藤田さいきインタビュー 柔軟な考えで“変化”を求めて進化「今のモチベーションは7回目のホールインワンです」【11年ぶり復活Vを紐解く】
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イチオシスト
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「大王製紙エリエールレディス」で史上2番目のブランクとなる11年35日ぶりに通算6勝目を挙げた37歳の藤田さいき。優勝のほか、2位も3回あり、メルセデスランキングは10位。年間獲得賞金はキャリア最高の約7900万円を稼いだ。平均ストロークも自己ベストをマークし、まさに今がピークともいえる数字を残した。シード選手として全美貞(韓国)に次ぐ年長者。長年戦えるヒミツはどこにあるのだろうか。
■2年のシード落ちから這い上がって復活V
1985年生まれの藤田は、いわゆる宮里藍世代。2005年に19歳でプロ転向し、06年に「プロミスレディス」でツアー初優勝を遂げて初シードを獲得。18年、19年はシード落ちの憂き目にあったが昨シーズン見事に返り咲き、今年の復活Vにつなげた。初優勝からほぼ毎年優勝を遂げていたが、2011年の「富士通レディース」以来、11年ぶりの歓喜となった。
男女問わず、長年シード権を保持して一度手放すと第一線に戻れる選手は少ない。ベテランになればなるほど体力的な問題や過去の失敗経験がよぎるなど、「一度落ちると戻るのは難しい」と話す選手は多い。今年37歳になった藤田さいきは、33歳だった2018年にシード権を喪失。19年も復帰はかなわなかったが、コロナ禍で統合された20−21年シーズンに36歳ながら賞金ランキング28位で華麗なる復活を遂げた。今年はキャリアハイといえる成績を残した。
2年間のシード落ちから20−21年シーズンには優勝を意識できる状態にパフォーマンスは上がり、今年は復活優勝に向けての手応えがあった。「結果は分からないけど、何回か優勝争いをするんじゃないかな?と思っていました。それぐらい自分の中では土台はできている気持はありました」。2005年にキャリアをスタートさせたが、ここ数年は取り組み方や考え方を変えるなど、プロゴルファーとしての“意識改革”が奏功した。
転機となったのは12年守ったシード権を手放した2018年。翌年のツアーの出場権をかけたQTを経験したことで、「QTの辛さを考えたら…試合は楽しいと感じました。ゴルフって楽しいんだなって思うようになったんです」。しびれるような雰囲気のQTを経験したことでゴルフの楽しさを再発見した。その後、「自分でいろいろ考えるようになりました」とゴルフに対しての向き合い方が変わった。
意識改革の一つは、ゴルフの知識を増やすこと。ウィークポイントだったパッティングを見直すために4年ほど前から大本研太郎コーチに師事。また。トーナメント会場では辻村明志コーチ、井上忠久コーチといった様々なプロコーチと積極的に話をするようになった。「色々な方々の話を聞くようになって、自分の中で凄く変わりました。もともと頑固なので、人の話を聞かない人間でしたから(笑)」。自分が感じたことを相談してアドバイスをもらって実践する。「ゴルフの情報が入ってくると、よりゴルフが楽しくなりました」。30歳を過ぎてからゴルフを上達するためのどん欲さが増してきた。
■どこでもできる黒岩流トレーニングでスイングが安定
フィジカル面に関しては、勝てなかった時と違う取り組みを行った。7〜8年ほど前に父の主治医でもある北海道大学病院の嶋村剛教授を介して、北海道在住でプロ野球・西武ライオンズの元トレーナーの黒岩祐次氏と出会った。最初は北海道に行った時にみてもらう程度から少しずつトーナメントにも帯同してもらうようになり、今オフは黒岩流のトレーニングをみっちり行った。
一般的なジムでトレーニング器具を使うやり方とは異なり、ゴムチューブや台車など、どこにでもあるようなモノを使用する。「何かをやりながら別なことをやったり。ナニコレ?というものが多いんです」。ゴムチューブを腰に巻き人を引っ張りながら坂道を走ったり、不安定な台車に乗って投げられたボールをキャッチするなど、場所を選ばずお金もかけなくてもできるトレーニング内容で国内外の遠征先でも取り組めた。「一見簡単そうなんですが、終わるころには悲鳴を上げていました(笑)」。今まで使ったことのない筋肉にも刺激を与え、動ける身体になった。
