永田町チルドレンの“生存率” 【政眼鏡(せいがんきょう)-本田雅俊の政治コラム】
イチオシスト
永田町の光景が一変した。先の衆院選で自民党が圧勝したため、野党議員の数が激減したこともあるが、新人議員の多さが目立つ。一足早く訪れた入社式のように、議員会館の中では真新しいスーツの香りが漂うし、勝手がわからず、国会の中を右往左往する姿もある。まさに“ピカピカの1年生”だ。中堅議員の一人は「われわれもそうだったかもしれないが、バッジを見て初めて議員だとわかった」と苦笑いする。
国会召集日の前日、自民党本部で開かれた新人議員研修で鈴木俊一幹事長は、「自分の発言がどう影響するのかを考えながら発言するように」「常に謙虚な姿勢を忘れないように」と説いた。かつては派閥の領袖や先輩議員たちが“教育係”として新人議員の世話をしたが、麻生派以外、今や派閥は存在せず、代わって党本部が研修機能を果たさなければならなくなった。
顧みれば、すさまじい“高市ブーム”が吹き、2月8日の衆院選で66人の「高市チルドレン」が誕生した。比例ブロックの名簿に名前を載せただけの候補者の中には、「まさか自分が本当に代議士になるとは」と驚きを隠せない者もいた。だが、最もうれしい悲鳴を上げたのは高市早苗首相本人だろう。比例ブロックの自民党の当選者が登載された候補者数を上回り、他党に議席を譲らざるを得なかったほどの大勝を収めたからだ。
時の首相の人気や後押しのおかげで大量の新人議員が誕生した際、「〇〇チルドレン」と称されることが多い。14年前の2012年衆院選では、大量119人もの「安倍チルドレン」が誕生した。彼ら彼女らはまさに玉石混交で、不倫や秘書への暴言、金銭がらみのスキャンダルなどでマスコミをにぎわすことも多く、しばしば「魔の2回生」「魔の3回生」といった形容が用いられた。
それでも安倍晋三政権下の国政選挙で自民党が連戦連勝を飾ったため、比例復活を含め、17年衆院選まで何かしらの形で3回連続当選を果たした議員は90人にのぼる。いささか不適切かもしれないが、あえて病気治療の効果や予後を評価する指標として使われる“生存率”になぞらえるならば、「安倍チルドレン」の“5年生存率”は実に82%に達したのだ。
のみならず、21年衆院選までの連続当選者は74人を数え、“10年生存率”も7割近くを記録した。「一度バッジを付ければ、なかなか外れない」とも思えるが、これはチルドレンたちの努力の成果というよりも、ひとえに党首の人気の高さと野党の不甲斐なさによるものだ。とりわけ選挙区を持たない比例単独候補の場合、“神頼み”と“風頼み”の度合いが一段と高まる。
さらにさかのぼれば、21年前の郵政選挙でも、小泉純一郎首相(当時)の高い人気が追い風になり、何人もの“刺客”をはじめとする大量の新人議員が当選した。この“ベビーブーム”が「〇〇チルドレン」の走りだといえる。「小泉チルドレン」と称された新人議員たちはその数にちなみ、「83会」なる政治団体まで組織した。その中には、今やコメンテーターとして売れっ子の杉村太蔵氏などもいたが、当時は政治の世界の右も左もわからなかったようだ。
しかし、「人生はそれほど甘くない」(ベテラン議員)。09年衆院選が政権交代選挙となったこともあり、「小泉チルドレン」で再選されたのはわずか11人で、“生存率”は13%にすぎなかった。さらに、14年衆院選まで連続4回の当選を果たせた者は8人のみだった。中には参院に転出した者もいるが、追い風で議員になった者は向かい風に弱いということだろう。ダーウィンの「進化論」は国会議員たちにもそのまま当てはまる。
「高市チルドレン」が安倍型になるのか、それとも小泉型になるのかは、まだわからない。だが、追い風に乗って運よく比例ブロックで当選した議員たちも、間違いなく国会議員である。単に高市首相や執行部の顔色をうかがうだけでなく、自ら正しいと思うのであれば臆せず自我を出すべきだし、“親離れ”もすべきだろう。国会議員を含め、「すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」のだから。
【筆者略歴】
本田雅俊(ほんだ・まさとし) 政治行政アナリスト・金城大学客員教授。1967年富山県生まれ。内閣官房副長官秘書などを経て、慶大院修了(法学博士)。武蔵野女子大助教授、米ジョージタウン大客員准教授、政策研究大学院大准教授などを経て現職。主な著書に「総理の辞め方」「元総理の晩節」「現代日本の政治と行政」など。
記事提供元:オーヴォ(OvO)
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