救ったのは教え子たちの存在。ともえさんは、「困ったことがあったら、すぐお兄ちゃんたちが来てくれた。いろんな人に育てられた記憶がある。友達にも恵まれたし、ありがたい」と笑顔で話します。
ともえさんの名前の由来は「“友”達に“恵”まれるように」。お母さんは、「親はいつまでもおらんけど、友達はずっといてくれる。良い友達に恵まれたら生きていける」と伝えます。
ともえさん、これからも素敵な笑顔で、幸せな人生を歩んでくださいね。
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記事提供元:テレ東プラス
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