シーズンが始まるとすぐに効果を実感した。「スイングの軸が安定しました。傾斜地からボールを打つときも以前よりぶれないなというのは感じました」。20代の若手に交じってドライビングディスタンスは250.06ヤードで8位に入るなど飛距離面だけでなく、スイングの安定感が増した。パーオン率も70パーセント越え、そして平均ストロークは自己最高の71.1624という数字にも表れている。年齢を考えても「黒岩さんがいなかったら私の体はここまで頑張ることは無理だったと思います」と振り返る。
■大好きな趣味がメンタルに好影響を与えた
練習のやり方も試行錯誤した。ツアー会場ではあまりボールは打たないことで知られるが、気になる事があれば近場の練習場で“コソ練”に精を出していた。夫の和晃さんが「もう休んだら」と言っても納得するまでやり続けることもあるという。
勝てそうで勝てないときには、逆にゴルフから離れる日があった方がいいのではないかと考えて、1週間の中で1、2日休みを作ったりもした。それでも勝てなかったので結局ほぼ毎日クラブを握ることにしたが、「感覚のいい日は30分〜1時間で終わることもあったし、何時間もボールを打つこともありました」と日々の練習もメリハリをつけるやり方に変化していった。
ラウンド中のメンタルも以前とは大きく違う。かつてはミスをすれば怒りモードになってリズムを崩すこともよくあった。最近はミスをしても、「怒りますけど、まぁ…いいか!って切り替えるのが早くなりました」。その理由は趣味の影響が大きい。
実は、数年前から釣りの虜になっている。「釣りはキャストミスもしますし、エサやルアーのチョイス、糸の太さやつけ方と言った様々な事があります。ゴルフも釣りも自然の中ですから、突然の出来事に対応もしなければなりません。我慢強くやる事もしばしば…。あれ?ゴルフと似ているな!と思い、今ではハマりました!」と話す。
ゴルフや釣りで同じような状況がきても「どう打つか、どう釣るか。を楽しみます。上手く打てたら、『上手く打てたじゃん、私』って自分を褒めるようになりました。釣りの時ではもっと自分を褒めています!藤田、頑張ってるって」。そう考えることでミスをして怒ってもすぐに気持ちを切り替えられるようになったと話す。
■稲見萌寧からは「ママ」と呼ばれる存在
マネージャーとしてツアーに帯同する夫が選手や関係者と話しをしていると、その会話に藤田も混ざる機会が増えた。若い頃は多くの人と話をすることはなかったが、今では誰とでも話をするようになった。同じ年の横峯さくらが「さいきっていつも誰かと話をしてるよね」と驚くほどだ。
そのため大がつくほどのベテランになっても、稲見萌寧には親しみを込めて「ママ」と呼ばれたり、原英莉花のファンを公言していたりと10歳以上年下の後輩達との関係も悪くない。勝みなみとはこんなエピソードもある。誕生日プレゼントで「塗ったらプリプリになりますよ」と透明なリップをプレゼントしてもらった。気分よく唇の上を滑らせると、それを見た夫からは「ん?天ぷら食べた?」と言われた。それを勝に伝えると、「マジか。次は色付きリップか…」と別なリップを次の週にはプレゼントをしてくれたと言う。
「今の女子プロゴルフ界は…とにかく層が厚いです。若い選手が次から次にどんどん出てきます。自分たちも進化を続けないといけない。自分の中では年齢問わず、若い選手からも吸収できるものは吸収したいと思っています。話をしていて、何かヒントが落ちていたりもします。みんな年齢に関係なく一人のプロゴルファーとして尊敬していますから」。強さを見せる若い世代とも接することで、色々なことを吸収しているのだ。こうした思考も行動も以前の藤田では考えられないことだった。
■最多の7回目のエースが最大のモチベーション
「物腰は柔らかく、考え方は柔軟に。しなやかな生き方は折れにくい」。どこかで聞いたような明言を藤田は口にした。物事の考え方や取り組みを柔軟にとらえて変化も恐れないことで、心が折れずに長くやれているのである。
来季の目標は自身で達成したことのない年間複数回優勝と「ホールインワン」と話す。これまでツアーでは6回のホールインワンを記録しており、ツアー歴代最多タイ回数を誇る。7回目を達成して単独での最多記録を狙っている。
