レースクイーン、グラドル、女優、そして「書道家」。おしの沙羅が駆け抜けた激動の20代を振り返る「揉みに揉まれた10年って感じです」
グラビアアイドル卒業後、女優としても、書道家としても活躍の幅を広げているおしの沙羅。
11月には主演舞台『何も変わらない今日という日の始まりに』、12月には書道家として4回目の個展を控える彼女に、あらためてこれまでのキャリアを振り返ってもらった。
■グラビアアイドルを辞めたとき、仕事が全部なくなった――週プレは久しぶりの登場ですね。
おしの 4年ぶりくらいですよね。当時の所属事務所を辞めて、本格的に女優を目指し始めた頃が最後だったと思います。
――現在は「おしの沙羅」に改名しただけでなく、「雨楽(うら)」の雅号で書道家としても活動されています。グラビアアイドルを卒業して女優と書道家の二刀流とは、驚いた人も多かったのでは?
おしの 最初は驚かれることもありました。でも、自分の中ではしっくり来ている感じがずっとあるんです。書道は子どもの頃から身近なものだったので、まったく未知のジャンルに挑戦したわけではないというのもあって。
――おばあさんが書道の師範だったんですよね。
おしの そうですね。祖母の家に行ったときに教わったり、習い事のひとつとして書道教室に通ったりもしていました。ただ、子どものときは書道が楽しいとは思ってなくて。正座もツライし(笑)。だから、ずっと続けていたわけじゃないんですよ。
――魅力を再発見するきっかけがあったとか?
おしの グラビアアイドルを辞めたとき、お仕事がほとんどなくなったんです。演技の実績なんてないから、当然覚悟のうえだったんですけど、そんなときにふっと、言葉を自分の手で書いてみたいと思ったんです。
もともと言葉の意味を調べたり、詩や歌詞を読んだりするのは好きだったんです。だから、この時期で何かできることはないかって思ったときに、書道がぱっと浮かんだんです。それですぐ近所の書道教室に申し込んで、習い始めたらどんどんハマっていきました。
最初は楽しくて没頭していただけだったんです。自分にとっての「最強の趣味」って感じで、心が楽になるというか、救われることが多かった。だから、師範の段をとったときに、「これを仕事にしても、多分イヤになることはないだろうな」と思えて。誰かに見てもらうためにやっていることではないからこそ、書道を仕事にしてもいいんじゃないかって思い切れました。
――――事情を知らない人から見たら大胆な挑戦だけど、自分からしたら好きなことを仕事にしただけだった、と。
おしの ただ、個展を開くにしても自分で全部出資するわけですから、大赤字になっちゃう可能性はあります。自分の生活もありますし、そこはチャレンジではありますね。
――でも、おしのさんも出演した『ジャンヌの裁き』の題字を手掛けたり、作品が『ブラックペアン シーズン2』の美術として採用されたり、書道家としても順調に活躍されています。
おしの もちろん、そういう依頼をいただけるのは光栄なことです。でも、大前提として楽しくやれないと意味がないよねっていうのがあって。極端な話、何も依頼がなくても書いています。そこは今後も変わらないだろうと思えたので、書道家を名乗ることを決意できたのだと思います。
――12月3日から書道家として4回目の個展「讃-SAN-」も開催されます。今回のテーマは?
おしの タイトルの「讃-SAN-」は谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』という本にちなんでいます。明るいものに価値を見出す西洋に対して、暗いもの(陰翳)の美しさを称える日本の特徴について書いた本ですけど、そういう和の文化の魅力が書道の魅力でもあると思い選びました。
――そして11月13日から公演開始の舞台『何も変わらない今日という日の始まりに』で主演も務められます。こちらはどういう作品ですか?
おしの 私が演じるのは不老不死を研究する研究所の所長で、海に囲まれた島で研究者と被験者が共に暮らしています。そういう環境で展開する劇なので、複雑に心情が入り組み、生や死について考えさせられる内容になっています。
――そういったシリアスな作品の出演と個展の準備を両立させるのは大変では?
