東日本大震災15年、岩手・宮城・福島「震災伝承団体・施設」が存続の危機に!?
イチオシスト

宮城県石巻市にある震災遺構「大川小学校」。津波で児童74人、教員10人が犠牲となった
震災から15年がたち、伝承団体や伝承施設を訪れる人が減っているという。〝記憶の風化〟は仕方ないことなのか。活動している人はどう思っているのか。今後どうするべきなのかを探った!
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【民間と行政の連携がうまくいっていない!】東日本大震災から15年。
現在中学生の子供たちのほとんどは、震災時はまだ生まれていない。20歳以下の人たちも鮮明に記憶に残っている人は少ないだろう。それより上の年齢の人たちも記憶は少しずつ〝風化〟しているかもしれない。
被災3県(岩手県、宮城県、福島県)の伝承団体、施設、語り部などをつなぐ組織「3.11メモリアルネットワーク」のアンケート(「2024年東日本大震災伝承活動調査報告書」)によると、伝承団体・施設を訪れる人は24年から2年連続で減少しているという。
また、「今後、伝承活動を継続することに不安がある」と答えた伝承団体は96%、伝承施設は69%だった。その理由は、主に資金繰りや、語り部などの人材確保の難しさだという。

石巻市にある震災遺構「門脇小学校」。高さ約1.8mの津波が押し寄せ、その後に火災が起き、校舎内はほぼ全焼した
15年という長い年月がたち、過去の震災の記憶を伝える団体や施設が今後、少しずつ減ってしまうのだとすれば、とても心配だ。
3.11メモリアルネットワークの中川政治氏に現状を聞いた。
「なぜ伝承活動に不安を持っている団体や施設が多いのかというと、人間というソフトの部分と、施設などのハードの部分がうまく噛み合っていないからです。
伝承団体というのは、遺族の方など民間が運営している場合が多い。『私はこんなふうに被災をしました』という語り部活動などが中心です。これは発災直後の11年から始まっています。参加者のピークは2、3年後の13年、14年でした。
一方で、伝承施設にも民間が運営しているものはありますが、多くは市や県などの行政による運営です。伝承施設の建設は、発災数年後から始まりました。
行政の伝承施設が建設されると、それまで民間団体の語り部さんなどに話を聞いていた人たちが、行政の施設のほうに流れていきます。
すると、伝承団体の来訪者数は徐々に減り、逆に16年からは伝承施設を訪れる人が一気に増えていきました。
語り部さんなどのプログラムでは、数千円程度の料金を取る場合があるのですが、行政の施設だと入館は無料のところが多い。それに『県や市がやっています』というほうが、資料などが充実していると思って、そちらに行きがちなのだと思います。
『じゃあ、行政の施設と民間の団体が一緒に活動すればいいじゃないか』と思うでしょうが、それがなかなか難しい。
語り部さんは、どうしても個人的な話になってしまいます。『父親や母親としての私に起きたこと』などが中心になる。公的な施設なのに個人的な話ばかりをされたら困るというのがあると思います。
ですから、伝承施設に行くと施設の展示を解説する解説員はいても、『語り部さんはいません』というところが多いんです」

