副社長のスパイと疑われ干された駆け出しの頃――【あの懐かしの映画を語ろう】第7回〈わが青春の日活・ロマンポルノ〉
イチオシスト
映画を創った人だけが知っている物語がある──
80年から90年代を彩った日本映画の舞台裏に迫る、「キネマ旬報」公式YouTubeチャンネルのオリジナル番組〈あの懐かしの映画を語ろう〉。第7回の前編が12月26日(金)より配信された。元にっかつプロデューサーの山田耕大氏に今回語っていただくのは、日活(にっかつ)に入社してから担当した数々のロマンポルノ作品について。今回は前編と後編の内容をまとめてご紹介する。

そもそも今回のメインの話として予定していたのは「ダブルベッド」(1983年)。荒井晴彦氏が脚本を手掛けた作品だが、実は山田氏も書いていたと言う。本作を含めロマンポルノを語るうえで荒井氏は外せないからという事で、話は一気に山田氏の新人時代まで遡りスタートする。
日活入社後の社員の通例として、劇場勤務をすることになった山田氏。その配属先が〈池袋北口にっかつ劇場〉だったそうだが、約5カ月で撮影所に呼ばれることに。同じ日活の後輩である聞き手の平田氏も「最短ですよね!」と驚くほど、異例の早さでの本社配属だったらしい。このことからも会社の期待の高さを窺わせるエピソードであるが、数週間で呼ぶと人事部に言われていた山田氏は「いい加減な会社なんだよ」。と苦笑する。
しかし、企画部に異動になった初日、定時には誰ひとり出社して来ず、昼頃になってようやく現れた上司からは「お前に教えることは、何もない。勝手に学べ」と冷淡な一言。企画部の総力を上げて臨むと号令が掛かった作品にも参加できず、それでも生まれて初めて映画の脚本を読むなど、新人として奮闘する山田氏。そんな中、初めて担当した作品が上司がノリで副題を付けたと言う「おんなの寝室 好きくらべ」。記念すべき作品であるのは事実だが、後に自身の結婚披露宴の新郎紹介で、このタイトルを読み上げられて恥ずかしかったと言う。
“デビュー作”から半年も経たないうちに5本の作品をたて続けに担当していたが、ここから自分の企画は通っても、その作品の担当にはつけなくなってしまったと言う。どうして干されてしまったのか。この理由は完全なる誤解によるもので、山田氏にとってもまさに青天の霹靂。本稿の見出しにもある“スパイ疑惑”を掛けられたエピソードが前編の山場である。この詳細についてはぜひ本編をご覧いただきたい。
そのほか前編では、初めに山田氏が触れた、ロマンポルノを語るうえで外せない重要人物・脚本家の荒井晴彦氏に対する、数々の“無茶ぶり”エピソードが語られる。さらに後編では、ロマンポルノ作品に関わる様々な個性あふれる人たちが話題に登場。脚本の直しを依頼するために会った寺山修司、「狂気に満ちた目をしている」那須博之監督、朝から撮影所でニワトリを追いかける南部虎弾、矢継ぎ早にアイデアを出していく久世光彦、フランシス・フォード・コッポラ等々……。昭和の空気を背景に、時代を彩ったロマンポルノの歴史の一片が、山田氏によって鮮明に語られる。
今回は前編を12月26日、さらに後編を1月1日に公開。年末年始という時間のある折、前編後編共々、ぜひゆっくりと楽しんでいただきたい。
記事提供元:キネマ旬報WEB
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