【独占レポート】"パウンド・フォー・パウンドKING"を目指す中谷潤人がフィラデルフィアで感じた。『人生ほど、重いパンチはない』
WBC/IBFバンタム級チャンピオンの中谷潤人が、フィラデルフィアに到着した翌日に訪れた「ロッキー・ステップス」。シルベスタ・スタローンが演じる、ロッキー・バルボアが朝のロードワークで走り抜け、勝利を誓って拳を掲げたあの階段である。
『ロッキー3』の作品中、そのフィラデルフィア美術館前の階段上にバルボアの銅像が築かれた。上映期間終了後も、しばらくその場所に銅像が置かれていたが、市の芸術委員会が美術館の敷地に設置するのは不適切と判断し、撤去を求める。そして、フィラデルフィア南部のスポーツアリーナ、ファースト・ユニオンセンター・スペクトラムに移された。
あくまでも映画のシナリオだが、ロッキー・バルボアが世界ヘビー級タイトルに挑んだ会場が、スペクトラムである。かつて、フィラデルフィアをホームとするNBAのシクサーズと、NHLフライヤーズの共同アリーナとして使用されていた。1971年からフィラデルフィア市民に愛されたが、老朽化が進んだ2003年に閉鎖となり、翌年解体されている。
『ロッキー』の第1作がニューヨークで公開されたのは、1976年11月21日。中谷の父、澄人の誕生から半年が過ぎた頃である。その5日前の試写会では、上映開始から20分で75パーセントの人が「観るに耐えない」と立ち去っている。
しかし、公開後はシアターに客が押し寄せ、12日後には全米各地での上映が始まる。ロッキー人気はアメリカ合衆国に止まらず、ヨーロッパ、南米、アジア各地にも飛び火し、世界中で合計2億2500万ドルの興行収入を上げた。
同作品でファンの心を鷲掴みにしたのは、アポロ・クリード戦のファーストラウンドに、ロッキー・バルボアが渾身の左フックをヒットさせ世界ヘビー級王者をキャンバスに沈めたシーンだ。劇場内にいた多くの客が立ち上がり、歓声がシアターの外にまで響いたという。
スペクトラムが無くなってしまったため、現在、シクサーズとフライヤーズのホームアリーナとなっているウエルズファーゴ・センターに足を運んだ。今年、NHLチャンピオンとなったイーグルス、MLBのフィリーズの球場も同じエリアに築かれており、スポーツファンを飽きさせない空間だ。が、中谷が訪れた6月19日は、FIFAクラブ・ワールドカップの開催中で、じっくり散策できる状態ではなかった。
当地での3日目、そんな場所を歩きながら、中谷は言った。
「ロッキーがアポロからダウンを奪ったシーンは、僕も良く覚えています。リングに上がればお互いフィフティー・フィフティーですから、劣勢が予想されていても、相手を倒すチャンスはありますよね。そういったボクシングの面白さが、上手く表現されているなと思いました。フィクションでも、観客を沸かせられるんだと。ボクシングの醍醐味というか、魅力を十分に伝えていますよね」
スタローンは、ロッキーを中谷潤人と同じサウスポーに設定した。ヘビー級の白人選手というだけでかなり珍しいが、そのうえ左利きという点に高い洞察力を感じる。サウスポーだからこそ、盤石王者に善戦し、互角の闘いを演じるのだ。滅多にいない左利きの選手との対戦は、パンチの軌道も角度も読み難く、対策を誤れば命取りになる。
実際、ベアナックル(素手)で殴り合っていた時代の1885年に、ジョン・ローレンス・サリバンがボクシング史上初のヘビー級チャンピオンとなってから1994年まで、サウスポーの最重量級世界王者は誕生していない。
「当時のアメリカで、サウスポー選手ってあんまりいないでしょう。特に、ヘビー級では思い付きませんね。スタローンは、異色のファイターであるところを表現したかったんじゃないでしょうか。キャラを立たせるには良かったですよね。僕もサウスポーですから、感情移入する部分がゼロではないです(笑)。脚本の独自性を含めたスタローンのロッキーの作り方が好きです」
ロッキー・バルボアのモデルとなったチャック・ウェプナーは、オーソドックス(右構え)だ。スタローンが役作りのためのトレーニング中に胸筋を負傷し、右利き選手としての戦いを演じることが困難となったため、サウスポーのロッキーが誕生した。まさしくケガの功名である。
