内部告発者を潰す有名企業の「スラップ訴訟」が蔓延するワケ
イチオシスト

「退職代行モームリ」の運営会社であるアルバトロスが入るビルから、資料の入った段ボール箱を運び出す警視庁の捜査員ら
嫌がらせ目的で企業が個人を訴えるスラップ訴訟の事例が後を絶たない。正義感から内部告発を行なった者に対するその仕打ちは、長引く裁判や世間から向けられる好奇の目で徐々に告発者の心をむしばんでいく。
いったいなぜ、このような不条理な訴訟を起こすことが許されるのか? 内部告発者を守るはずの法制度の欠陥と、日本に根づく独自の企業文化の闇に迫った。
【容疑と無関係の発言で2200万円の訴訟】2000年代初頭、内部告発によって食肉の産地偽装や自動車会社のリコール隠しといった問題が世間にあぶり出された。
その際、告発者が報復で不利益を被ったことを受け、06年4月に施行されたのが公益通報者保護法。内部告発した者に対しての解雇や減給といった不利益な措置は禁止とすることを明記し、告発の機運の高まりが期待された。
ただ、その後も法改正が重ねられ厳格化が進み、世論の批判を浴びることになっても、告発者潰しは収まらない。
企業や団体の不正を正すべく告発に踏み切った人々を守るために設けられた、公益通報者保護法の網をかいくぐった報復同然の言論封殺は今も横行する。
果ては、嫌がらせ目的で裁判を起こす「スラップ訴訟」という新手の意趣返しまで行なわれ、告発者を萎縮させる社会的なムードは、時代を経てもまったく変わっていない。
直近で言えば退職代行サービスで脚光を浴びた「モームリ」の事例が記憶に新しい。10月22日、退職希望の顧客を弁護士に斡旋して報酬を得ていたとして、警視庁が弁護士法違反(非弁行為など)の疑いで、運営会社のアルバトロスに家宅捜索に入った。全国紙社会部記者が解説する。
「アルバトロスは退職代行が主力事業のベンチャーですが、近年は競合他社が増えて競争が激化。一方、金銭交渉などにタッチすると非弁行為に抵触するため、サービス内容を拡充できないというジレンマを抱えていました。
そこで、未払い賃金の請求など弁護士のサポートを必要とする退職希望者を、同社が提携する弁護士に紹介。その見返りとして法律事務所からアルバトロスに、実体のない労働組合への賛助金の名目で斡旋料が渡っていたとみられています。
モームリを巡っては、今年4月に元従業員による告発記事が週刊文春で報じられ、弁護士からのキックバックや谷本慎二社長のパワハラが追及されています」
この強制捜査の2日後、退職代行について情報発信している嵩原安三郎(たけはら・やすさぶろう)弁護士が自身のYouTubeチャンネルで、モームリを告発した元従業員ふたりが6月、会社側から2200万円もの巨額の損害賠償請求訴訟を起こされていたことを明かした。
代理人を務める嵩原氏によれば、訴状では弁護士法違反の告発についてはまったく触れられず、元従業員がライブ配信で「モームリ内部でパワハラがあった」とただ1回だけ発言したことが不法行為だとする訴えだという。
「この裁判の真の目的は、非弁行為についての発言を撤回させること、あるいは、これ以上話さないように口封じを図るものではないか」
嵩原弁護士は動画内でこのように述べ、法外な請求額も踏まえて嫌がらせ目的のスラップ訴訟であるとして不当性を訴えている。
労働法が専門で、公益通報者保護制度に詳しい淑徳大学の日野勝吾教授は、今回の訴訟を次のように問題視する。
「そもそも非弁行為は、契約内容など内部の者しか知りえない情報がないと立証できず、告発がなかったら闇に埋もれていた。勇気を出して不正を暴いた正義感にのっとった行為なのに、スラップ訴訟というかたちで高額な賠償金を請求されると、声を上げた人が後悔に陥り、これから声を上げる人も萎縮する恐れがあります」
大手企業の事例も多い。サカイ引越センターの従業員が22年、依頼者の個人情報が記載された見積書の写しが半透明のごみ袋に入れて廃棄されていた問題を東京新聞に告発。
サカイはその後退職した彼らに対し、「会社の信用を傷つけた」として100万円の損害賠償を求めて提訴していることが今年7月わかった(現在も係争中とみられる)。
告発者潰しをするのは民間の企業だけではない。兵庫県では昨年、斎藤元彦知事によるパワハラ行為などを告発する文書を記し、マスコミに配布した県幹部が、「業務中に嘘八百の文書を作成した」と処分され、その後に死亡した。
この県側の対応に知事への批判が集中し、斎藤知事は出直し知事選に臨んで再選したものの、メディアや反斎藤派の追及は収まらず、分断とも言える状況が続く。
また、福岡県でも今秋、土地買収で法外な支出があったとの毎日新聞の報道を巡り、情報提供した職員を特定する調査が行なわれ、告発者潰しだと問題視されている。
こうした告発者への攻撃や、法廷の場に引きずり出すスラップ訴訟の事例が増えている。前出の日野教授が解説する。
