ひろゆき、篠田謙一(国立科学博物館長)に人類の歴史を学ぶ⑪「渡来人は弥生時代だけじゃなく、その後の古墳時代にも大量に日本に来ていた?」【この件について】
イチオシスト

「渡来人が多くやって来たのは、日本列島の集団の遺伝子を大きく書き換えてしまう出来事だった可能性があります」と語る篠田謙一氏
ひろゆきがゲストとディープ討論する『週刊プレイボーイ』の連載「この件について」。分子人類学者で国立科学博物館長の篠田謙一先生をお迎えしての第11回です。
縄文人がいた日本に、稲作技術を持った弥生人がやって来て日本人のベースはつくられた。...と思っていたのですが、最新の研究によるとどうやら少し違うようです。では、何が違うのか?
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ひろゆき(以下、ひろ) 日本人のルーツについて、よく言われるのは「もともと縄文人がいて、弥生時代に渡来人がやって来て混血し、今の日本人ができた」という話ですよね。
篠田謙一(以下、篠田) いわゆる「二重構造モデル」ですね。ただ、当時の人たちのゲノムを解析していくと、渡来は弥生時代で終わるわけではないこともわかってきました。
ひろ え、そうなんですか? 弥生人が、今の日本人の直接の原型じゃないんですか。
篠田 ゲノムデータから見ると、弥生時代よりも後の時代にも日本列島へかなりの規模で人が流入してこないと、現代の日本人のような遺伝子構成にはならないことが予想されています。
ひろ じゃあ、今の僕らをつくった決定打は別の時代にあると。
篠田 そうです。弥生時代の後の古墳時代です。この時代に渡来人が多くやって来たという記録がありますが、それは小規模な移住レベルではなかった。日本列島の集団の遺伝子を大きく書き換えてしまうほどの規模の出来事だった可能性があります。大陸からの渡来は、弥生時代を超えて、古墳時代まで続いたのでしょう。
ひろ つまり、日本人のルーツは「縄文・弥生」の2段階ではなく、そこに「古墳」を加えた3段階がスタンダードになりつつあると。
篠田 時代から見るとそうなりますね。1000年を超える、長いスパンでの出来事なんです。
ひろ 古墳時代っていうと、遣隋使とか遣唐使の少し前ですよね。
篠田 はい。例えば「秦氏といった渡来系氏族が、大陸や朝鮮半島から集団ごと入ってきて大和やほかの地に住み着いた」という記述が『日本書紀』や『風土記』などに残っています。秦氏は養蚕や土木技術を伝えたことで有名ですよね。
ひろ そう考えると、一般的に言われている「高度な技術と文化を持った人たちが関西に入ってきて、そこで豪族になったり、貴族になった」というストーリーのほうが、遺伝子的なデータとも整合性があるということですね。
篠田 今のところ関西地方、特に大和政権の中心地でのゲノム解析が十分に進んでいないので、確定的なことは言えません。ただ、稲作やそれに付随する新しい技術を持った渡来系の人たちのほうが、人口も増やしやすかったはずです。彼らが爆発的に子孫を増やし、在来の人々と混ざり合っていった。......あと、補足しておきたいのですが、弥生時代を定義づけるのは水田稲作だけではないんです。
ひろ ほかにもあるんですか?
篠田 金属器です。鉄や青銅は、縄文時代には存在しませんでしたから、これらが出現することが弥生時代になったという重要な指標になります。また、これまでは稲作と金属器はセットで入ってきたと考えられてきましたが、最近の研究では水田稲作の開始時期が紀元前10世紀頃までさかのぼる可能性が出てきた一方で、金属器の普及はそれよりも数百年遅れることがわかっています。
ひろ 数百年単位のタイムラグがあるんですね。
篠田 ということは、最初に水田稲作の技術を持った第1波の渡来があって、その数百年後にまた別の金属器を使いこなす第2波の人々がやって来たと考えざるをえないんです。ひと口に弥生渡来人と言っても、実は何度も波のように押し寄せていたのでしょう。その故郷も違っていたのかもしれません。そして、その後の古墳時代にやって来た移住の波が、現代日本人のゲノムに大きな影響を与えた。
ひろ 例えば昔の日本の通貨である「和同開珎」も、最初は朝鮮半島で造らせて持ってきていたなんて話もありますよね。そうなると、当時の日本は鉄も自給できなくて、ハイテク製品は全部、外からのもらい物だったんですか?
