「10代から突っ走ってきた」 石川遼が振り返る通算20勝の“歩み”
<三井住友VISA太平洋マスターズ 最終日◇10日◇太平洋クラブ 御殿場コース(静岡県)◇7262ヤード・パー70>
厚い雲に覆われ、霊峰も姿を隠した御殿場決戦の最終日。好相性の地で石川遼が大会最多の4勝目を飾り、節目の通算20勝を挙げた。
アマチュアだった2007年に、史上最年少の15歳245日でツアー優勝を果たすと、“ハニカミ王子”として名をはせた。そんな石川も今年で33歳。ベテランの域に近づきつつある中での20勝目も、「そこまで強い思い入れはない」とあくまで通過点の数字に過ぎない。プロになって17年目。これまでの歩みを回想した。
「10代から突っ走ってきた。僕の場合は最高潮から、プロの試合に出て優勝ってところから始まっちゃったので、そこから波はありました。すごく幸運だったのは、苦しかった時期も、悩んだ時期も、いまでも苦しい時期はありますが、それでもまだ33歳。本当に良いことも悪いことも経験をした」
トントン拍子で勝利を重ねて順調に国内でのキャリア積み、13年には米国男子ツアーへ本格参戦した。足を踏み入れた異国の主戦場は、想像以上に大きな壁が立ちはだかっていた。「ドライバーをメインに、どうやって真っ直ぐ飛ばすかを頑張っていましたが、結果的には頑張れていなかった。他の部分で頑張ろうとか、グルグルいろんなところを回っていたなって。きのうは良かったけど、次の日はなんか違うから真逆のことをやったりとか日常茶飯事だった」。
米国でもっとも勝利に近づいたのは12年3月の「プエルトリコ・オープン」で、優勝争いの末2打差の2位だった。13年10月「シュライナーズ・ホスピタルズ for チルドレン・オープン」でも2位に入っているが、このときは最終日に「65」と追い上げたものの、優勝したウェブ・シンプソン(米国)とは6打差があった。米ツアーに5年間参戦したが優勝は達成できず、18年に主戦場を国内に戻した。
「自分の持っている引き出しをすべて開けたっていう感覚があった」という19年は、「日本プロゴルフ選手権」で国内メジャー2勝目を挙げると、「長嶋茂雄INVITATIONAL セガサミーカップゴルフトーナメント」、「ゴルフ日本シリーズJTカップ」と年間3勝。今でも納得の一年であったと思い返す。
さらなる進化を求めて、20年には「スイングを変えた」。再現性の高いスイングを求めた結果、トップをコンパクトにして、クラブの入射角をシャローにするなど、素人が見ても以前とは形の違うスイングに変わった。
しかし、その効果はすぐには表れず、約3年間、勝利から見放された。再び光が差し込んだのは22年の今大会。星野陸也と首位に並び、プレーオフを制した。そして今年はここまで、6月「JAPAN PLAYERS CHAMPIONSHIP by サトウ食品」に続く2勝。19年以来の年間複数勝利を挙げた石川の歩みは止まらない。
優勝賞金4000万円のビッグトーナメントで、賞金ランキングも5位(7711万7844円)に浮上。残り3試合はいずれも高額大会で、09年以来の賞金王戴冠の可能性がある。「僕の名前なんか誰も考えていなかったでしょうね。まずはうれしい。(賞金王は)まだ、考えていないですかね」と皮算用はせず、今は次なる戦い「ダンロップフェニックス」へ集中力を高めた。(文・齊藤啓介)
【石川遼の20勝】
24年11月:三井住友VISA太平洋マスターズ
24年6月:JAPAN PLAYERS CHAMPIONSHIP by サトウ食品
22年11月:三井住友VISA太平洋マスターズ
19年12月:ゴルフ日本シリーズJTカップ
19年8月:長嶋茂雄INVITATIONAL セガサミーカップ
19年7月:日本プロゴルフ選手権
16年8月:RIZAP KBCオーガスタ
15年12月:ゴルフ日本シリーズJTカップ
15年9月:ANAオープン
14年7月:長嶋茂雄 INVITATIONAL セガサミーカップ
12年11月:三井住友VISA太平洋マスターズ
10年11月:三井住友VISA太平洋マスターズ
10年9月:フジサンケイクラシック
10年4月:中日クラウンズ
09年10月:コカ・コーラ東海クラシック
09年9月:フジサンケイクラシック
09年7月:サン・クロレラ クラシック
09年6月:~全英への道~ ミズノオープンよみうりクラシック
08年10月:マイナビABCチャンピオンシップ
07年5月:マンシングウェアオープンKSBカップ※アマ優勝
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