はな子と久闊を叙しました【駅ぶら】06京王電鉄486 井の頭線117
※2024年5月撮影
トップ画像は、吉祥寺元町通り。正面は東急百貨店です。
路地にウナギ専門店「うな鐵」があります。
※2024年5月撮影
筆者は1980年代に井の頭線渋谷駅ホーム下にあった「うな鐵」に行ってました。渋谷店は、駅ホーム下が新しいビルになった時に南口の近くに移転しています。今でも時々行ってウナギのパーツでイッパイ呑みたくなります。
大坂下町ではウナギの頭部を「半助」と呼んで安く売っています。「うな鐵」では「カブト」と呼んでいます。見た目はちょっと迫力ありますが、安価でとても美味です。(笑)
「coppice(元・伊勢丹)」の前を西に歩きます。記憶では左側に「マグロ解体販売店」が長い間ありました。
※2024年5月撮影
この辺りもお店が変わっています。
※2024年5月撮影
この路地に「西洋乞食」「しもん」などがありました。左には名曲喫茶(ワルツだったかな)もありました。今でも「SCRATCH」は残っています。1974年頃の開店当時とは内装が換わっていますが、相変わらず閉店前に THE CRUSADERS のアルバム“Scratch”(1974)がかかります。(笑)
※2024年5月撮影
元のメンチカツのお店の方に戻ってきました。
※2024年5月撮影
ダイヤ街を東に抜けました。
※2024年5月撮影
サンロードに行く前に駅前ロータリーの「はな子像」を見に行きます。
※2024年5月撮影
はな子は、井の頭自然文化園で長寿を全うしたアジアゾウです。
※2024年5月撮影
像横の銘板の内容は以下です。
「 アジアゾウのはな子
はな子は東京都井の頭自然文化園で飼育されていたアジアゾウです。
平成25(2013)年に国内の長寿記録を更新しましたが、平成28(2016)年、およそ69年にわたる生涯を閉じました。
昭和24(1949)年、推定2歳の幼いゾウは、戦争で傷ついた日本の子どもたちの心をいやすため、タイ王国から上野動物園にやってきました。
戦時中に猛獣処分の対象となった同じゾウの「花子」の名前にちなみ「はな子」と命名されました。はな子は移動動物園として都内を巡回していました。そこではな子を見た市民からの熱烈な要望の結果、昭和29(1954)年に井の頭自然文化園にやってきました。
その後は「小さな動物園の大きなゾウ」として市民とともに歩みながら地域のシンボルとなり、人々に愛されました。その大きなはな子の足跡は、今後も多くの人々に語り継がれていくことでしょう。
平成29(2017)年5月 吉祥寺「はな子」像設置実行委員会 」
筆者も、最初は小学校の遠足で、その後は動物園の好きな学生として何度も井の頭自然文化園ではな子に会ってきました。
筆者が小学生の頃、都の「河童バッジ」を付けていると毎年「都民の日(10月1日 小・中学校は休み)」には井の頭自然文化園に無料で入場できました。今でもこれは続いています。
はな子像の前は、「JR吉祥寺駅」です。はな子像ができる前、ここは喫煙所でした。(笑)
※2024年5月撮影
東には、1971年(昭和46年)に完成した吉祥寺大通りがあります。
※2024年5月撮影
次会はサンロードを歩きます。
(写真・文/住田至朗)
※駅構内などは京王電鉄さんの許可をいただいて撮影しています。
※鉄道撮影は鉄道会社と利用者・関係者等のご厚意で撮らせていただいているものです。ありがとうございます。
※参照資料
・『京王ハンドブック2022』(京王電鉄株式会社広報部/2022)
・京王グループホームページ「京王電鉄50年史」他
下記の2冊は主に古い写真など「時代の空気感」を参考にいたしました
・『京王電鉄昭和~平成の記録』(辻良樹/アルファベータブックス/2023)
・『京王線 井の頭線 街と駅の1世紀』(矢嶋秀一/アルファベータブックス/2016)
記事提供元:鉄道チャンネル
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