「ホールインワンのモチベーション…凄く高いですよ」と記録を作ることに燃える。ただ、初めてホールインワンを達成したのは2007年の「日本女子オープン」。今年で6回目。不思議なことに3年周期で達成している。「あと3年はやらないと…」。これまでの流れでいくと40歳になる年での達成となる。最終戦では「ゴルフがうまくなっている」と話していたとおり、まだまだ成長過程。記録をどこまで伸ばせるか見ものだ。
<ゴルフ情報ALBA Net>
■2年のシード落ちから這い上がって復活V
1985年生まれの藤田は、いわゆる宮里藍世代。2005年に19歳でプロ転向し、06年に「プロミスレディス」でツアー初優勝を遂げて初シードを獲得。18年、19年はシード落ちの憂き目にあったが昨シーズン見事に返り咲き、今年の復活Vにつなげた。初優勝からほぼ毎年優勝を遂げていたが、2011年の「富士通レディース」以来、11年ぶりの歓喜となった。
男女問わず、長年シード権を保持して一度手放すと第一線に戻れる選手は少ない。ベテランになればなるほど体力的な問題や過去の失敗経験がよぎるなど、「一度落ちると戻るのは難しい」と話す選手は多い。今年37歳になった藤田さいきは、33歳だった2018年にシード権を喪失。19年も復帰はかなわなかったが、コロナ禍で統合された20−21年シーズンに36歳ながら賞金ランキング28位で華麗なる復活を遂げた。今年はキャリアハイといえる成績を残した。
2年間のシード落ちから20−21年シーズンには優勝を意識できる状態にパフォーマンスは上がり、今年は復活優勝に向けての手応えがあった。「結果は分からないけど、何回か優勝争いをするんじゃないかな?と思っていました。それぐらい自分の中では土台はできている気持はありました」。2005年にキャリアをスタートさせたが、ここ数年は取り組み方や考え方を変えるなど、プロゴルファーとしての“意識改革”が奏功した。
転機となったのは12年守ったシード権を手放した2018年。翌年のツアーの出場権をかけたQTを経験したことで、「QTの辛さを考えたら…試合は楽しいと感じました。ゴルフって楽しいんだなって思うようになったんです」。しびれるような雰囲気のQTを経験したことでゴルフの楽しさを再発見した。その後、「自分でいろいろ考えるようになりました」とゴルフに対しての向き合い方が変わった。
意識改革の一つは、ゴルフの知識を増やすこと。ウィークポイントだったパッティングを見直すために4年ほど前から大本研太郎コーチに師事。また。トーナメント会場では辻村明志コーチ、井上忠久コーチといった様々なプロコーチと積極的に話をするようになった。「色々な方々の話を聞くようになって、自分の中で凄く変わりました。もともと頑固なので、人の話を聞かない人間でしたから(笑)」。自分が感じたことを相談してアドバイスをもらって実践する。「ゴルフの情報が入ってくると、よりゴルフが楽しくなりました」。30歳を過ぎてからゴルフを上達するためのどん欲さが増してきた。
■どこでもできる黒岩流トレーニングでスイングが安定
フィジカル面に関しては、勝てなかった時と違う取り組みを行った。7〜8年ほど前に父の主治医でもある北海道大学病院の嶋村剛教授を介して、北海道在住でプロ野球・西武ライオンズの元トレーナーの黒岩祐次氏と出会った。最初は北海道に行った時にみてもらう程度から少しずつトーナメントにも帯同してもらうようになり、今オフは黒岩流のトレーニングをみっちり行った。
一般的なジムでトレーニング器具を使うやり方とは異なり、ゴムチューブや台車など、どこにでもあるようなモノを使用する。「何かをやりながら別なことをやったり。ナニコレ?というものが多いんです」。ゴムチューブを腰に巻き人を引っ張りながら坂道を走ったり、不安定な台車に乗って投げられたボールをキャッチするなど、場所を選ばずお金もかけなくてもできるトレーニング内容で国内外の遠征先でも取り組めた。「一見簡単そうなんですが、終わるころには悲鳴を上げていました(笑)」。今まで使ったことのない筋肉にも刺激を与え、動ける身体になった。
シーズンが始まるとすぐに効果を実感した。「スイングの軸が安定しました。傾斜地からボールを打つときも以前よりぶれないなというのは感じました」。20代の若手に交じってドライビングディスタンスは250.06ヤードで8位に入るなど飛距離面だけでなく、スイングの安定感が増した。パーオン率も70パーセント越え、そして平均ストロークは自己最高の71.1624という数字にも表れている。年齢を考えても「黒岩さんがいなかったら私の体はここまで頑張ることは無理だったと思います」と振り返る。
