「最後に会いたいと言った時…」青木功の心残り “戦友”尾崎将司さんへの想い
イチオシスト
昨年12月23日にS状結腸がんのため死去したジャンボこと尾崎将司(本名:尾崎正司)さんのお別れ会が16日、都内のホテルで開かれた。式典には発起人代表の青木功ら約1000人が参列。青木は尾崎さんへの想いを弔辞に込めた。
「今、ここで自分がジャンボのお別れ会の弔辞をすることなど、全く考えてもなかった。昨年末、突然逝ってしまったという知らせを受け、自分は言葉がなかった。大切な戦友を失い、深い悲しみと大きな喪失感でいっぱいになった。お前さんがなんと言おうと、自分の生涯のライバルはジャンボで、お前がいたから今の自分がある」。弔辞を読む声は徐々にかすれていった。
昨年末に闘病中の尾崎さんを見舞おうとしたが、かなわなかった。「ちょっと早かったなと思う。肩を組んで、酒を一杯飲みながら、ふたりで話したかった。そういうのができなくて寂しい。もう一回戻ってこい、って言いたいわな」と戦友との別れを悔やんだ。
青木は1964年にプロ入り。4歳年下の尾崎さんはプロ野球の投手を経て、70年にプロゴルファーになった。中嶋常幸を加えてそれぞれの頭文字から“AON”と呼ばれ、1970年から90年代のゴルフ界をけん引。多くの名勝負が生まれた。
だが、思い出の試合を聞かれると「覚えていない」と答える。尾崎さんが日本94勝、青木は51勝を記録しているが、最終日最終組で優勝を争った機会は少なかったという。「ジャンボと俺は違う道をいって、最後に勝った・負けたをやっていた。それが彼と私のゴルフ人生じゃないかな」としみじみと言葉を紡ぐ。
40代になって海外ツアーに参戦した青木に対し、尾崎さんは日本ツアーをメーンに戦い続けた。第一線を退いたあと、青木は日本ゴルフツアー機構(JGTO)会長を務め、尾崎さんは若手の育成に尽力した。立場と方法は違えど、ともに日本のゴルフ界を精一杯に引っ張った。
「俺にとっても(存在が)大きいし、ゴルフ界にとっても大きい。いちいち説明する言葉がないくらい。俺には語りつくせない彼の存在感がある。それだけだよ」
「何の言葉もない。なんもしゃべりたくない。自分の気持ちはジャンボとふたりでしまっておきたい。それくらい大事な人で、ライバルでありながら、友達」
もっと言葉を交わしたかった。現役中は『な!』『じゃ!』というあいさつだけで通じていた。「阿吽の呼吸で何が言いたいか分かった。今思うと、デリケートに感じていた部分もあるから、話をしたかった。最後に会いたいと言った時、もうダメだと聞いて、本当に悔しかった」と目線を落とした。
<ゴルフ情報ALBA Net>
記事提供元:ゴルフ情報ALBA Net
※記事内容は執筆時点のものです。最新の内容をご確認ください。