大川小学校の近くにある「大川震災伝承館」。大川小学校の事故や津波訴訟についての資料もある

「石巻南浜津波復興祈念公園」内にある「みやぎ東日本大震災津波伝承館」。2021年にオープン。運営は宮城県
語り部がいないのであれば、行政の運営する伝承施設では、どんなものが展示されているのか。
「例えば『宮城県全体で何万人亡くなりました』『〇〇市では何人亡くなりました』『各市町村の震度はこれくらいでした』、あるいは震災前の街と震災後の街の写真といったデータが中心になります。
しかも、そういった同じ資料やパネルを何年も使い続けている。これでは来る人が少なくなるのは当然です。そうしたことも影響しているのでしょう、伝承施設の訪問者数も24年から減少しているんです」
施設の展示物などが充実していないなどの理由で来訪者が減っている上、民間との連携もうまくいっていないという。しかし、復興庁などからの補助金があれば、活動は継続していけるはずでは?
「復興予算と伝承関連の予算は別なんです。実際のところ補助金などは出ていません」
われわれは13年から復興特別所得税として、所得税額の2.1%を上乗せして徴収されている。そして、復興庁の予算には「東日本大震災の教訓継承事業」が計上されている(令和6年度は1億円、令和7年度は3000万円)。
この予算は何に使われているのか。復興庁に聞いた。
「教訓継承事業というのは、東日本大震災の教訓を後世に継承するために、復興政策に関わった閣僚や国会議員に証言を聞いて取りまとめたり、被災地で活動されている伝承団体さんなどを紹介するガイドブックを作ったりするものです。
伝承施設の建設や維持管理費用などではありません。民間がやっていることに対して何か必要経費の支援をやっていることもありません」
やはり、震災伝承活動に対しての予算は、復興庁からは出ていないようだ。ちなみに復興庁は、5年後(31年3月)にその役割を終える。また、岩手県と宮城県の復興局は26年3月をもって廃止される。
【伝承団体は参加者がどんどん減っている!】では、実際に団体や施設などを運営している人たちはどう思っているのだろうか。
宮城県「石巻観光ボランティア協会・大震災まなびの案内」の石川栄一氏は、「14年には2万人以上の参加者がいましたが、24年には10分の1以下の1700人くらいになってしまった」と落胆を隠せない。
その理由について、次のように語る。
「学校などの教育旅行で、宮城県だと被災地に行くよりも日本三景の松島などの観光地に行くことが多くなってきている気がします。
それから費用の問題もあるのではないでしょうか。10年前と比べると、交通費や宿泊費などが相当上がっています。すると予算的に遠くの被災地に行くことが厳しくなってきます。
さらに伝承団体も増えているので、訪問地として選ばれるのが難しくなります。伝承団体や施設のガイドブックにちゃんと載せていただくことが重要なんです」


語り部ガイドだけでなく、大川小学校や門脇小学校、津波伝承館などをガイドする活動を行なっている
行政との連携については。
「石巻市から、観光業務に関しては少し補助金がついています。しかし『まなびの案内』については予算はありません。現在『まなびの案内』は6人のボランティアさんが担当していますが、交通費だけの支給になっています」
運営はかなり厳しいようだ。
福島県相馬市の「相馬市伝承鎮魂祈念館」は、相馬市が運営する施設だ。相馬市商工観光課の鈴木脩史氏に聞いた。
「当館は平成27年(15年)にオープンしてから約10年になりますが、10年前に比べると来館者はやはり減っています。
理由としては、関心を持っている方がいろんな震災伝承施設に行き切ってしまったということが考えられます。
当館は相馬市が運営していますので、もっと多くの方に来ていただく努力は必要だとは思いますが、活動が継続できなくなってしまう不安というのは、ほかの施設さんと比べて感じていません。
ちなみに当館は語り部さんが常時いるわけではなく、展示物がメインになります。語り部さんのお話が聞きたい方は、観光協会のツアーに申し込んでいただきますようお願いいたします」


相馬市が運営する伝承施設。被災前の相馬市の風景や震災当日の映像などが展示されている。また、慰霊碑も立っている
一般社団法人として運営されている岩手県大槌町の伝承団体「おらが大槌夢広場」の神谷未生氏は、独自の施策で継続を進めようとしている。
「14年をピークに参加者が減っているのは事実です。14年、15年はがれきが山のようにあるという状況ではありませんでしたが、広大な更地が広がっていて、衝撃的な風景が見られたということはあると思います。
また、どうしても〝あの日のこと〟を伝えるというスタイルが多いので、一度話を聞くとまた聞きに行こうということにならないのではないでしょうか。
伝承活動の継続については、長期的に安定した事業とは言えないので、不安はあります。そのため、うちは語り部だけではなく、企業研修の要素をセットにして提供しており、なんとかギリギリ収入を得ているというところです。
大槌町では、被災した町役場を残すか残さないかということで意見が分かれました。そうした正解のない課題にどう考え、どう決断していくのかというワークショップを企業研修として行なっています。
あの日の悲惨さを伝えるだけでは続かないというのは、わかっています。ですから、過去の話を現在に当てはめることで、何を伝えたいかということを明確にする必要があると思っています。『津波から逃げて』だけでは、やはり弱いと思うんです」


