セガサミー会長・里見治氏が語る“長嶋茂雄大会”誕生の裏側 来年以降の開催も視野に
<長嶋茂雄MEMORIALセガサミーチャリティープロアマ大会 最終日◇24日◇ザ・ノースカントリーゴルフクラブ(北海道)>
セガサミーホールディングスは7月23日から2日間にわたり、今年6月3日に肺炎のため89歳で逝去した“ミスター・プロ野球”こと長嶋茂雄さんを追悼するチャリティープロアマ大会を開催した。大会後、同社の代表取締役会⻑・里見治氏(以下、里見会長)が会見に応じ、長嶋さんとの思い出や男子ゴルフ界への思いを語った。
二人の出会いは今から30年前。プライベートでも親交があり、深い絆で結ばれていたという。数多くの思い出の中から、印象的なエピソードも明かしてくれた。
「支笏湖温泉に泊まりに来た時に、旅行客の方が『長嶋監督だ』と気づいて、長嶋さんは『どちらから来たんですか?』と愛想よくお話されていて、『写真でも一緒に撮りますよ』と話され、私が撮った記憶があります。そういう意味で⻑嶋監督は非常に気さくな方です」と、里見会長が語る長嶋さんの人柄は、誰からも親しまれる、温かさそのものだった。
同社は2005年に第1回大会を開催し、2007年からは大会名に“長嶋茂雄インビテーショナル”の名を冠するようになった。
その冠大会が誕生した背景についても明かされた。時は2004年、長嶋さんがアテネオリンピックの日本代表監督に決まった。五輪後に冠大会としてトーナメントを開催することを打診したところ、「いいですよ」と快く承諾してくれたという。
しかし、五輪直前に長嶋さんが脳梗塞で倒れた。当初は初回から長嶋さんの名前を大会名に入れる予定だったが、「オリンピックに監督として行きたいという思いが強く、リハビリを続けられていました。北京オリンピックで監督をやりたいと言っていたので、このトーナメントをやってくれとは言えず…」と、当時の葛藤も語られた。その後、五輪代表監督は星野仙一氏に決定し、改めてトーナメントの実施を打診した際には、再び快諾を得ることができた。
それから18年間、大会は続いてきた。「⻑嶋さんの名前を付けてやる以上、ゴルフ界の評判が悪いことには出来ないので、みなさんから認めてもらえるようなコースコンディションにしました。⻑嶋さんの名前を汚しちゃまずい、という想いをすごく感じながらやってきました。楽しかったことはたくさんありますよ」と、里見会長は感慨深く語った。
“ミスター・プロ野球”は、野球界にとどまらずスポーツ界全体を象徴するスーパースターであり、ゴルフという競技にも深い魅力を感じ、男子ゴルフ界を温かく見守り続けていた。
「このトーナメントもごい楽しみにしてきてくれていて、石川遼選手が優勝したときもすごく喜んでくれて。松山英樹選手が来た時もずっと見られていました。このトーナメントに来られなくてもいつも気にかけてくれていました」。その思いを誰よりも深くくみ取っていたのが、里見会長だった。
今年、大会は開催されなかったが、「⻑嶋家の了解を得られれば、“⻑嶋茂雄メモリアル”という形で、トーナメントにするのかプロアマにするのか、今後もやらせていただきたいと思っています」と、来年以降の開催に向けた前向きな意向も示された。偉大なる存在の名は、これからも日本のゴルフ界に生き続ける。(文・高木彩音)
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