新しい冒険の幕開け~シンガポール(前編)【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】
イチオシスト

シンガポールと言えばコレ、というランドマーク的ホテル「マリーナベイサンズ」。
東京大学医科学研究所教授のほかに、いくつかの大学で客員教授の肩書きを持つ筆者。今回の前後編のコラムでは、シンガポールのある研究所でこの肩書きを取得するに至った経緯について明かす。
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【3度目のシンガポール】2024年最後の海外出張先はシンガポール。この訪星(シンガポールは漢字一文字で「星」)の目的はふたつ。招待された国際会議での基調講演と、ある研究所での打ち合わせである。
訪星はこれが3度目。初訪星は、2022年11月に開催された「ワンヘルス(One Health。詳しくは73話や80話、124話を参照)」に関する国際会議に参加するためだった。アジアを代表するウイルス学者のひとりであるリンファ・ワン(Linfa Wang)教授が主催した国際会議である。
――それはちょうど、南アフリカ・セントルシアで開催されたワークショップ(15話)の1週間後のことだった。
南アフリカのワークショップで、いまでは知己となったラヴィ(ケンブリッジ大学教授。56話や86話、143話などに登場)やシンガポールの研究者と会った。そしてその1週間後にシンガポールで彼らと再会、という、なんともグローバルなイベントが続いた。パンデミックでずっと閉ざされていた世界とつながる窓が、一気に開いた感じがしたのを覚えている。

2022年11月、シンガポールにて。筆者とラヴィ。南アフリカ・セントルシアでのツーショット写真(15話)のちょうど1週間後のことだった。
2022年の初訪星では、リンファと、共同研究の可能性について相談することを希望していた。しかし彼は、主催する国際会議の運営で多忙を極めていて、その時間を作ることができなかった。「それでは打ち合わせは後日改めて」ということになり、その数ヵ月後の2023年2月に、私は再び訪星した。

2023年2月、2度目の訪星の時にリンファにもらった本(左)。彼のサイン入り(右)。
世界との距離感がまだうまくつかめていなかった2023年初頭。思い返せば、G2P-Japanによる新型コロナの研究成果を携えて、面識のない研究者たちに会うために、世界中のいろいろな大学や研究所に突撃訪問するようになったのはこの頃からだった。
それから2年弱を経た2024年の末。この連載コラムでも折々に紹介してきたように、いろいろな国でのいろいろな経験を経て、講演のスタイルや自分の立ち位置など、新型コロナ研究にまつわるさまざまなことが、自分のからだになじんできた実感がある。
こういう定点観測のようなところから、成長の手応えを感じることができる。すこし前までは難しかったことが、すんなりとできるようになっていたりする。
昔のことを振り返ってみると、エイズウイルス研究に従事していた頃に毎年足繁く通っていた、アメリカ・ニューヨーク州で開催されるコールドスプリングハーバー研究所での研究集会(52話)。これもある意味、自分の成長を確かめるための「定点観測」のような位置付けだった。
【シンガポールでのふたつの目的】羽田からシンガポール・チャンギ国際空港までは6時間半。まずはひとつ目の目的である、国際会議での基調講演。私にしては珍しくきちんとスーツを纏い(海外でスーツを着るのはこれが2度目)、1時間近い講演をそつなくこなした。
シンガポールでは、香港(78話)やイスタンブール(155話)のような熱狂的な反応はなく、私を「新型コロナウイルス学者」と認知した上できちんと挨拶や質問をする、という真摯に礼儀正しい反応でちょっと面食らった。
滞在中には、「ホーカー」と呼ばれる、屋台がひしめくフードコートのような場所によく足を運んだ。屋外に並んだ席に座って、氷の浮いた薄いビールを飲みながら、鶏肉のサテーやラクサを食べた。滞在先のホテル近くにあったインドネシア料理屋のナシゴレンがめちゃくちゃ旨くてハマってしまい、ランチは毎日そこで食べた。

(左)発表を終えて、集会場近くのホーカーで食べたサテー(東南アジア風焼き鳥)。(右)滞在したホテルの近くにあったインドネシア料理屋のナシゴレン。カレーのルーのような餡はブラックペッパーチキン味。これがまためちゃくちゃ旨かった。
そしてふたつ目の目的の、研究打ち合わせである。訪問先は、アメリカのデューク大学とシンガポール国立大学が共同で設立した医学系大学院、「デューク・シンガポール国立大学医学部(Duke-NUS Medical School)」の感染症部門。
前出のリンファはここの前部門長。現部門長であるギャビン(Gavin Smith)、2022年来の友人であるヤオシン(Yaw Shin Ooi)、そしてオランダ人のマート(Mart Lamers)たちと、これからの共同研究の可能性についての打ち合わせをした。
ちなみにマートは、オランダ・ロッテルダムのエラスムス大学医療センターで博士号を取得している。世界は狭いもので、マートは、2023年にロッテルダムで会ったバート・ハーグマンス教授(40話、72話)の教え子である。
ここでの研究打ち合わせには、私にとって、あるいは私の将来にとって、とても重要な意味合いがあった。
【そして、「新しいチャレンジ」のはじまり】この訪星のおよそ半年後。Duke-NUSでの私の客員教授のポジションが承認された。
経緯を話すとすこし長くなるし、こういうことをわざわざ公にするメリットも必要性も私にはないのだが、「こういうキャリア展開もある」という「アカデミア(大学業界)」の一例を示すことにももしかしたら何か意味があるのかもしれない。一般読者にはちょっと退屈な話になってしまうかもしれないが、後編ではあえてその裏話を書いてみようと思う。
――はじまりは、2023年2月。2度目の訪星のときのことだった。
※後編に続く
文・写真/佐藤 佳 写真/PIXTA
記事提供元:週プレNEWS
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