■大好きな趣味がメンタルに好影響を与えた
練習のやり方も試行錯誤した。ツアー会場ではあまりボールは打たないことで知られるが、気になる事があれば近場の練習場で“コソ練”に精を出していた。夫の和晃さんが「もう休んだら」と言っても納得するまでやり続けることもあるという。
勝てそうで勝てないときには、逆にゴルフから離れる日があった方がいいのではないかと考えて、1週間の中で1、2日休みを作ったりもした。それでも勝てなかったので結局ほぼ毎日クラブを握ることにしたが、「感覚のいい日は30分〜1時間で終わることもあったし、何時間もボールを打つこともありました」と日々の練習もメリハリをつけるやり方に変化していった。
ラウンド中のメンタルも以前とは大きく違う。かつてはミスをすれば怒りモードになってリズムを崩すこともよくあった。最近はミスをしても、「怒りますけど、まぁ…いいか!って切り替えるのが早くなりました」。その理由は趣味の影響が大きい。
実は、数年前から釣りの虜になっている。「釣りはキャストミスもしますし、エサやルアーのチョイス、糸の太さやつけ方と言った様々な事があります。ゴルフも釣りも自然の中ですから、突然の出来事に対応もしなければなりません。我慢強くやる事もしばしば…。あれ?ゴルフと似ているな!と思い、今ではハマりました!」と話す。
ゴルフや釣りで同じような状況がきても「どう打つか、どう釣るか。を楽しみます。上手く打てたら、『上手く打てたじゃん、私』って自分を褒めるようになりました。釣りの時ではもっと自分を褒めています!藤田、頑張ってるって」。そう考えることでミスをして怒ってもすぐに気持ちを切り替えられるようになったと話す。
■稲見萌寧からは「ママ」と呼ばれる存在
マネージャーとしてツアーに帯同する夫が選手や関係者と話しをしていると、その会話に藤田も混ざる機会が増えた。若い頃は多くの人と話をすることはなかったが、今では誰とでも話をするようになった。同じ年の横峯さくらが「さいきっていつも誰かと話をしてるよね」と驚くほどだ。
そのため大がつくほどのベテランになっても、稲見萌寧には親しみを込めて「ママ」と呼ばれたり、原英莉花のファンを公言していたりと10歳以上年下の後輩達との関係も悪くない。勝みなみとはこんなエピソードもある。誕生日プレゼントで「塗ったらプリプリになりますよ」と透明なリップをプレゼントしてもらった。気分よく唇の上を滑らせると、それを見た夫からは「ん?天ぷら食べた?」と言われた。それを勝に伝えると、「マジか。次は色付きリップか…」と別なリップを次の週にはプレゼントをしてくれたと言う。
「今の女子プロゴルフ界は…とにかく層が厚いです。若い選手が次から次にどんどん出てきます。自分たちも進化を続けないといけない。自分の中では年齢問わず、若い選手からも吸収できるものは吸収したいと思っています。話をしていて、何かヒントが落ちていたりもします。みんな年齢に関係なく一人のプロゴルファーとして尊敬していますから」。強さを見せる若い世代とも接することで、色々なことを吸収しているのだ。こうした思考も行動も以前の藤田では考えられないことだった。
■最多の7回目のエースが最大のモチベーション
「物腰は柔らかく、考え方は柔軟に。しなやかな生き方は折れにくい」。どこかで聞いたような明言を藤田は口にした。物事の考え方や取り組みを柔軟にとらえて変化も恐れないことで、心が折れずに長くやれているのである。
来季の目標は自身で達成したことのない年間複数回優勝と「ホールインワン」と話す。これまでツアーでは6回のホールインワンを記録しており、ツアー歴代最多タイ回数を誇る。7回目を達成して単独での最多記録を狙っている。
「ホールインワンのモチベーション…凄く高いですよ」と記録を作ることに燃える。ただ、初めてホールインワンを達成したのは2007年の「日本女子オープン」。今年で6回目。不思議なことに3年周期で達成している。「あと3年はやらないと…」。これまでの流れでいくと40歳になる年での達成となる。最終戦では「ゴルフがうまくなっている」と話していたとおり、まだまだ成長過程。記録をどこまで伸ばせるか見ものだ。
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