「ゴルフを続けられることが目標」一時は30キロ減の闘病生活を送っていた飯合肇の現在
昨年大会は自宅で闘病生活を送っていた飯合肇(71歳)が、2年ぶりに68歳以上のプロゴルファー日本一を争う「日本プロゴルフゴールドシニア選手権」(9月4~5日、大阪府・関空クラシックゴルフ倶楽部)の舞台に戻ってきた。
膵臓に腫瘍が見つかったのは2023年12月のこと。下血して病院でCT検査を受けると、「最初は膵臓ガンと言われた」。飯合は膵臓ガンで友人を2人亡くしている。「もう終わったと思ったね」。本人だけでなく妻と娘も「半分諦めていた」という。幸いにも最初の診断は誤診で、ガンではなかった。腫瘍を除去する手術を行い、すぐにリハビリすれば、24年3月のシニアツアー開幕戦に間に合うはずだった。
ところが、年が明けると体調はさらに悪化する。「膵臓を切って除去したんだけど、最初の処置が良くなくて、他の臓器に衝撃があって時間がかかった」。正月休みで主治医が2日間いなかったことで対応も遅れる。「途中で研究されているような気がしちゃった。何を治しているのか分からなくなっちゃった」。体調の回復が見込めないことから、3月にセカンドオピニオンを受け転院した。
「そこの先生が内臓の腐ったところを1カ月半かけてきれいに掃除してくれた」。結局、4月まで病院のベッドで過ごすことになる。それまでは24時間点滴で、4月下旬に退院してからは、妻と娘の手を借りて「鼻から管(くだ)を入れて栄養を摂っていた」。その管が取れたのは7月の終わり。ようやく口から食事が摂れるようになったのは8月に入ってから。当然、とてもゴルフができる状況ではなかった。
84キロあった体重は一時54キロまで落ちた。「痩せすぎて背骨が外に出ちゃっているから、やわらかいベッドでしか寝られなかった。初めて胸骨が痩せて出てきた」とみぞおちの辺りを触りながら話す。10月になると、ちょっとずつ体重が増加し、現在は70キロ台中盤まで回復。今年2月に行われた「ジャンボ尾崎ゴルフアカデミーセレクション」では、かなり痩せこけて取材陣を心配させたが、今は言われなければ大病を患ったようには見えない。
2024年のシニアツアーを全休し、最初にクラブを握ったのは12月。「友達やお客さんとコンペをして『87』くらいだった。それもレディスティよりも前のゴールドだから最悪だよ。クラブがこんなに重いものかと。1キロ以上のバーベルを持っているくらいのイメージだった」と振り返る。実際のドライバーの重さは300グラム前後、7番アイアンで400グラムちょっと。ボール用品契約を結ぶブリヂストンゴルフの協力のもと、軽いレディスクラブでリハビリを行い、2年ぶりのツアー参戦にこぎ着けた。現在ドライバーには、40グラム台のフレックスSのシャフトが挿さっている。
1993年にはレギュラーツアーで、2008年にはシニアツアーで賞金王に輝いた飯合も、今年のシニアツアーは3試合7ラウンドで70台は2度の「79」だけ。あとは80台のスコアが並ぶ。それでも「やっとゴルフらしくなってきた。ちょこっとバーディが取れたりしてきたから、まあまあかな」と本人は手応えを感じている。病気の前は250ヤードだったドライバーの飛距離は、一時200ヤードまで落ち、「今は230ヤードくらい」まで戻った。だが、「振れるときと振れないときの差が激しい」と飛距離はまだまだ安定していない。
今年3月に71歳の誕生日を迎えた。「試合に来る以上はそれなりのゴルフをしなきゃダメだと思っている。それが今はできない状態だけど出てきている。待っていたら来年は72歳で、次は73歳になっていっちゃうから同じだよ」。“それなりのゴルフ”ができるまで試合に出ず、練習を続けていても、どんどん年老いていく。だから飯合はアンダーパーが出ないと分かっていながら戦いの場を選んだ。
最後に目標を聞くと、「みんなとゴルフを続けられることが目標だよ」と話す。大会前日の練習ラウンドでは、羽川豊、海老原清治と笑顔で回る姿が印象的だった。戦友たちと再びゴルフができることが楽して仕方ない。そんなふうに見える。
「生涯獲得賞金ランキング上位20名」の資格によるシニアツアー出場権は再来年まで。好きだったタバコはもう2年近く吸っていない。アルコールに関しては、主治医から「ビール一杯くらいなら」と少し前に許しが出た。仲間たちとの「ビール一杯」も楽しみにしながら、飯合はフェアウェイ生活を謳歌する。
<ゴルフ情報ALBA Net>
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