「公益通報者保護法では、告発によって生じた損害は請求できないと規定されているのですが、裁判所に訴えを起こすこと自体は認められています。そのため金銭目当てではなく、告発者の萎縮や口封じを狙ったスラップ訴訟がはびこってしまうのです。
また、告発された内容自体は争わず、モームリのように本題と直接関係のない事案を引っ張り出すとか、内部文書を勝手に外部に持ち出したことをもって窃盗行為だと訴えるケースも増えています。アメリカの多くの州法のように、嫌がらせや報復目的の訴訟は裁判所が早期却下の申し立てを受けるという法的な立て付けが、日本にも必要なのですが......」
【30年以上も冷遇。暴力団も自宅に......】そんな告発者には、法的リスクだけでなく企業からの冷遇が待っていることもある。内部告発に立ち上がったことで、30年以上も閑職に追いやられた人物がいる。富山県在住で運送会社トナミ運輸の元社員、串岡弘昭さん(79歳)だ。
串岡さんは、大学を卒業してトナミに入社。背広組の営業職として各地の営業所を渡り歩き、当時は将来を嘱望されていた。
岐阜営業所に勤務していた1974年、中東危機に伴うオイルショックでガソリン価格が高騰する中、田舎の過疎地域に対して従来の3倍近い運賃を設定したり、約50社で組織するトラック連盟が闇カルテルとなって談合していたことを知る。
串岡さんは「顧客の弱みにつけ込んだ自由競争に反する行為だ」と副社長に是正を訴えたが、聞き入れられなかった。意を決して読売新聞に情報提供し、告発が1面トップで報じられた。串岡さんは所管の運輸省や公正取引委員会にも事案を伝え、業界側は闇カルテルの存在を認めて新聞に破棄公告を出した。
しかし、勇気ある告発者である彼に待っていたのは、会社からの執拗な退職勧告だった。上司らに何度も「この会社にいても将来はないよ」と言われ、同郷の取締役が串岡さんの自宅に押しかけ、夜の7時半から翌朝の4時半まで「会社を辞めろ」の一点張りで退社を強要してきたことも。
「暴力団の若頭を名乗る男が来て、『辞めないなら、若い者を使って交通事故で殺すぞ』と脅されたこともありました。懇意の新聞記者には『私が亡くなったら事故ではないから』と伝えていました」
翌75年に研修所に配属され、ここが06年の定年退職までの最後の勤め先となった。仕事といえば草むしり、布団の上げ下ろし、雪下ろしなどの雑務しか与えられず、月の手取りは約18万円から昇給しなかった。
裏切り者扱いの串岡さんに、擁護はおろか接触を図ろうとする同僚は皆無だった。疎外感や屈辱感に打ちひしがれても、「辞めるべきは経営者だ」という固い信念が自らを奮い立たせた。また、自らと同じ境遇の内部告発の経験者や地元のボランティア活動といった外部との交流を通じて人間性を保った。
02年、長年にわたる昇格差別や人権侵害による損害賠償を求めてトナミを提訴。05年の一審判決で約1400万円の支払いが命じられ、控訴審で和解した。
「会社の措置が報復だったこと、ヤクザに恫喝されたことなどが事実として認定された」
告発によって不遇まみれの会社員人生を余儀なくされた串岡さん。後悔はないが、法への不満は残る。
「公益通報者保護法は労働者を守っていない。告発して報復を受けても、告発者が裁判で訴えないと是正されないんです。一般の人が裁判を起こすのにどれだけの労力やカネがかかることか。
また、報復はいけないという理念はあるものの、人事権は会社が握っているから、配置や賃金、昇格で不当な差別が生まれる余地は残っているのに、まったく考慮されていない」
前出の日野教授も公益通報者保護法の欠陥を嘆く。
「企業側も告発されたことを理由にあからさまな報復は行なわない。代わりに『勤務態度が悪い』『成績が悪い』など別の理由をつけて、懲戒や減給といった仕打ちをする。結局、いくらでも告発者潰しができる、いわゆる〝ザル法〟のままと言われても仕方ありません」
その上で日野教授は、日本人の国民性にも言及する。
「告発は企業にとって改善につながる行為なのに、いまだにムラ社会的なムードが強く、経営陣からは『和を乱した』と冷ややかに見られる。
さらに『不正に得たカネで給料をもらっているんだから、おまえも同罪だろ』という同調圧力が告発をためらわせてしまう。空気を読む組織風土をつくり上げていると思います。
公益通報者保護法の強化だけでなく、海外のように違法行為で稼いだ収益は国庫に返納させる制度を拡大するなど、不正を起こさせない抑止力のある制度設計が必要だと考えます」
組織の改善につながる告発を、単なる憂さ晴らしと軽視するムードが改まらない限り、スラップ訴訟をはじめとする告発者潰しは終わらない。
取材・文/武田和泉 写真/共同通信社
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