宮脇花綸選手、順風満帆なキャリアから人生初の挫折で「『フェンシングは私のことを好きじゃないかもな』って」
苦難を乗り越えてきたプロアスリート本人が、個々の競技人生を変えた「最大の挫折」と「復活」の物語を自らの言葉で語るリアルドキュメント「NumberTV」(全24回)の第7回が、10月24日にLeminoで独占配信された。第7回は2024年のパリオリンピック・フェンシング女子フルーレ団体で銅メダルを獲得した宮脇花綸選手が登場。順風満帆なキャリアから人生初の挫折、引退も考えたという“人生最大の挫折”から、フェンシングへの愛を再認識して“復活”を遂げるまでの軌跡を語った。(以下、ネタバレを含みます)
5歳からフェンシングを始め2014年の南京ユース五輪でメダル獲得
「NumberTV」は、福士蒼汰がナビゲーターを務め、トップアスリートたちの輝かしい「現在」とそれに至るまでの「挫折」をアスリート本人が語るリアルドキュメンタリー番組。スポーツ総合雑誌「Sports Graphic Number」とLeminoの共同プロジェクトによって誕生した。
第7回に登場したのは、5歳でフェンシングを始めてから順風満帆のキャリアを歩んできたかに見える宮脇選手。U-17世代のときからU-20で代表になり、2014年の南京ユースオリンピックでは、個人で銀メダル、団体で金メダルを獲得するなど順調にキャリアを重ねていた当時を振り返り、「そこそこ順風満帆にいっていたのかなと思います」と回顧する。
周りの期待も高まり、9年前に発売された「Number」では表紙を飾るほど。当時の写真を眺めつつ、宮脇選手は表紙に写るかつての自分に対して「これから大変なことがいっぱいあるんだよ」と声をかけて笑いを誘う一幕も。
だが、2016年のリオ五輪を目指す中、まさかの代表落選、人生初の挫折を経験する。宮脇選手は当時の心境について「『フェンシング好きだけど、フェンシングを続けていいのかな』とか、『私はフェンシング好きだけど、フェンシングは私のことを好きじゃないかもな』って思いました」と述懐する。その後、イタリアに武者修行に出るも、なかなかスランプから抜け出せず、闇の中をさまよっていたことを打ち明ける。
周りの人の助けを得て前向きになり、スランプから抜け出した宮脇選手は、2018年のワールドカップ中国グランプリで自身シニア初となる銀メダルを獲得。さらに、アジア選手権ではフルーレ団体で史上初の金メダルを獲得。復活を遂げた宮脇選手は、2020年の東京オリンピック代表を目指すことに。しかし、代表選考レースでは実力を発揮できないという状態に陥り、再び苦しい時期を迎える。そんな中でコロナ禍に突入。東京五輪の開催も危ぶまれる中、世間の風当たりも強くなり、純粋に競技に打ち込めない苦境と個人的な不調により人生最大の挫折に陥る。
フェンシングへの愛を再認識…パリ五輪出場へ
「早めに見切りをつけるなら、引退して新しい道に進む決断をしてもいいのかなっていうのは、その時点で考えていました」と語る宮脇選手を、東京五輪代表落選という逆境が襲う。しかし、そんな苦しい中で、「自分自身の感情を一番表現したり誇りに思えるものは、どれだけボロボロの状態でもフェンシングだなと思った」とあらためてフェンシングへの愛に気付き、2024年のパリ五輪出場に照準を合わせた。
2度の挫折を経て精神的にも成長した宮脇選手は、フランク・ボアダンコーチの指導の下、保守的なスタイルでありながら「フレッシュ」という攻撃的な新技の習得を試みる。宮脇選手は「特に私は戦術家ということもあって、考え過ぎてしまうところがあるんですけど、(ボアダンコーチは)『考えることもすごく大事だけど、最後は決断をして勇気を持って飛び込むことも同じくらい大切にしろ』と言われました」と取り組むきっかけを明かし、「(フレッシュは)捨て身の攻撃ではあるんですけど、攻撃のところで自分に自信が持てる技が増えたっていうのが本当に大きな成長につながりました」と告白した。
【制作・編集:WEBザテレビジョン編集部】
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記事提供元:Lemino ニュース
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