「Tシャツの裾の歴史」から若者たちへの"呪い"の正体を明らかに?
イチオシスト

「Tシャツの裾出しはファッションのカジュアル化、マニュアルからの解放の象徴でした」と語る高畑鍬名氏
最近の若者にとっては「Tシャツの裾をパンツにインしないとダサい」ということになっている。しかし約20年前、オタクの象徴『電車男』(2005年のフジテレビのドラマ)の主人公はシャツをインしたため笑われた。
かつてダサいとされた着こなしが、突如としてイケている着こなしになる――。
このTシャツの裾を巡る価値観の変化を、明治時代における洋装文化の始まりから戦後、バブル期や渋カジの台頭、そして現代までたどった『Tシャツの日本史』。
膨大な資料を基に明らかになったのは、どの時代の若者も抱えてきた「ダサいと言われたくない」という〝呪い〟の歴史だ。著者の高畑鍬名(たかはた・くわな)氏に聞いた。
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――この本を読んで以来、ずっとTシャツの裾をインすべきかどうか迷い続けています。
高畑鍬名(以下、高畑) ここ10年のトレンドは完全にインですからね。でも、僕もこの年齢(41歳)でインする度胸はないから、若者以外は気にしなくて大丈夫です(笑)。
――そう聞いて安心しました。このような服の着こなしを巡る同調圧力について、本書では〝呪い〟と表現しています。
高畑 服装をバカにされるのではないか、という不安は若者にとって本当に切実です。僕自身も若い頃はそうで、服の着こなしひとつで人格まで否定された気持ちになるのはおかしいという思いがある。
ファッションを思春期とケアの問題だととらえているので、この呪いの正体を明らかにしたい。服がイケているかどうかの同調圧力に傷つく人を少しでも減らしたいんです。
――その中でもTシャツの裾を執筆テーマにした理由は?
高畑 本書の元になったのは大学院の修士論文ですが、それ以前に映画の現場で衣装助手をやったことがきっかけです。映画やマンガのファッションをスタイリストの目線で見るようになって、90年代から登場人物が唐突にTシャツの裾を出し始めたことに気がつきました。
この急激な変化の理由を考察した論文だったのですが、今度は2010年代の中頃から再び常識が変わり、裾のインが若者に大流行する。しかも、彼らの話を聞くと、「Tシャツをインしないとバカにされる」とさえ感じていることがわかった。
ということは、僕らが何げなく着ているTシャツには、時代ごとのおしゃれに関する意識が象徴されているのではないか。そう考え、本格的にTシャツの歴史を調べていったのです。
――その結果、Tシャツにジーンズという普遍的なファッションスタイルにも、時代ごとの変遷があるとわかった。
高畑 むしろ、普遍的なファッションだから、時代ごとの意識が反映されやすい。最初にTシャツにジーンズを定着させたのは、戦後の映画スターたちです。
海外ではマーロン・ブランドやジェームズ・ディーン、日本では石原裕次郎ら俳優が白いTシャツを若者にはやらせました。
ただ、当時は裾をインするのが普通であり、その流れは80年代が終わるまで続きます。
「Tシャツの裾を入れないとダラしない」と母親に注意された人も多いはず。
しかし、90年代初頭に台頭した渋カジが価値観の大逆転をもたらします。渋谷周辺で遊ぶ若者たちがTシャツの裾を出すようになりました。これはバブル期のDCブランドブームへの反発という側面もありました。
というのも、80年代はジャケットにシャツが若者のイケているファッションであり、Tシャツはパンクスやヤンキーマンガで不良が着ているものという扱いでした。バブル期は日本のファッション史でも珍しい、メインストリームの若者たちがTシャツを拒絶した時代でした。
――同時に『POPEYE』などのファッション誌が大きな影響力を持った時代でもありました。
高畑 ファッション誌が提案する着こなしを、いかに早く実践するか。それが当時の若者たちの最も大きな関心事であり、大人から「マニュアル世代」と揶揄されたほどでした。何がダサいかをファッション誌が決める時代が訪れ、着こなしを巡る同調圧力はかつてないほどすさまじいものになりました。
とはいえ、新しいトレンドは常に先輩世代への拒絶から始まります。ここまで過剰なマニュアル主義がはやると、次の世代は反対に自由な着こなしを求めるようになります。
それが渋谷の路上から生まれた渋カジであり、Tシャツの裾出しはファッションのカジュアル化、マニュアルからの解放の象徴でした。
――本書では、この時代を「反抗期」と評しています。それは先輩世代だけでなく、ファッション誌への反抗でもあった。
高畑 ただ、渋カジがカウンターだった時代もすぐに終わり、今度はTシャツの裾出しが新たな〝常識〟としてマニュアル化しました。だから、渋カジ時代に青春を過ごした世代はTシャツをインすることに抵抗感を覚えてしまいます。
『電車男』のタックインがバカにされた理由もそれです。そして、この常識に対する反発として今度は「裾は入れたほうがイケている」という新たな同調圧力が生まれている。
結局、マニュアルから完全に自由になるのは難しい。この現象は本当に根深くて、僕も最初はファッション誌が原因だと思っていましたが、歴史を調べると、今から約100年前に「モタンボーイ」という言葉があったことがわかりました。
これは「持たない野郎」という意味で、イケている若者を表す「モダンボーイ」の対義語。要するに、いいスタイルや財産を持ってないやつを皮肉った言葉です。ほとんどの若者は「モタンボーイ」だから「自分はイケてないかもしれない」という不安がある。だから正解を知りたい。まさに呪いです。
――しかも、その呪いは約100年前からずっと続いていた。
高畑 もっと昔、江戸時代から着こなしに悩む男性はいたこともわかっています。間違いなく、その前にもいたはず。この呪いを解くことは容易なことではないですが、本書で呪いが生まれる仕組み自体は明らかにできたと思っています。
センスに自信があり、ファッション誌を読まなくて済むことは幸福ですが、なかなか難しい。みんなと同じほうが安心だったり、着たい服なんてない人のほうが多いわけです。それでいい。
同調圧力に悩む人が本書を読んで、自分が本来持っている自由を見つめ直すそのひとつのきっかけになればうれしいです。
●高畑鍬名(たかはた・くわな)
1984年生まれ、東京都出身。2004年、映画『紀子の食卓』に衣装助手として参加。その後、映像関係の仕事に携わる一方、10年よりTシャツの「タックイン/アウト」の研究を本格的に開始。14年に早稲田大学文学学術院の表象・メディア論コース修了。21年に初の個展「1991年の若者たちがタックアウトしたTシャツを2021年の君たちは」を開催
■『Tシャツの日本史』
中央公論新社 2200円(税込)
Tシャツの裾さばきの歴史的変遷から、日本の若者を覆う同調圧力の謎を追う一冊。長い間、Tシャツは日本史の死角にあった。日本の若者たちは、周りの友達と同じようにTシャツの裾をさばかないと「ダサい」と言われ、笑われてしまう世界に生きてきた。この呪いを解くべく、古今東西の資料を読み解き、裾のインとアウトの変遷や構造を調査。Tシャツの日本史を記すことで、この国で発生した同調圧力の遍歴を書き留めるスリリングな作品
取材・文/小山田裕哉 撮影/宮下祐介
記事提供元:週プレNEWS
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