おしの 最近は慣れてきました。それに今はフリーだから自分で予定を組める立場というのもあって、演技に集中する期間はそれだけを考えられるようにしたり、どっちもちょこちょこやるっていう感じにはならないようにしています。
――そもそも女優を目指し始めたのはグラビアアイドルだった24歳のときだったそうですが、グラビアアイドルをきっぱり卒業したほど惹かれた理由はどこにあったのでしょう?
おしの 24歳で初めてドラマに出演させていただいたときに、突然の機会に右も左もまったくわからなくて、なんて難しいんだろうって思いました。でも、演技そのものにはすごくやりがいを感じたんですよね。
子どもの頃は書道以外にも習い事をいっぱいさせてもらって、その中でもクラシックバレエを頑張っていました。バレエ中心の生活で、物心ついた頃から将来はバレリーナになりたいと思っていたんです。自分を表現するっていうよりかは、舞台作品の一部になれることにとてもやりがいを感じて。コンクールにも出たり、12年間ほど習いました。
私は自分自身を出すのは昔からあまり得意ではなかったっていうか、そもそも誰かに自分をわかってもらいたいという欲求もそこまでないのかもしれません。それよりも作品として見てもらえたほうが嬉しい。だから書道も好きなんです。
初めてドラマに出たときに、自分がバレリーナを目指したときと同じような気持ちになれたんです。「これがやりたい」と思えた。それぐらい俳優業には胸がときめいたんです。
――しかし、「自分を表現するのが得意じゃない」と言う人が、どうしてレースクイーンとしてデビューして、グラビアアイドルまでやっていたのかと思うんですよね。
おしの 中学2年生くらいでバレリーナになることを諦めたときに、心がポキッと折れてしまって。希望がなくなっちゃったんです。そうしたら急に全部頑張れなくなってしまって、必死にやっていた習い事も、塾や学校の勉強も、やらなくなっていきました。
で、それまで習い事づくしだったのに、そこからいろんなところに行っていろんな遊びをするような日々に変わるんです。レースクイーンになりたいと思ったのも、「やったことのないことをやってみたい」という中のひとつって感じでした。
それが大学生のときだったんですけど、芸能界のことが何もわからないから、とりあえずネットで見つけた事務所に写真を送って。実家の台所で撮った写真ですよ。しかも直立不動(笑)。
――ポージングすら知らなかった。
おしの 面接のときに笑われました。こんな写真を送ってくるコはいないって。
――でも、そこから所属が決まって。レースクイーンになってからは複数のチームを担当していましたし、順調だったイメージがあります。
おしの いえ、全然でした。いざなってみたらモデルみたいな細いコばかりだし、「私は求められてない」と思うことばかりでした。傘を差してクルマの隣に立っているだけの仕事だと思ってしまってましたが、レースクイーンは人気投票まであったんですよ。
――グループアイドルみたいですね。
おしの 日々競争で驚きました。それもレースクイーンになってから知って。でも、競争があるからには上に行きたいじゃないですか。
――そこはやる気になるんですね。
おしの それで大学中のパソコンから投票したり、友だちに頼んだり、一年中サーキットで自分のプロフィールを書いたチラシを配ったりしました。
――すごい! そんな地道な努力があったとは。
おしの でも、レースクイーンとして結果が出るようになったのは、結局グラビアを始めてからでした。最初は抵抗があったんですよ。学校にも通っていたし、そもそも自分はメディアに出るなんて想像つかないと思っていて。「自分には無理です」と言っていたんですけど、なにか変わるのかなとも段々思えてきて、とりあえず一度DVDを出してみて、それがなぜか評価してもらってって感じでした。
――グラビアの反響はどうでした?