ただ、『ロッキー』第1作が話題となった頃、サウスポーの世界ヘビー級王者がまだ存在していなかった事実は、左利き選手が少数であるからこそ、対戦する際の難易度を語り掛けもする。
不動の世界チャンプは、格下のロッキーを見下していた。挑戦者は千載一遇のチャンスに、人生を懸ける。慣れないサウスポーのパンチをクリードはモロに喰らって、ダウンを喫してしまうーーーー。荒唐無稽とも思えない理屈が散りばめられているのだ。
だが、後にウェプナーはスタローンに1500万ドルの損害賠償を求めて提訴し、2003年11月12日に法廷闘争が始まる。モハメド・アリとのタイトルマッチでの戦いぶりがロッキー・バルボアを生み出すきっかけとなったにも拘わらず、スタローンは十分な対価を払わない。28年も待ったというのに、というのがウェプナーの主張だった。
「スタローンからは握手だけ。あるいは、背中を叩かれるだけ。それ以外に何も無かった。彼は何億ドルも稼いでいたのに、一銭たりとも支払われなかった」
ウェプナーはそんなコメントを残している。
原告の弁護士であるアンソニー・マンゴーは、『ロッキー』シリーズとその関連商品が過去30年間で10億ドルの収益をもたらしたと推定したうえで、述べた。
「スタローンはロッキーの名前をあらゆる商品に使用しています。彼は、チャック・ウェプナーの同意、及び報酬無しでロッキーに関連してウェプナーの名を出しています」
モハメド・アリ戦で名を売ったウェプナーだが、ヘビー級第一線に踏み止まる力量は持ち合わせなかった。糊口を凌ぐべくプロレスラーとの試合を数回経験し、日本で催された興行にも出場している。
スタローンは『ロッキー2』の配役を決めた折、スパーリングパートナー役を与えようとしたが、ウェプナーの薬物乱用が判明し、オーディションに落ちている。また、このロッキー・バルボアのモデルは、1980年代後半にコカイン所持で実刑判決を食らい、18カ月間服役した。
2006年8月、スタローンが幾ばくかのカネを払うことで、示談が成立。被告となったスタローンは、確かにウェプナーからインスピレーションを受けてロッキーを誕生させたが、アイディアに法的拘束力はないと主張した。和解条件は一切、公にされていない。当時スタローンは、数カ月後に公開予定のロッキーシリーズ6作目の製作に取り組んでいた。
中谷は話した。
「哀しい現実ですね。プロボクサーとして生きて、一瞬は名誉をもらった人なら、引退後も豊かに暮らすことが出来るボクシング界であってほしいです。切に願います」
『ロッキー5』で、スタローンは自身の愛息、セイジをバルボアの息子として登場させ、家族愛を説いた。6作目も親子の絆が描かれたが、スタローンがアドリブで放った肉声が用いられている。
ロッキーは、息子に言い聞かせた。
「この世の中ってのは、朝日や虹といった美しいものばかりじゃない。とても下品で汚い場所だ。どんなにタフな人間でも、ちょっと気を許せば永遠に打ちのめされちまう。人生ほど重いパンチは無い。でも、お前がどれだけ強いパンチを出すかは重要じゃない。いかにダメージを受けても、耐えて、耐えて、前に進み続けることが肝心だ」
その声を聞いたのかどうか、セイジは36歳で早逝している。
14歳にしてプロボクサーとして生きる道を選び、本場・アメリカでトレーニングすることを両親に受け入れさせた中谷潤人は、ロッキーの6作目を見ていなかった。しかし、スタローンの思いを耳にして、語った。
「そういう思いが詰まって、芸術になっているんですね。ボクシングのリングって、生き方が表れる場所だと常々感じています。自分の選択が、ファイトに反映されます。生き方を大切にすれば試合でそれが発揮出来ますから、スタローンの言葉は的を射たものだと思いますね。
僕が15でアメリカに渡ることを決めた時、根拠の無い自信はありましたが、先の事なんて全く見えなかったです。でも、どんな結果が出ても後悔しないように、一日一日全力でボクシングと向き合ってきた自負があります。両親からも、試合の度に『悔いのないように』と言われます。もちろん今も、同じ気持ちで取り組んでいます」
井上尚弥とのメガ・ファイトを控えた現WBC/IBFバンタム級チャンプは、フィラデルフィアで更なる飛躍を誓った。
取材・文・撮影/林壮一
記事提供元:週プレNEWS
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