アジア初演は鳴門市!? 市川紗椰がベートーベン「第九」の意外な歴史を巡る「鳴門市ドイツ館、素晴らしかったです」
鳴門市ドイツ館で歓喜の舞。ロボットとの写真は撮れず......
『週刊プレイボーイ』で連載中の「ライクの森」。人気モデルの市川紗椰(さや)が、自身の特殊なマニアライフを綴るコラムだ。今回はベートーベンの第九のアジア初演について語る。
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先日、徳島県鳴門市を旅してきました。JR鳴門線、渦潮、大塚国際美術館などを楽しんだ後、名店「すし勝」で絶品のおすしをいただき、最後は地元のスナックになだれ込みました。お店でローカル情報の聞き込み調査をしたところ、気になるお国自慢をする常連さんが。なんと、「アジアで初めてベートーベンの第九(『交響曲第九番』)が演奏されたのは鳴門だ」と。
本当に? いつ? どういうこと? 帰りのタクシーの運転手さんも「記念館もあるけど、そこまで見るものないよー」と、「鳴門第九初演」説を裏づけ。その「鳴門市ドイツ館」は、第1次世界大戦時に捕虜となったドイツ兵を収容した「板東俘虜(ばんどうふりょ)収容所」の様子を展示した資料館だそう。
ホームページには、聞き捨てならぬ文言が。「中でも、第九初演のエピソードが映像とロボットで語られる『第九シアター』は見所です」。ロ、ロボット!?
翌朝、期待を膨らませて訪れたドイツ館。第九シアターでは、ライフサイズの水兵さんの人形がカーテンの前で待ち構えていました。まず、ガチャンと首を振りながら第九初演の経緯を説明。後半でカーテンが開くと、楽器を抱えた兵士さんがガッチャコンガチャコンと演奏。
記念館によくある動く人形特有のホラー感もありながら、笑い飯の伝説の「博物館」ネタも思い出すけなげさとおちゃめさも兼ね備えてる。クライマックスでは、2倍速で動くロボット捕虜音楽家たち。最高でした。
かなり楽しんでしまいましたが、第九のアジア初演の物語はとってもいい話。事の始まりは、第1次世界大戦。ドイツと日本は敵対関係にあり、戦地となった中国の青島(チンタオ)で敗れたドイツ兵たちが、日本の各地に送られてきました。
中でも徳島県の板東俘虜収容所には約1000人の捕虜が集められたそうです。所長・松江豊寿(とよひさ)大佐は「捕虜も人間であるべきだ」という人道的な思想を持ち、新聞発行OK、演劇OK、ビール醸造OK、労働義務なし、地元民との交流自由と、捕虜の人権を尊重。音楽を含む文化活動を積極的に支援し、一部ドイツ人からは「音楽の守護神」とあがめられたそうです。
捕虜にはプロ演奏家が多数含まれており、楽譜の手書きの写しや楽器の修理、自作が行なわれ(コントラバスは担架を改造して自作!)、やがて合唱・オーケストラ演奏会を定期開催するように。合唱の練習には地元の人々が参加することもあったと伝えられています。
そして1918年6月1日、当時の日本ではまだ一般的に知られていなかったベートーベンの『第九』をフルスコアで演奏。しかも通常の「器楽曲演奏」ではなく、ちゃんと「合唱付き」で全曲を演奏しました。
"歓喜の歌"が、敵国で、捕虜によって奏でられた。単なる演奏ではなく、「敵味方を超えた人間の尊厳の表明」とも言えると思います。しかも、板東収容所での初演以降、『第九』=合唱の王様、というイメージが日本に浸透したとのこと。後の日本の合唱団文化や学校教育、企業合唱団にも影響を与えたそうです。
ロボット系珍スポットの話を期待させてごめん! 鳴門市ドイツ館、素晴らしかったです。
●市川紗椰
1987年2月14日生まれ。米デトロイト育ち。父はアメリカ人、母は日本人。モデルとして活動するほか、テレビやラジオにも出演。著書『鉄道について話した。』が好評発売中。埼玉県深谷市の渋沢栄一記念館にある「渋沢栄一アンドロイド」もいい味出してた。公式Instagram【@sayaichikawa.official】
記事提供元:週プレNEWS
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