34年前に「いい教材にしていた」 増田伸洋が日本アマ王者をPOで下し、悲願の年間複数回優勝達成
<コスモヘルスカップ シニアゴルフトーナメント 最終日◇2日◇鳩山カントリークラブ(埼玉県)◇6904ヤード・パー72>
増田伸洋と宮本勝昌。同い年での優勝争いとなった国内シニアツアー「コスモヘルスカップ」は、トータル13アンダーで並んだ2人のプレーオフに突入した。2ホール目でバーディを奪った増田がボギーとした宮本を下し、「日本プロゴルフシニア選手権」に続く今季2勝目を挙げた。「34年前に宮本が実家の練習場に来て、宮本がいたから僕も頑張れたというのはあるし、その選手とプレーオフして勝ててのはすごくうれしい」と、チャンピオンは満面の笑みを見せた。
日大時代の宮本は、増田家が経営する千葉県柏市のゴルフ練習場『双伸ゴルフセンター』でいつも練習していた。1991年、大学1年の宮本は「日本アマチュアゴルフ選手権」を制する。時を同じくして、増田は将来を嘱望されたラグビーをやめ、プロゴルファーを目指して千葉カントリークラブ・川間コースで研修生となった。
「ゴルフを始めた頃、僕は練習しても右のネットにしか行かないし、かたや宮本は日本チャンピオン。最初の頃はいい教材にしていましたね。そこを目指さないとダメだろうと思っていた」と増田は当時を振り返る。その後、宮本は95年にプロ転向して98年にレギュラーツアー初優勝。ツアー通算12勝を挙げた。一方の増田は、驚異的なスピードで上達し、98年にプロ転向。2006年にツアー初優勝を遂げた。
宮本はプレーオフのティーイングエリアに向かうカートに乗りながら、「まさかノブとプレーオフするとは。でもやってみたいと思っていた」と増田に話している。日本大学からプロという王道を行く宮本と、高校を卒業して研修生からプロを目指した増田。18歳の時点では日本アマ王者と初心者だった2人が、シニアツアーの舞台で優勝争いを演じるとは、本人も含めて誰も予想できなかっただろう。
18番パー5の繰り返しとなったプレーオフ1ホール目。増田のチップインバーディを狙ったアプローチはピンをかすめて1.5メートルオーバーした。それでも返しを入れてパーセーブする。宮本の決めれば優勝となるバーディパットは「弱めに引っかけた」と決めきれずに2ホール目へ。宮本がトラブルでボギーとしたのに対し、増田が3打目を1メートルに寄せてバーディを沈め、右コブシを高く突き上げた。
「負けたので悔しいしかないんですけど。ノブもいいプレーをしていましたし、この年になっても優勝争いができるのは、やっぱり楽しかったですね」と宮本が清々しい顔で話せば、「この年になっても一緒に戦えるのは楽しかったし、うれしかった」と増田も笑顔。2人は34年前を思い出しながら、似たようなコメントを残した。
今大会で増田のバッグを担いだのは、レギュラーツアーで今季初シードを確定させている26歳の坂本雄介。なんと初キャディで初優勝だった。千葉県流山市に住む坂本もまた『双伸ゴルフセンター』で普段は練習を行っている。そして、営業が終わると坂本も一緒に球拾いを手伝う。「あいつはうちで飯を食うんだもん(笑)。うちの息子はゴルフ場に勤めているから帰ってこないのに、かみさん、俺、娘、あいつで飯を食っている(笑)」と普段から2人は仲がいい。
「うちの息子と年齢が近いから。息子とまでは言わないけど、うちの練習場で練習しているから、これから頑張ってほしい選手だし、早く優勝して俺におごってくれないかなと思っているんだけどね」と笑う。長男の康輔さんは21歳。現在は千葉県の平川カントリークラブで働きながら、ツアー出場を目指している。
この優勝で増田は念願の年間複数回優勝を達成。「今年は(国内)メジャーに勝てたし、初めて複数回優勝できて、すごくうれしく思います」と満足げな表情を浮かべる。しかしまだ気は抜けない。この優勝で賞金ランキングは6位から4位に浮上。例年、賞金ランキング4位以内には、翌年の海外メジャー「全米プロシニア」と「全米シニアオープン」の出場権が付与される。増田は昨シーズン、賞金ランキング4位で終えて、今年のメジャー2戦に出場。しかし、ともに予選落ちに終わっている。
「今回自分の中で打ちのめされた部分もあるからやっぱりまた挑戦したい。頑張ればまた行けるので、最終戦はしっかり頑張りたいと思います」。次戦は3週後のシーズン最終戦「いわさき白露シニア」。今年、メジャーで味わった悔しさを払拭するためにも、賞金ランキング4位以内を死守したいところ。「今年は出来すぎ」というシーズンを笑顔のまま締めくくりたい。
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