篠田 ええ。日本列島で原料砂鉄などから作り始める製鉄が本格化するのは随分後になります。最初は「鉄鋌」と呼ばれる板状の鉄の塊を交易で輸入し、それを熱して加工するだけ。あるいは製品そのものを輸入していました。この鉄の輸入依存は、古墳時代の中期まで続きます。馬が入るのも古墳時代ですね。
ひろ そっか。そうすると、鉄の生産ラインを握っている朝鮮半島由来の人たちのほうが、武器も農具も強いわけだから、圧倒的に優位ですよね。
篠田 道具の性能差、すなわち文明の格差は決定的だったでしょうね。技術でも農業生産力でも太刀打ちできない。まさに圧倒的な力を持った文明人の流入です。
ひろ なるほど。
篠田 その高度な技術を持った人々を日本側が戦略的に取り込んでいった面もあります。例えば朝鮮半島で百済などの国が滅亡するような政情不安があると、難民化したエリート技術者たちが一気に日本へ流れ込んでくる。日本側も彼らを受け入れ、特に畿内などで大きな勢力になっていく。こうしたダイナミズムがあったことは文献でも示唆されてきましたが、ゲノム解析の結果も「弥生時代までの渡来人だけでは、現代日本人の構成は説明できない」という結論を後押ししています。
ひろ 言い方を変えると「百済系の人たちが日本に来て、技術と人口で圧倒したような状態で、自分たちの遺伝子を列島全体に広めていった」。そう考えると、今の僕らの遺伝子構成はすっきり説明がつくってことですか?
篠田 結果として、その系統の遺伝子がつけ加わっていったということです。ただし、ベースには縄文系や初期渡来系の人たちが数多く存在していましたから、先住民が絶滅して入れ替わったわけではありません。多重構造的に交ざり合っていったんです。
ひろ その交ざり合わせの比率がわかれば、自分のルーツももっと細かく見えてきそうですね。
篠田 そこが今後の課題です。当時の日本にどれほどの人口がいて、どのタイミングでどれくらいの渡来人が入り、どのような割合で混合が進んだのか。その詳細な動態を出すには、まだ古代ゲノムのデータが足りません。
ひろ でも、今の現代人のDNAを調べれば「あなたの何割は百済系ですよ」みたいなことは、もうわかるんですよね?
篠田 現代人の分析は進んでいますが、比較対象となる古代の骨の全ゲノム解析が難しいんです。特に朝鮮半島のゲノムデータは決定的に足りていません。日本列島ですら、保存状態のいい骨から現代人並みの精度でデータを取れる個体はまだ限られています。ですが、将来的に各時代のサンプルが1000人規模でそろえば、歴史のパズルは完成するでしょうね。
ひろ 「この遺伝子は5世紀のこのタイミングで、朝鮮半島のこのエリアから来た」ということまでわかると。
篠田 そうです。これまでは「なんとなく交ざったんだろう」ということしか言えませんでしたが、将来的には「弥生のこの段階でこのゲノムが入り、古墳時代にこのゲノムが合流した」というように日本人の形成プロセスを段階的に説明することができるようになるはずです。
ひろ うほほ。
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■西村博之(Hiroyuki NISHIMURA)
元『2ちゃんねる』管理人。近著に『生か、死か、お金か』(共著、集英社インターナショナル)など
■篠田謙一(Kenichi SHINODA)
1955年生まれ。分子人類学者。国立科学博物館長。主な著書に『人類の起源』(中公新書)、『日本人になった祖先たち』(NHKブックス)など。2026年2月23日まで、東京・上野の国立科学博物館では特別展「大絶滅展」が開催中
構成/加藤純平(ミドルマン) 撮影/村上庄吾
記事提供元:週プレNEWS
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