おしの 学校で声をかけられたりするようになりました。でも、当時はその状況に自分自身がついていけてませんでした。自分の中に柱がない状態でやってしまっていたので、グラビアアイドルとしてこうなりたいっていうのがなかったんです。でも、事務所ではレースクイーンを辞めてグラビアに集中しようとなりました。
熱心に勧めてもらって、「こんなに自分を求めてもらうこともなかったし、頑張ってみよう」となりました。それからはとにかく与えられた仕事を必死でやりました。レースクイーンの人気投票と一緒ですよね。やるって決めたら本気でやりたいタイプではあります。
――でも、これっていう目標がないままでは、いつまでも走りきれないですよね。
おしの だから25歳になって、グラビアアイドルとして5年くらいやっていて、「自分にはもうこれ以上できることはない」と思ったんですよ。写真集もDVDも、週プレさんの表紙も3回やらせてもらった。「これから先はゆっくりと落ちていくだけじゃない?」と感じて。
歳を重ねると下のコも出てきますよね。もちろん、30代で現役の方もいて、それはとても尊敬します。だけど私にはそのままやり続けることができなかった。そして、ちょうど同時期に俳優業に惹かれたことで、今辞めるべきだと思い、スパッと辞めたというわけです。
――グラビアをやりながら女優も、という考えはなかった?
おしの グラビアを頑張ってきたからこそ中途半端にやることができなかったんです。読者の方に対しても、お世話になった方々に対しても、そういう気持ちでやるのは申し訳ないと思いました。
――グラビアアイドル卒業の背景には、そんな思いがあったんですね。でも、今のおしのさんはすごく楽しそうですよね。
おしの 本当ですか?
――SNSを見ていても、グラビアアイドル時代とは違ったナチュラルな魅力が出ていると感じます。
おしの それはうれしいです。昔は笑顔ができるようになればなるほど、よく「目の奥が笑ってない」とは言われました(笑)でも、それって技術じゃなくて心の問題ですよね。それが今は言われなくなったから、自分の気持ちもやっぱり変わってきたんだろうなとは思います。自分を必要以上につくろうことがほとんどなくなったんだと思います。
――以前は廃墟で撮影のグラビアとか多かったですよね。
おしの 特に週プレさんがそうです。廃墟をはしごする撮影とかありました。海の撮影もビーチではなく、私は漁港だったり。あと旅館ですね。廃墟、漁港、旅館が週プレさんの思い出です(笑)。
――レースクイーンからグラビアアイドル、そして女優と書道家の二刀流と、環境の変化が激しい20代でした。以前は人生の目標がなかったとのことですが、今後はどうなっていきたいですか?
おしの ちょうど昨日、明大前駅の近くを通ったんですよ。私が初めて一人暮らしをした場所で、それから10年が経って、「本当にいろんなことがあったな」って気持ちになったばかりでした。20代はいろんなことに挑戦した時期でした。あれでもない、これでもないって挑戦していく中で、いろんな人に出会って、いろんなことを知って。
ほんと、揉みに揉まれた10年って感じですけど、今は29歳になって、少しは自分の中に軸ができたのかなって思うから、30代はそれを基盤にして、しなやかに進んでいきたいと思っています。
●おしの沙羅(おしの・さら)
1995年6月3日生まれ 東京都出身
2015年にレースクイーンとしてデビュー。グラビアアイドルとしても活躍し、数々の雑誌の表紙を飾るなど大ブレイクを果たした。2020年にグラビアを引退し、女優としての活動を本格的にスタート。2023年より「雨楽」の名前で書道家としても活動している。同年10月には芸名を「おしの沙羅」に改名した。
公式X【@oshino_sara】
公式Instagram【@oshinosara】
公式HP【http://oshinosara.com/】
■舞台『何も変わらない今日という日の始まりに』
【公演期間】2024年11月13日(水)~17日(日)
【会場】浅草九劇
【チケット】http://ticket.corich.jp/apply/336201/
その他詳細は浅草九劇公式サイトをチェック!
(https://asakusa-kokono.com/kyugeki/2024/09/id-13867)
■雨楽 4th個展「 讃-SAN- 」
【会期】2024年12月3日(火)~12月8日(日)
【入場】無料
【会場】孔雀画廊
東京都中央区京橋2丁目5-18 京橋創生館1F
取材・文/小山田裕哉 撮影/後野順也
記事提供元:週プレNEWS
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