語り部ガイドだけでなく、「あなたならどうする」という視点で考えるプログラムや企業研修なども積極的に行なっている
多くの児童や教職員が亡くなり、津波で破壊された校舎の一部が震災遺構として整備された石巻市の大川小学校で語り部をしている只野英昭氏も独自の活動を行なっている。
「伝承の目的は、同じ悲劇を繰り返さないためですよね。だったら、『こうしたから助かった』という美談だけ話してもダメなんです。犠牲になった大川小学校の児童のことも話して、何がいけなかったのかも知っておくべきです。
そして、自分の住んでいる所に持ち帰って、その場所で災害が起きたときに命を守るとはどういうことかを考えてほしいと思います」
【震災伝承のスタイルを変える時期に来ている!】最後に、『災害伝承の大研究』(PHP)を監修した東北大学災害科学国際研究所の佐藤翔輔准教授に、伝承団体・施設への参加・来館者が減っていることや、今後の伝承活動について聞いた。
「今回の3.11メモリアルネットワークのアンケート結果は、ひと言で言うと『伝承団体や施設の現場の実態をきちんと伝えている』と思います。
15年たって記憶が風化してきたといわれますが、今、活動されている方にとっては、まったく風化していません。一方で、一般的な家庭で東日本大震災の会話が出てくるかというとそうではない。
1983年に日本海中部地震が起きて、その後に東北大学の首藤伸夫先生が毎年、秋田県で講演をされていました。講演をするたび、会場にいる人に『皆さんは、地震の備えをしていますか?』というアンケートを取られていた。
最初は被災経験者と未経験者で備えに差があったのですが、年月がたつと同じくらいになってしまった。経験の有無が備えに反映されなくなる時期は発生から15年でした。
東日本大震災も発生から15年がたっています。今、そうなり始めてもおかしくないかもしれません。
また、震災学習などで受け取ったものをどれだけ覚えているかという観点でいうと、やはり語り部さんのお話がいいということはある程度科学的にわかっています。ただ、それはあくまでもインプット(記憶量)についてです。アウトプットについては若干残念な結果が出ています。
例えば、24年の能登半島地震で被災した人に地震前の段階で『東日本大震災の話を聞いたことがありますか?』『震災施設を訪れたことがありますか?』というアンケートを取ったら、5割くらいの人が話を聞いていて、2割くらいの人が施設に行っていた。
しかし、能登半島地震が起きた後の避難行動を調べると、話を聞いた人、施設に行った人、何もしていない人の行動には差がなかった。
私は伝承施設を訪れるということに意味があると思っていたんですが、そう言えない結果が出てしまいました。〝わかる〟と〝できる〟は違うということです。
では、どうすればいいのか。伝承の上にさらに、もう一歩先に進めなければいけない。震災伝承は事実を学習したり、当事者感を身につけることです。でも、それがわかってもできなければ意味がありません。
これは極論ですが、できるようにするには、自分の住んでいる場所に置き換えて、学び直し、実践することがもしかしたら効果があるのかもしれません。
震災伝承は、震災が起きた地域では意味があることはわかっています。しかし、外の地域に出たときにはなかなかうまくいっていない。
これだけ災害が多発している日本なわけですから、この経験を未来の被災地にどんどん共有しない手はありません。ですから、震災伝承のスタイルを今後は変えなくてはいけないかもしれません。
あの震災はどうだったかということだけではなく『仮設住宅でのコミュニティのつくり方』『その後の事業をどうやって再開したか』『今、こんな地域づくりをしている』など、〝自分に起きるかもしれない困難を乗り越える〟こととして伝えたほうが、持続可能性が高まるのではないかと思います」
東日本大震災から15年。立場や状況が違う中で、多くの人が震災の記憶を伝え続けようとしている。その一方で記憶の風化は確実に起こっている。震災伝承は新たな局面を迎えているのかもしれない。
※プログラム参加者数、伝承施設来館者数は、3.11メモリアルネットワークの「2024年東日本大震災伝承活動調査報告書」を基に作成。
取材・文/村上隆保 写真提供/石巻観光ボランティア協会 相馬市伝承鎮魂祈念館 大槌町おらが大槌夢広場
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